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「あなたは証言者に興味本意で近付くような人を悪趣味と言いましたね。ですが、あなたも同類ではありませんか。自分の利益のために、人を平然と蔑ろにするなんて」
「しかし、私は決して下世話な気持ちでやった訳ではありません」
「その結果があれでも、申し開きが出来るのでしょうか? 少なくともあなたは、この町に住む全ての人間の恨みを買いましたよ」
 普段よりも遥かに饒舌な沖田に対し、俺はろくな反論も出来ず一方的に言い負かされた。幾ら野次馬と記者では志が違うと言っても、それを目に見える形で証明する事は出来ない。まして、自分の記事は本来起こらなくて良いはずの事件の引き金になってしまっているのだ。どんな美辞麗句を並べようとも、これでは説得力というものが何一つ無い。
 だが、こういう批判はある程度覚悟していた事である。自分がした事はどうやっても誤魔化しきれないし、償おうとしてもそう簡単に出来るものではない。そもそも、沖田に許して貰えるとはそんなに期待していなかった。ただ、もう二度と訪れる事は無いであろうこの町で、沖田を名乗る正体も分からない人物がただひたすらにやり場の無い恨みを募らせるのは見るに耐えないと感じたためだ。それは単に、哀れみだと言ってもいいだろう。
「どうしてこんな話を私にしようと思ったのですか? このぐらい非難されるとは想像も出来たはずです。黙っていれば良かったじゃありませんか」
「そうですね。ただ、あなたが沖田家の縁者を名乗るから、言わないといけないような気がして。そうとしか答えようがありません」
「縁者? 私がですか?」
「違うのですか? ここまで沖田家にこだわるのは、そのためだと思っていましたが」
「本当にそうお思いなのですか? 今の話は、とても赤の人間へする物とは思えませんでしたが」
 反論は出来なかった。沖田の言う事は、半分は合っている。見ず知らずの人間に話せば多少罪悪感は紛れるだろうと思うのとは別に、内心で沖田を謝罪を述べるべき本来の相手の代理をさせていたのは否定出来ない。その気持ちが露骨過ぎて勘づかれてしまったのだろうか。
「蘇我さん、私がどこの誰なのか御存知ありませんか?」
「沖田家の……縁のある方と想像しています。そうでもなければ、こんな」
「ですから、違うでしょう? 本当はもっと違う人を想像しているはずです」
「違うと言われても分かりません」
「そうでしょうか? この町の祭りは死人祭り、町に縁のある死者が戻って来る祭りですよ」
 そこまで露骨に煽ってまで口を割らせたい事は、もはやあれ一つしかない。けれど、この馬鹿な憶測をどうして話させたいのだろうか。いや、そもそも俺がそんな憶測を持っていると考えるのは、沖田が沖田家に縁のある人物だからだろう。これまでの不可解な言動は、今の状況に繋げるための布石と捉えるのが妥当か。
「さあ、話してみて下さい。私を誰だと思っているのか」
 沖田は俺が何を考えているのか知っていて、敢えてそれを口に出させたいのだろう。しかし、それがどれだけ馬鹿げた事かは分からないはずはない。死んだ人間は決して生き返らないし、沖田は別人が祭りの由来に便乗して成りすましているだけでしかない。俺を勘違いさせてからかいたいのならともかく、口に出す事を強要すればその意味は薄れてしまう。それとも、その馬鹿な考えを口にさせて精神的に屈服させたいという単純な企みか。
 意味のない問答ではあるが、話の流れに沿うしかない。俺は、何度も馬鹿馬鹿しいと繰り返し思いつつ、その名前を口にする。
「沖田……明里」
 俺の返答に、沖田はにやりと口許を歪めた。自身が村雨と呼ぶ女面の中で、そうしたような気がした。
「フフフ……おかしな事を言いますね」
「そうでしょうね。でしょうとも。でも、満足でしょう?」
「そうですね」
 面をしたまま、沖田は何度も堪え切れない笑みを漏らした。面越しに聞こえるくぐもった笑い声は、本当に心底嬉しくて堪らないように感じた。それも当然なのだろう、町民の敵である俺にこういう馬鹿げた事を言わせて屈服させたと考えたら、随分な優越感に浸れるだろう。
 なんて下らない事だ。そう思う反面、これで溜飲が下がるなら黙って甘受するのが賢い選択であるとも思った。会社や記事への風当たりが少しでも和らぐなら、ここで道化をやるのも有意義だろう。俺は下手な反論はやらない事にする。
