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 その日の晩は他にこれと言って見るものも無く、早々に宿の方へ戻った。町は何処を歩いても、皆が面を被って行灯眺めながら練り歩いたり、田舎的なゆうすずみをしているばかりで、この死人祭りというものがよく想像する祭りとは全く異なるという事が再認識出来た。祭りというよりは、喪中と現した方がまだ近いと思う。とにかく、今夜の取材の成果はそれの再確認という事にしておいた。
 宿に戻るなり、早速風呂に入って汗を流し顔のガーゼを取り替える。それから部屋で夕食を食べつつ、大原氏とまた昨夜のように酒を飲んだ。大原氏は酒と言うより宴会が好きな気質らしく、お酒を誘うと表情が隠しきれないほど嬉しそうになる。歳は少しばかり離れているけれど、気さくに相対せる人物である。
 他愛の無い雑談など一頻り話し込んだ後、俺はおもむろに今夜あったあの事を訊ねてみる事にした。
「大原さん、つかぬことをお訊きしますが」
「はあ、何でしょうか」
「町から少し外れた所に八幡神社がありますよね。あそこは今、どなたがいるのでしょうか?」
 酔いに任せて然り気無く訊ねたつもりだったが、やはりこの町の人にとっては微妙な扱いの事なのだろう。にこにこしていた大原氏の表情がたちまち真剣味を帯びる。俺の質問のきな臭さを感じ取ったようである。
「父から聞いたんですね」
「ええ、まあ」
「本当しょうがないもんです、年寄りっていうものは。それで蘇我さん、その事についてはどういう事なのか、御存知の上でお訊ねしているのでしょうね?」
「一応そのつもりですよ。大原さんこそ、何を知ってるんですか?」
「私は三浦さんから事情を聞いた上で、御協力させて頂いているのですから。勿論、知っておりますよ」
 大原氏はデスクの知り合いという事で紹介されている。という事は、やはり初めからデスクは沖田明里がこの町の出身だと知っていて俺を飛ばしたに違いない。そうなると、大原氏が俺の身分を偽らせたのも納得が行く。まさか事件の当事者を自分の所に泊めているなど、他の人には知られたくないはずだ。
「デスクはどういうつもりで俺をこの町へ寄越したのでしょうね」
「さて。それは流石に伺っておりません。恐らく、取材のやり直しをさせたいのではないでしょうか。蘇我さんの気持ちを汲んで。直訴されて困っているとは仰ってましたよ」
 確かにそういう旨を俺はデスクへぶつけていた。けれど、これ以上面倒事を起こすなと冷たく突き返されたと思っていたし、実際デスクも何度もあの事件の事は忘れろと念入りに釘を刺してきた。だけどあれは会社に対する体裁であって、この業務命令がデスクの本音なのかもしれない。これについてわざわざデスクに確認を取る必要は無いだろう。
「あの、今沖田家はどうなっているのか、御存知ですか?」
「まあ事が事ですからね。私に限らず、みんな腫れ物を障るようなもんですよ。おそらく、沖田さんはもう神社はやっていけないでしょう。神主もサラリーマンみたいなものらしいですし、その内新しい神主さんが来るとか聞いてます」
「となると、今はお嬢さんお一人ですか。流石に心細いでしょうね」
「え、誰のことを仰ってるんですか?」
 大原氏は驚いた様子で目を見開いた。今の会話に行き違いになるような所があっただろうか。言った俺の方も大原氏の上げる声に戸惑う。
「何か間違ってましたか? あの八幡神社の事ですよ。ほら、通りをずっと南の方へ向かった途中の」
「いえ、それは分かります。分かりますけど、今はあの神社には誰もいないはずですよ」
「まさか。だって、あの神社の者だっていう人と昨日今日と会ったんですよ。まだ若い女性で、名前も自分から沖田と名乗ってましたし。神社の裏に自宅があって、そこに住んでいると言ってました。そうそう、祖母が一人暮らしをしているから様子を見に来てるそうです」
「変だなあ。確かに沖田さんの所はお祖母さんが一人暮らししてますけど、面倒はヘルパーさんが見ていたはずですよ。確かに自宅は神社の裏の方にありますけど。その、蘇我さんが会ったという方は沖田と名乗ったのに間違いは無いんですよね。下の名前は何というのですか?」
「いえ、それは訊いてませんでした。その、沖田という名前だけは私も知っているので、もしかしたら身内か誰かと思って萎縮しちゃったもので」
「その方はどんな風貌でした? 年齢とか、何か特徴は」
「歳はかなり若いと思いますよ。二十歳前後でしょうか。背格好はまあ目立った特徴はありませんね。あと、やたら不気味な能面を付けてました。痩せ女と言うそうです」
「そうですか……。私も沖田さんとはあまり接点は無いんですけれど、当てはまりそうな方はお嬢さんしか知らないんですよ」
「それってつまり」
「ええ、その方です」
 八幡神社に関係する沖田の女性は、事件で亡くなった沖田明里しかいないという事だ。
「他に親戚は居ないんですか? 従兄弟とか」
「隣町に従兄弟夫婦が住んでいるんですけれど、確か男三兄弟だったはずです。それにみんなまだ中学生ぐらいですし」
 大原氏の言葉に俺はより困惑を深めた。あの沖田と名乗った彼女の挙動は不自然なように感じたが、俺は大方家族か親類かで説明出来るだろうとタカをくくっていたのだ。一番自然な展開だと思っていただけに、こうも覆されるとは思ってもみなかった。
 では、あの沖田と名乗った女性は何者なのだろうか。俺は眉をひそめて困った顔を作りながら大原氏に向かって首を傾げてみる。しかし大原氏も同じような渋い表情をしていた。
「あくまで私の憶測ですけれど……。そうなると、あまり考えたくはないのですが、誰かの心無い悪戯かもしれませんね」
「悪戯ですか」
「毎年、一人二人はいるんですよ。死んだ人の振りをして面白がるような方が」
「なるほど……。やる側にしてみれば、面で顔も隠れているからリスクもないでしょうから」
「蘇我さんも、今度見つけたら遠慮なく注意して下さい。そういう悪ふざけは祭りの主旨に反しますからね」
「分かりました」
 どこにでも馬鹿な事をしでかす者は必ず一定数いる。職業上、そういう良識の欠落した人間は沢山見てきている。けれど、その説明だけで沖田の事は納得が出来なかった。少なくとも俺には、彼女がとても悪ふざけをしているようには感じなかったからだ。俺をからかうにしても、沖田を名乗るには俺の素性や事件の事を知っていなければならない。それに今日の別れ際に告げたあの言葉も、単なる愉快犯では説明がつかない。
 一体彼女は何者なのだろうか。沖田はより一層俺の中で存在感を強くする。