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 またいつものように、それは突然と俺を襲って来た。
 寝る前まで何も体の違和感は感じなかった。体のだるさや頭痛の一つも無く、全くいつも通りに食事をしてくつろぎ、普段通りの時間にベッドへ入り眠った。いつ眠りに落ちたのかさえ分からない、本当に安らかな気分だった。それだけを聞いたのなら、おそらく大半の人間が俺を全くの健康体だと答えるに違いない。
 異変に気付いたのは、夢の中での事だった。何の夢を見ていたのかは覚えていないが、楽しいはずだったのが急に気持ちが悪くなり、胸が苦しくなっていった。そこで、今自分が夢を見ていて、現実の自分がうなされている事に気付かされる。夢の中の俺は早く目覚めようと酷く焦るのだが、それとは裏腹に眠りは根強く続いてなかなか目覚めようとさせない。皮膚の感覚までもが現実に戻り、俺の本当の体がベッドの中で唸りながら悶えているのが伝わってくるにも関わらず、俺の脳だけは頑なに眠りを続けようとするのだ。
「イサオさん! 起きて!」
 やがて、俺の異変に気付いたキョウコに揺り起こされ、それでようやくしぶとい眠りから開放された。頑なに開こうとしなかった目が開き、夢から覚めた脳が少しずつ現実の体の形や感覚を取り戻していく。まさに死の淵から命からがら這い出て来たような心境だった。体は鉛のように重く、そして凍えそうなほど寒かった。歯の根が合わないほど震え、自分では止められなかった。
「……またうなされてたのか」
「大丈夫……? ああ、酷い熱。今、冷やす物持って来るわ」
 キョウコは心配そうな表情で俺の毛布を掛け直し、洗面所の方へと駆けて行った。もはやいつもの定番行事になりつつあるのだけれど、相変わらずキョウコは甲斐甲斐しく、悲痛だった。
 俺は一人で薄暗い寝室の天井を眺めながら、がたがたと震える自分の歯の音を聞いていた。わざわざ額に手を当てなくとも分かる、発熱の症状。倦怠感と節々の痛みも、子供の頃からもう何度も経験している事だから、今回はまだ症状が軽いとさえ思えた。毛布に包まりながら、少しでも体温を逃がさないように体をぎゅっと縮める。けれど、ほんの僅かな隙間風は何処からともなく入り込んで来て、その度に体が寒くて震えた。
 昔からそうだった。発熱は何の兆候も無く突然と来る。そして最も多いのが、このように寝ている間に急に襲われるパターンだ。体温が下がり過ぎて熱が出るのか、と疑われる事もあったが、特別寝相が悪い訳ではなく、寝ている間に布団がはだけるような事もない。感冒の流行りとも無関係でリンパ腺もいたって正常、外部からの理由はもう疑う点が一つも残っていない。心理的な理由も考えられるのだが、そういった理由での発熱は本人に心当たりがあるのが普通で、しかも大人になってからも続くようなものではないそうだ。
 このように、一般的に語られるような原因がことごとく当てはまらないのが俺の発熱の習慣である。ここまで来るともはやただの生まれつきの体質としか言いようがなく、治療すると言うよりも対策を施すと言った方がより相応しいだろう。熱が出ないようにするのではなく、熱が出たらすぐに冷ます。つまり、対処療法だ。
 程なくキョウコが水枕を持って戻ってきた。氷水の詰まった昔ながらの水枕を俺の頭の下へ敷き、額に冷却シートを貼る。それだけでも頭のうわついた感覚は驚くほど良くなり、口を通る吐息が少し涼しくなったように思う。
「解熱剤も飲んで。湯冷ましにします?」
「いや、水でいいよ。冷たいものが欲しい」
 医者から処方箋を貰い、自分で用意するいつもの解熱剤を飲む。解熱の効き目としては割と一般的なもので、特に胃への負担が少ないから重宝されている薬種だ。けれど、あくまでそれは今までに比べたらの話で、基本的に胃への負担はゼロではない。だから必ず胃薬と一緒に処方される。
「面倒をかけるけど、でももう少しだと思うんだ。そうしたらきっと、二度と熱なんて出なくなる。こんな手間もかけさせない」
「……私の事より、今は休んで下さい」
「でも、本当にもう少しだと思うんだよ。熱だって、前よりも出なくなってきたんだから」
 朧気な意識でそんな事をうわ言のようにキョウコへ繰り返す。自分でもまともに喋れていない事は分かっているのだけれど、どうしても口にせずにはいられなかった。相当熱にやられている。その自覚があり、キョウコもそれが分かっているため、俺の話は半分にしか聞かずてきぱきと毛布を直し飲み水の準備をする。それをぼんやりと眺めている内に、急に眠気が襲ってきた。うなされた疲れというよりも、薬の副作用による眠気だ。普通、熱があると寝苦しくなって酷くうなされる。それでも無理に寝ると悪夢にうなされ疲れるのだけれど、薬のせいによる眠気は分かっていても逆らえない。そして薬の眠りは、効き目が続いている間はどうやっても目が覚めない。それだけ悪夢が続くのだ。だから、夢を見ないほど深く深く眠れるようにと祈った。
 寝入りは非常に気分が良かった。まるで普段の就寝のように心地好く安らかだった。けれど、夢も見ないほど深い眠りでも、自分が寒さで震えている事と熱にうなされているのだけは分かった。寝続ける事は出来たがそれはあくまで続けられるだけで、少しも休まっている感じはしなかった。結局、薬は夢を見ない以上には効かなかったのだ。