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 翌週の中頃、俺は午後半休を取っていつものクリニックへ受診に向かった。クリニックの中の様子はいつもと何ら変わらず、同じ病院と言っても馴染みの場所は窮屈さが無くて落ち着く感じがした。如何にここが自分にとって生活の一部となりえているのか、それを実感せずにはいられない。
 いつものように受付を済ませ、待合室で自分の順番を静かに待つ。自分の名前が呼ばれたのはいつもと同じく三人目の受診者が出て来た後で、待ち始めてから小一時間経過したくらいだった。昼食を抜いて来るので丁度小腹が空いて来る時間帯である。
 小じんまりとした診察室と、ディスプレイを食い入るように見ながらカルテを打つ担当医、その後ろに控える看護婦という構図もまたいつも通りである。病院はどうにも世間と時間の流れが違うようだから、入院している間に自分が社会から切り離されてはいやしないかと不安になる。だからこの程度の事にも安心感を覚えてならない。
「キョウコさんから聞きましたよ。大変でしたね」
「ええ、まあ。流石に今回ばかりは予想外でしたよ」
 医者と患者というよりも、まるで長年の友人のような軽い挨拶を交わし、俺は向かいの椅子へ腰を下ろす。
「入院中、色々検査は受けましたが、やはり原因は分かりませんでした。体は健康そのものだけれど、発熱そのものの理由が考えつかないそうです。もしかすると、未知の潜伏型ウィルスなんじゃないかとまで言われました」
「流石にそうなったらうちでは手に負えなくなってしまいますね。ですが、あなたの場合は元々発熱の習慣がありますから、今回はそれがたまたま強く出ただけだと思いますよ」
「たまたま? たまたまであんな目に遭っていたら身が持ちませんよ」
 随分軽率な事を言うものだと一旦語気を強めるものの、すぐに以前の自分の愚行を思い出して感情を落ち着ける。いちいちこの程度の言葉尻を捕らえて苛立っていては、とても建設的な治療は行えない。
「どうも、ここ最近は発熱が酷くなっているように思うんです。突然かかるのは元からだけれど、症状はいつも夜に起こっていましたし、翌朝には必ず嘘のように下がっていました。それが最近では朝になっても下がらなかったり、挙句は今回の有様です。もしかして治るどころか悪化しているんじゃないですかね?」
「そうなると、全部私の責任になりますね。私の治療方針に問題があった」
「いえ、先生を責めている訳ではないんですよ。ただ、やっぱり何か根本的な解決が必要というか、現状の方針で本当に大丈夫なのかという不安はどうしてもぶり返してしまうんです」
「元々雲を掴むような病状でしたからね。けれど、ナノマシン化の効果が見えない以上は迂闊な事も出来ませんし」
「それなんですけれど。一旦落ち着いた事を蒸し返すようで悪いんですが、やっぱり、ナノマシン化をもっと進めた方が良い気がします」
「そうは言いますがね。そんな調子でナノマシン化を続けたら、体中の臓器という臓器が生身ではなくなってしまい、最後にはロボットのようになりますよ。あなたは現状でさえも相当にナノマシン率が高いんですから」
「脳が生身ならいいでしょう。脳だけはまだ代替え臓器が人工的に作れないんですから。それならロボットに含まれません」
「ロボット云々以前に、人工臓器も決して万能ではありません。そもそも、ナノマシン化した臓器に対する医薬品にも適合の問題があり必ずしも良い事ばかりと言えないのは、あなたも職業柄御存知のはずです」
「分かってます。全部、分かってますよ、そりゃ。でも、その上での事なんですよ。他に何がありますか。これだけ調べても原因が掴めないのに、症状が悪化まで始めたんです。もうそれぐらいしか手立てがありません」
「お気持ちは分かります。ですが、言葉は悪いのは申し訳ありませんが、それは素人考えにしか過ぎません。ナノマシン化が治療として正しかったのかどうか、それが揺らいでいる状況なのです。ここで根拠も無い強引な手段を取り、更に悪化させてしまえば、今度こそ命が危ぶまれますよ」
「確かに正論でしょうが……もう危うく死にかけてるんです」
「何かをしなければならない、と焦るお気持ちは分かります。ですが、だからこそ手段は慎重に選ぶべきです」
 自分でも、今回自分が死にかけた事で焦りを感じ、一度蓋をした話を再びテーブルの上へ乗せている事は自覚している。俺に限らず、一度でも死にかければ、その原因があるなら二度目が来る前に何とかしたいと思うのは当然だ。何よりも、助かるかも知れない可能性を放っておき座して死ぬような事態が一番恐ろしい。どれほど深い後悔を持って死ぬのか想像しただけで震え上がりそうだ。担当医の言う話も分かるけれど、漠然としていた死のイメージがここまで明確になった今、もはや理性で抑え続ける自信が俺にはもう無い。
 ナノマシンが駄目ならば、一体どうすればいいのか。そう思い顔を上げると、しばし考え込んでいた担当医がおもむろに口を開いた。
「どうでしょうか。この際一つ、違ったアプローチをしてみませんか?」
「違ったアプローチと言いますと」
「心理的な治療です」
「心理的? カウンセリングですか」
「心因性の発熱の可能性を探るのです。普段と違った環境で違った事をするなどして、気持ちの切り替えを図る」
「例の、発熱との付き合い方の方向へうまく丸め込まれてる気もしますが」
「手厳しいですね。でも、悪い手段ではありませんよ。何よりリスクが無い」
「まあ他に出来る事がないと言うのでしたら、従ってみますよ。これでも先生の事は信頼していますから」
「まだ信頼して頂けて光栄ですね」
 そう笑う担当医と、釣られる背後の看護婦。二人の表情を見て、これは嫌味だろうかと怪訝に思うものの、返答の言葉も無くただ苦笑いをこぼした。
「それで、具体的にはどのような事を? 仕事は休む必要はありますか?」
「そうですね、まだ方法までは考えていませんが、食事という形ならどうでしょうか」
「食事?」
「あなたとよく似た症状の方とです」