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「いや、まあ、そういう事ですよ。世間を騒がすと、会社に迷惑がかかりますから」
「会社だけですか?」
「もちろん、購読者や株主とか、多方面にまで及ぶ事もありますよ。記事の内容によっては、特定の業界等に関わる事もありますし」
 厄介な事になった。そう思ったのは、俺が何を言い掛けたのかを沖田が的確に突付いて来るから、そういう予感がしたからだ。
 いい加減な取材で記事に書かれた人に迷惑をかけてしまう。言葉だけでは、誰でも想像がつくようなごく当たり前の事である。それが、相手に遠慮したせいで俺は言う事が出来ず、そしてあたかも沖田はそれを見透かしたかのように問い尋ねて来る。その言葉を言わせる事で、俺に責任を認めさせようとしているように思える。単に俺には負い目があるからそう錯覚しているだけのはずだが、かと言ってそう簡単に割り切れるものではない。
「とにかく、取材はそれだけ綿密にやらないといけないという事です。どんなに便利な世の中になっても、結局は足で情報を集めないといけないのは変わりませんから」
「そうですか。私、もっと気楽な職業だと思っていました。大変な仕事なのですね」
 気楽という表現は嫌味なのだろうか。
 ともかく、憶測だけで考えても悪循環に陥るだけである。俺は気分を変えるべく、ビールをぐっと少し多めに煽ると、次に焼きそばへ箸をつけた。しかし、初めこそ濃厚なソースのしつこい風味が口の中にまとわりついていたけれど、直にそんな事は気にかけられなくなった。
 この流れの悪さには息が詰まる。いっそ、今夜はもうお開きにしたいとさえ思うが、そう簡単には折れる訳にもいかない。これはきっと、話の主導権を握られるのが良くないのだろう。俺は、今度はこちらから話を振ってみる。
「沖田さんは、今は神社の管理をされているのですか?」
「ええ。この夏の間だけは」
「夏の間だけ?」
「今は夏休みですので。それが終われば東京へ戻ります」
「ああ、それでは学生さんですか」
「今は大学の二年生になります」
 沖田明里も大学生だった。そんな言葉が脳裏を過ぎり、慌てて振り払う。仮に沖田が沖田明里の友人だとするなら、その程度の事くらい知っていても当然だ。それに無難な回答でもあるから、ただ当てずっぽうで答えただけなのかもしれない。
「専攻は何を?」
「神道の関係です。卒業後は地元に戻るつもりでしたから」
「なるほど。家業を継がれる訳ですね」
「他に兄弟もおりませんから」
 沖田明里の学歴はこれに間違い無かったか。まだ伊藤からの資料に目を通していない俺は、今の会話に出てきた事を照合したくてたまらなかった。少しでも相違があればそれを根拠にして、この沖田と名乗る彼女に、妙ななりすましはやめろとかかる事が出来るのだが。伊藤が送ってくれたのは先程の事だし、ここに沖田が来るとは思っていなかったから、確認する時間が俺には無かった。何とも間の悪い事である。
「中尉さんの御両親は?」
「うちは、とっくに現役は引退していて、何とかっていうOB会に入ってます。親父も記者なんですよ。で、退職してからは株を貰って外部顧問とかいう椅子に収まって。記事の方針だとか人事とかに口出ししてるようです」
「ようです、ですか?」
「もう、随分まともに顔を合わせてないもので。何をしているのかは、社内の噂程度でしか知らないんです」
「何か理由でもあったのでしょうか」
「まあ、ちょっと。情けない話ではあるんですけれど。以前、私の配属先に口を挟んだらしいんですよ。で、事前に一言も言わなかったものですから私もヘソを曲げましてね。それっきりです」
「今の部署はそういう経緯で配属されたから、尚更早く異動したいのですね」
「おっしゃる通りです。そういう訳なので、情けない話なんですよ」
 けれど、実際のところ自分が社会部へ異動出来ないのは親父の口出しがあるからではない。幾ら役員でも、人事を自由に左右するほどの影響力はない。いや、実際それぐらい力を持った役員も居るのかも知れないが、少なくとも俺の親父では無理だ。出来るのは、社内のどこかしらに席を作ってやる事と、ある程度の不祥事の揉み消しだ。今思えば、俺の知らぬ間にそういう影響力を及ぼされる事が嫌で、こちらから一方的に反目したのだった。それでいて他の新聞社に移籍せず甘んじているのは、優遇されてきたが故に自分の身の丈を知っている。認めたくはないが、俺の親は俺の身の程を良く分かっているのだ。
「中尉さんは御両親とは仲が良くないのですね」
「両親というか、父親だけですけどね。母親に至っては、我々のいさかいなどそもそも口出しするほど興味もないような人ですし。沖田さんの所はそういうのあります?」
「うちは、母親が昔に亡くなっていますから」
「そうだったんですか。父親の方はお元気でしょうか?」
「父も訳あってしばらくは会う事が出来ません」
 それは、まだ東京で拘留されているから、という意味だろうか。訊ねてみたかったものの、家族の突っ込んだ質問は普通でも嫌われる。ここは避けておいた方が良いだろう。
「実はですね、中尉さん」
「はい?」
「私はこの死人祭りで、会いたい人がいるんです。毎年毎年、今回こそはと思って探しているのだけど、未だに会えなくて。今年も会えずじまいで、このまま終わりそうです」
 唐突な沖田の言葉に、俺は一旦箸を止め沖田を見た。まさか沖田も、本当にこの祭りで故人が戻ってくるなど信じてはいないだろう。そう思いたくなるほど、大事だった人がいるという事なのだろうか。
「それはどなたの事なんでしょうか?」
「母です。まだ私が幼い頃ですから、あまり思い出もありません。だから、僅かに残っている記憶は今でも鮮明なままなんです」
「それだけ大事にされたのですね」
「多分。ですから、母には言いたい事があるんですよ」
「何をですか?」
「家族を守れなくてごめんなさい、と」