「蘇我さん、あなたは明日東京に戻られるそうですが、今後も記者を続けるおつもりですか?」
「ええ、そのつもりです。あなたを含め、この町の方々にとっては面白くない事だとは重々承知の上です。出来る限りの謝罪はしますし、二度と軽率な行動は取らないと猛省もします。ですが、これだけは譲れないのです。子供の頃からの夢でしたから。その実現のためなら、多少なりとも厚かましくはなれます」
「今ここであなたを殴ったり土下座を強要したりしても、きっと平然と受け入れるのでしょうね。そして、何事も無く記者を続ける」
「本当に申し訳ないとは思っていますよ」
「よろしいですよ、御題目は。それに、あなたが素直に辞めるような人ではないと、今日までの付き合いで充分に分かったつもりですから」
 やはり謝罪は突っぱねられる。これも予想通りの反応である。あの記事を書いた者を憎く思う人の溜飲を下げるには、謝意を見せるよりも非難を黙って受け入れる方が効果的だ。
「さて、蘇我さん。もう話は終わりましたね? 次は私の番です」
 そういえば、沖田も俺に対して話があるのだった。しかし、それは俺に記者を辞めろとかそういうものではなかったのだろうか。もはや繰り返しになってしまうのだが。
「私の要件はとても大した事ではありません。あなたが記者を辞めたりはしないと薄々思っていましたし、それをする上で覚えておいて貰いたい事があるだけです」
「覚えて貰いたい事?」
「ええ、そうです」
 そう言い、沖田はおもむろに席から立ち上がると、そっと両手を自分の頭の後ろへと回した。どきり、と胸が一つ高鳴った。その仕草は、まさに自分の付けている面を外そうとするそれだからだ。
「あの、一体何を?」
「私は、あなたの事を一生許さないでしょう。そういう意味を込めて、前は痩せ女の面を付けていました。ですが、実際にあなたに覚えておいて貰いたいのは、あの面の顔ではありません」
 するりと紐を解き、沖田の顔に張り付いていた面がぐらりと揺れる。沖田は右手だけで面を支えた。あとほんの少し手首を返せば素顔が顕になる、そんな状態だった。
 こんな事をして何の意味がある。俺は出来るだけ冷ややかに観ようと思ったが、心臓は高鳴ったまま一向に落ち着こうとせず、喉の奥が緊張でぎゅっと狭まり息苦しさを感じていた。沖田が見せようとしているのは、今まで隠していた自分の素顔である。それは分かるのだが、そうする意味が分からなかった。沖田の素性は分からない。そんな赤の他人の顔を俺に見せた所で何の意味がある。それは至極当然の疑問だし、真っ先に思い浮かんだのがそれだった。しかし、すぐにもう一つの理由が脳裏を過ぎり、俺を戦慄させたのだ。この動揺は明らかにその馬鹿げた推測のせいである。
 そう、沖田が見せようとする顔が赤の他人のものでは無いとしたら。
 まさか、冗談だろう? そんな事、あるはずがない。あってはならないのだ。
「絶対にこの顔を忘れないで下さい。いえ、一生忘れさせないようにします」
 沖田の右手がゆっくり動く。俺の視線は沖田に張り付いたままで、頭の中は少しでも衝撃を押さえようと何も考えないようにした。しかし、幾ら空っぽにしてもすぐさま資料で見たあの顔がくっきりと浮かび上がり、背筋を冷たく震わせる。
 有り得ない、そんな事は有り得ないのだ。沖田は俺をからかっているだけだ。勿体付けて、俺の動揺を笑うに決まっている。
 そして、沖田の右手が面を顔から完全に取り払った。
「蘇我さん、私の顔が分かりますか?」
 丁度、ステージの方から歓声が上がった。誰かが賞を受けたのだろうか。すぐ側の出来事のはずなのに、まるで別世界の事のように聞こえた。
 照明に照らされ沖田の素顔があらわになる。それをまざまざと目の当たりにした俺は、完全に言葉を失った。
「あ……う……」
 まさか、どうしてこんな事が。有り得ない。冗談に決まっている、こんな事。
 しかし、何度否定しても目前の沖田の素顔は変わらなかった。沖田の面の下の素顔、それは紛れもなく、
「沖田明里……」
 手の震えが、いやそれだけではなく、体中の震えが止まらなかった。有り得ないはずのものを目にし、恐怖が一斉に吹き出して呼吸すらもままならなくなった。
 そんな俺を沖田は、ぞっとするような薄笑みを浮かべて見下ろした。
「絶対に忘れさせませんから」