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 宿を出たのは、丁度正午になる少し前の時間だった。沖田家を訪ねるのに、事前に連絡もなく行くのでは午前中だと少し早い気がしたので、出掛けるのがこの時間になった。あらかじめ電話帳で番号を調べて電話で断りを入れておけば良いとも思ったけれど、沖田とはそこまで親しい訳でもなく、それはどうにも気が引けてしまった。連絡も無しに突然来られる方が余計に迷惑な事だと分かっているのではあるが。
 神社へ向かう途中、以前にも入った喫茶店に立ち寄り昼食を軽く取った。従業員も客もみんな面を付けているという異様な光景に、最初はいささか戸惑っていたのだけれど、今はもうすっかり慣れて特に何も感じなくなった。今日でこの死人祭りは終わりなのだから、明日からは面を付けている人はいなくなるだろう。逆にそれの方が不自然に見えるのではないのか、そんな事を想像する。奥之多町での滞在中は面を付けている期間の方が長いだけに、奥之多町と面が完全にイコールで結び付いてしまっている。
 時刻が午後になるまでゆっくりと待ってから喫茶店を後にする。沖田家に向かう中、これからどのような事になるのか、その想像ばかりしていた。沖田に対して自分の素性を打ち明け、あの記事についての自分の浅はかさを素直に詫びる。そこで沖田は一体どのような反応をするだろうか。潔い自分を受け入れ綺麗に和解するのか、今頃になってそれが何だと罵倒するのか。特に自分にとって辛辣に当たる事を想像し覚悟を作ってみたものの、結局の所それはまだ自分の都合の良い創作にしか過ぎない。事実は往々にしてもっと冷淡である。沖田の反応に対してどう立ち回るかを想像した所で、それは単なる自己満足にしかならない。
 沖田家の八幡神社は町の中心から僅かに外れた小山の上にある。この暑さの中を歩いて向かうにはやや遠い距離だが、今日はさほど長いようには感じなかった。それは、本音では沖田に自分の素性を明かす事をやりたくはないからだろう。どうせ明日で東京へ帰るのだから、このまま触れずにそっと離れてしまいたい。実際はそうしたいし、それが被害者の関係者を逆撫でない一番良い方法だと思う。けれど、俺に対しての矛先を収められない沖田をこのままにも出来ない。そこで揺れてしまう。
 喫茶店を出てから随分も経たない内に、八幡神社の麓までやって来てしまった。そこで少しばかり意を決する時間を取った後、鳥居を潜って石段をしばらく登る。程なく神社の拝殿が見えた。蝉以外の音は何も聞こえず、まるで人気のしないのは、以前来た時とそっくりそのままだった。古びた社務所も古いなりに掃除がなされ、周囲にはゴミ一つ落ちていない。石段の脇も雑草は綺麗に刈られているし、休憩用のベンチも泥一つ付いていない。普段はさほど参拝客はいなさそうではあるが、手入れは隅々まで良く行き届いている。従事している人間は、よほどこの神社に愛着があるのだろう。全てあの沖田一人がしているとは思えないが、彼女ならなんとなくやりかねないとも思う。そういう執念めいたものを感じるのだ。もし亡くなった沖田明里ならば尚更そうだろう。
 拝殿の脇から本殿とを繋ぐ廊下側へと回る。そこに併設されているのが、この八幡神社を管理する沖田家の住宅である。その佇まいもまた以前に訪ねた時と変わらず、神社にしてはやや近代的に見えるがどことなく物寂しさを窺わせる印象のままだった。
 沖田はこの住宅に住んでいる。多分、そのはずである。沖田明里の父親が事前に留守を頼んだ知り合いなのか、はたまた死人祭りで戻ってきた沖田明里なのか。そんな想像をしつつ玄関の前に立った。そして戸の脇にある呼び鈴を押そうとし、直後俺はその手を止めた。
 日中は留守にしています。
 呼び鈴のすぐ上にそう書かれた張り紙がしてあった。沖田は今留守にしているのだろうか。念のため呼び鈴を押して中へ呼び掛けてみたが、やはり中から応答はなかった。疑うつもりでは無かったが、本当に留守にしているようである。
 せっかく意気込んで来たというのだが、どうやらタイミングが悪かったらしい。日中を留守にするという事は、戻ってくるのは早くても夕方を過ぎるだろう。やはり事前に連絡をするべきだったのか。
 そう落胆するのも束の間、不覚にも俺は沖田に会えなかった事に安堵感を覚えてしまった。出来れば顔を合わせたくない気持ちを今更否定しないが、それでもこんな事で一喜一憂するのはあまりに情けなさすぎる。
 俺はいつも持ち歩いている手帳を取り出すと、白紙のページへ要件と連絡先を書き込んで破り、張り紙の間に差し込んだ。彼女が帰ってきてこれに気付けば、連絡ぐらいはしてくるだろう。その時にきちんと俺の素性について打ち明ける。それで東京へ戻る前にきちんと気持ちの整理を付け、沖田家との事を清算する。そうする事が、この先記者を続けていく上での後ろめたさを無くす一番の方法だと思うのだ。
 沖田が留守である以上、このままここに居ても仕方がない。俺は踵を返し八幡神社を後にした。書き置きを見た沖田は連絡をしてくれるだろうか。そんな不安を抱くと、すぐに、連絡なんて来なければいい、という弱気な考えが脳裏を掠めた。人は責められる事が分かっているとこんなにも弱気になる。つくづくそれを実感する。しかし、報道というものは必要があればそういう人間にも辛辣な言葉を浴びせる。当事者を目の前にせず、安全圏から一方的に言うだけだから平気で出来るのだろうか。そう思った。