戻る

「失礼」
 俺は携帯を開き、会社のメールから転送した沖田明里の画像を表示する。携帯のバックライトは明るく、表示された沖田明里の顔写真も細部までくっきりと写し出された。その画面を、目の前の沖田真由美の素顔と比較する。不躾な所作だが、これが最も解り易い照合である。沖田真由美はきょとんとした顔で俺のしている事を見ていたが、俺は照合に集中して一切構わなかった。
 確かに、似ている。
 写真の沖田明里と実物の沖田真由美を何度も見比べたが、とても別人とは思えないほど良く似ていた。双子という訳でもないはずなのだが、ここまで似ている姉妹というのも珍しいと思う。いや、そもそも似ているというその度合いもおかしい。顔の輪郭はともかく、顎にあるほくろの位置まで一緒というのは、遺伝的に起こり得る事なのだろうか。
「蘇我さん、何をされているのですか?」
「ああ、いえ。ちょっと。あなたのお姉さんと、実に良く似ていると思いまして」
「そうですね。子供の頃から良く間違えられていました」
「でも、ほくろの位置まで一緒なのは珍しいですね」
「ほくろ?」
 何の事か、と首を傾げる沖田真由美。そこで俺は携帯に表示している沖田明里の写真資料を見せた。
「いやだ、蘇我さん。これは私の写真ですよ?」
「は? 沖田明里さんでは無いのですか?」
「そうですよ。ほら、顎の所にほくろもありますから。姉にはありませんよ」
「え……じゃあ、それなら」
「本人同士ですから、似ていて当然です。私と姉の写真、間違えているんじゃないですか?」
 伊藤め、資料を間違えて送って来たのか。
 元はと言えば、この写真のせいで、沖田明里が生き返ったのではないかと馬鹿な幻想に取り付かれてしまったのだ。伊藤さえきちんと間違わずに正しい資料を送って来ていれば、単なる笑い話で済んだはずである。もっとも、こちらから無理を言って送らせたものだから、そこまで強く言えるような立場でもないのだが。
 しかし、一つここで疑問が浮かぶ。伊藤が送った資料の内テキストの方には、沖田真由美について何も書かれていなかった。写真があるのに、どうして記述は無かったのだろうか。単なる取材漏れとは思えないのだが。
「酷い話ですね。あんな記事を書いたのに、本当に姉の顔を覚えていないなんて」
「すみません。大変失礼な事とは思っているのですが、あの時は非常に大勢の人間に短期間で取材したものですから」
「あの事件では、姉の写真しか掲載しませんでしたね。あまりにも不公平ですよ」
「あの記事は私の所属部所ではありません、と言っても仕方ないですよね。でも、犯人の写真を掲載するのは難しいのです。犯人である可能性が濃厚と判断されないと、後々問題になってしまいますから」
「被害者は問題にならない、いえ、問題にもされませんからね」
「そうですね。そうかもしれません。それに、購読者は加害者も被害者も、どちらの顔でも見たいと思っていますから」
「私も苦労させられましたよ。どこへ行っても事件の事で、興味本意の視線にさらされてばかりで。しばらくの間は家にもまともに帰れず、祖母の家と大原さんの所を行き来していましたから」
「えっ、大原さんとは……」
「蘇我さんが宿泊している所ですよ。知らないでしょうが、うちと大原さんの所は昔から親戚付き合いをしているので」
 ああ、そういう事か。俺は半笑いで溜め息を漏らしてしまった。初めから大原氏は沖田真由美と結託していたのだ。それで、俺をこうやってからかうための段取りをし、沖田真由美を手伝っていた。理由もさほど難しくはないだろう。大原氏も、俺に対して良い感情を持っていない人間の一人なのだから。
「これは、やはり私に対する意趣返しですか?」
「そうですね。私はあの記事を書いた蘇我さんもそうですし、何より一方的な被害者であるはずの姉が世間の晒し者になったにも関わらず、加害者に等しいあなたがひたすら庇われる事が許せません。安全圏からさもそれらしい高説を述べる癖に、何が起ころうと誰も一切の責任を取らない卑劣さ。その後に今度は被害者になったというのに、姉とは違って顔どころか名前すら報じられないあなた。こんな理不尽は絶対に許せない、そう決めています」
 思っている、ではなく、決めている。そう言った沖田真由美の言葉から、胸中にたぎる尋常ではない強い怒りを感じた。時間と共に気持ちが風化する事を認めない決心、それは沖田真由美にとっての臥薪嘗胆の胆なのだろう。
「あなたが奥之多町へ来ると聞いて、本当は複雑な思いでした。正面切って罵倒するか、父に倣って右目を狙うか。それとも、ただひたすら隠れ続けるのか。そして結局、会社に庇われているあなたに一矢報いるなら今しかないと決心しました。そうでなければ、きっと惨めな思いのままずっと後悔するでしょうから。けれど、自分まであなた達の記事の餌になって良いものか、そういう躊躇いはありました。だから、こんな回りくどい事をしました。父とは違い、記事には出来ず一生苛まれるようなやり方。それなら、あなたは一生罪悪感を引き摺れるし、それを思う私は何時の日か立ち直れる」
「それで私に、沖田明里に代わって恨み言をぶつけた。私は幽霊など本気で公言出来る訳もなく、この事を生涯忘れられなくなるから」
「そうですね。でも、本当はもう少し単純に考えていました」
「単純?」
「心底驚いて、ショック死してしまえばいい」
 驚いてショック死など実際あるものではない。沖田真由美の言葉を冗談と笑ってしまおうとしたが、沖田真由美はにこりともせずじっと俺を見詰めていた。そうなるかどうかはともかく、本当にそうなってしまえばいいというのは、沖田真由美の紛れもない本音なのだろう。
「流石にそううまくはいかなかったけれど、こちらが想像していたよりもずっと驚いてくれたので満足です。写真が間違っていた事が功を奏したようですね」
「かもしれませんね。偶然とは言っても」
 あの写真を見たせいで、俺は沖田を沖田明里だと本当に勘違いしてしまっていた。けれど、仮に写真資料が間違っていなくとも、俺は沖田真由美を沖田明里と見間違っていただろう。それに、俺が沖田真由美の存在を把握していないのは知られていたのだから、顔が良く似ていればそれだけで勘違いは確実にする。どちらにせよ、今回の事は全て沖田真由美にとって都合の良い状況だったのだ。こうなるべくして起こった出来事、自分の迂闊さに対する応報である。
「あの、明日で構わないのですが。沖田明里さんに線香の一つくらい、あげさせて頂く訳にはいきませんか? このまま素通りというのも何ですから」
「お断りいたします」
 沖田真由美はきっぱりと即答する。
「今更謝罪など聞きたくはありませんし、姉が喜ぶはずもないでしょう。うちはおろか、姉の墓前にも近付かないで下さい」
「そうでしょうが……どうしても駄目でしょうか?」
「そんな安い償いで、罪悪感を無くさせるつもりはありませんから。どうせ、少しでも償ったつもりになりたいだけでしょう? させませんよ、そんな甘えた事は」