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 大原氏の父による、この町の祭、死人祭にまつわる話は実に細部に渡る詳しいもので、図書館で資料を漁る必要はないと思える程だった。むしろ、この話を本にまとめた方が資料としての価値を帯びるようにすら思う。そんな有意義な話であったため聞く側の自分としてもかなりの熱が入り、時間はあっという間に過ぎて昼を回ってしまった。しかしまだ話し足りない事があるようで、こちらが何か言う前から強引に引き止められ昼食を御馳走になる事になった。
 食卓に用意されたのは、青菜やキノコを使ったお浸しや自家製の漬物といった、実に家庭的な田舎料理だった。中でも目を引いたのは、立派な鮎の塩焼きである。釣りをする訳では無いが知り合いに釣り好きの人がいて、いつも何匹かくれるそうだった。それを冷凍しておきレンジのグリルで焼いただけということだが、それでも十分過ぎる程の食べ応えである。こう太った川魚を食べる機会など、東京ではそう滅多にあるものではない。
「こんなのしか出せなくて御免なさいねえ」
「いえ、とんでもありません。一人暮らしですから、こういう家庭料理に餓えてるくらいですよ」
「あら、結婚はされてないんですか」
「仕事柄、忙しくてそういう時間が取れないので。何とも」
 面の中で苦笑いしながら、たどたどしく鮎を解す。初対面の相手と長く会話をする時、面をしたままというのは煩わしく不便に思う。多少入り込んだ会話をするのに互いの表情が分からず感情の機微が伝わらないのは、思わぬ誤解を生んでしまいそうで言葉を余計に選んでしまうのが疲れるのと、相手も同じような事を感じているのではないかと心配してしまうからだ。ともかく、それも今日限りの事だからと下手に考え込まない事にする。
 食事も終わり、淹れてもらった温かいお茶を少しずつ飲みながらお腹をこなす。真夏に冷房も無い部屋で暑いお茶はどうなのだろうと思ったが、かえって窓から入り込んでくる風が涼しく感じ、さほど悪いものでは無かった。これが田舎での涼の取り方なのだろう。普段どれだけ冷房慣れきっていたのかとつくづく思い知らされる。
「ところで、町の方で神社を見つけたんですけれど。あそこで死人祭に来る神様を奉っているのですか?」
「ああ、沖田さんとこか。んだ、そこさ神様奉ってるとこだ」
「けれど、御輿とかも無いんですよね。神社としては祭りのために特別な事はやらないんでしょうか」
「今じゃもう、神社と寺がごっちゃになった祭だからなあ。元々そういうのさやってねがったし、今更何するにしても色々あるだろうし難しくてやれんべ。それに、今あそこはそれどころじゃながってからなあ」
「何かあったんですか?」
「そこの娘が東京の大学さ行ってたんだけんとも、それがこの間、殺されたのよ」
「殺された?」
「んで父親も、何だかして東京で捕まったんだと。まだ戻って来てねえんだ。だからしゃ、今あの神社さ誰もいねえんだ」
 声を潜めながらもはっきりと話すその口調。殺す、の単語がやけに強く聞こえた。死ぬ、という表現よりももっときつい殺すという言葉を敢えて選んだのは、それを強調したいのだろうか。何となくの直感ではあったが、俺には下世話な噂好きのそれと同じ物が感じられた。この町で起こった訳ではないけれど、この町の縁者に関わる事件が物珍しくてたまらない、そんな風に思えた。お面で表情は見えないけれど、その内側ではどんな表情をしているのか。何となく想像がついてしまう事が堪らなかった。
「お父さん」
 唐突に、これまで話には絡んでこなかった大原氏の母が、嬉々と語る事を咎めるように肩を叩く。言葉こそたったその一言であるが、非常強い制止の意が込められているのは明らかだった。それに気づいた大原氏の父は急に口篭り、二度咳払いをして俯き加減に視線をそらした。
「まあ……んだから、蘇我さんも他さ話しこしないでけらい。本当、申し訳ないです」
「いえ……。元々、祭に関係無い事は記事にするつもりはありませんでしたから、御心配には及びません」
 思わぬ話を聞いてしまい、俺も些か動揺を隠せなかった。施錠せずに出掛けても平気なような田舎町で、まさか殺人事件など聞こうとは。東京の話であるとは言っても、同じ地域の人間だと近しい出来事に感じるのだろうか。聞く側にとっても、思わず近所で起こった事件だと勘違いしてしまいそうになる。
 その直後、茶の間の外から古臭い電話の呼び鈴が鳴り響いた。
「おっと、電話だ」
 大原氏の父はわざとらしく声を上げて素早く立ち上がり、廊下の方へと出ていった。まるで自分は何も話していないとでも言いたげな、実に惚けた態度だと思った。本気で誤魔化そうとしているのか、単なる避難なのか、どうにも判断に困る。
「蘇我さん、申し訳ないです本当に。うちのお父さん、ちょっとボケが始まって、あることないこと話したりするんですよ。真に受けないで下さいね」
「ええ。元々そういう話を聞きに伺った訳ではありませんから。ここだけの話にしておきます」
 そう穏便に答える一方で、俺は今の話がどこまで事実なのか、訊きたくてたまらなかった。当事者でないのな話せるだろうという報道の目線もある。だけど、表情は分からないものの心底触れて欲しくない様子が如実に感じられたので、俺はとてもこれ以上は訊ねられないと思った。
 今のはノートに書き留める事でもない。そう思った直後だった。不確かだというこの話の中に、幾つか自分に心当たりのありそうな事が含まれていることに気が付いた。そして真っ先に思い浮かんだのは、最初に口にした神社に住む人の名前についてだ。
 俺がこんな田舎町で熱りを冷ます事になった切っ掛け、あの記事が原因で殺されてしまった女性の名前は確か、沖田ではなかっただろうか。