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 その晩の夕食は、お互い早く帰宅した事もあって、いつもよりも少し早い時間になった。今夜のおかずは、普段なら手間の関係であまりやらないトンカツだった。キョウコもたまには手をかけようと奮発したのだろう。付け合わせのキャベツや、煎り胡麻の香りが何とも食欲をそそる。
 一旦先に風呂へ入り、上がった頃には夕食の準備は整っていた。せっかくだからビールくらい飲みたいとも思ったが、そこは最近の体調を考えて自粛し、良く冷えたアイスティーにしておく。どうせ肝臓もほぼナノマシン化していて余計な脂肪がついたりなどしないのだけれど、あの発熱に限っては何が原因か分からないのだから、慎重にしておいた方が良い。
 二人が揃った所で夕食を始める。早速カツを頬張ると、なんとも心地好い風味と食感に唸りそうになった。揚げたてという事もあって、豚肉も柔らかいし衣もさくさくと歯触りが小気味良い。自然と箸の進む旨さだ。一方でキョウコは俺とは違って少しずつゆっくりと味わっている。単に俺が早食いのせいもあるが、キョウコはじっくりと噛んで食べる質だからだ。そのため、食事中の会話は割りと後半が多い。
「今日の病院ではどうでした?」
「ああ、何かこれまでとは違った治療をしてみないかって勧められたよ」
「違った治療?」
「ちょっと変わってるんだけどさ。どうも俺と同じような症状の人がいるらしくて、それでその人と一緒に食事をどうかって」
「食事ですか? 確かに変わっていますね。でも、何故食事なのでしょうか」
「さあね。心理的なものが云々ってことらしい。カウンセリングの一種なんだろう。集団で何かするようなやつ。俺、医者に言わせると今はナーバスになってるっていうからさ。まあ、あの先生は今までずっと色々やってくれてたから信頼出来るし、とりあえず試しにやってみようと思ってる。どうなるのかは分からないけれど、副作用みたいなリスクは無いそうだし」
 それならば良いのではないでしょうか。おそらくナノマシンに関わらない治療だからだろう、そうキョウコは特に難色を示す事もなく賛成した。実際の所、単なる会食にどれだけ効果があるのかも分からないのだが、これまでの実績からキョウコもあの担当医は信頼しているのだろう。もっとも、単に自分が嫌うナノマシン化についてあまり積極的ではないから、という理由だけなのかもしれないが。
「それで、日時は何時になりますか?」
「いや、まだ何も決まってない。そもそも向こうの了解を取るのもこれからだってさ。お互い合意が取れれば、いつか都合のいい日で調整を付けるんだと。まあそういう事だから、まだ打診段階の話だね」
「そのお相手の方はどのような方達か聞いていますか?」
「まだ何も。ほら、合意がまだ取れてないんだから、個人情報は出せないだろ」
「それもそうですね。お話の合うお相手ならば良いのですが」
「大丈夫、まあ何とかなるさ。俺、普段から仕事で話の合わないのも相手にしてるんだから」
 とは言っても、同じ症状で悩む人であれば、出来れば気の合う人物であって欲しいと思う。定期的に発熱する原因不明の症状など、世界でも俺一人ではないかとずっと思っていたのだ。中々理解されにくいこの辛さを共有出来る相手とは、是非とも親交を深めたい所である。
「私は専門的な事は分かりませんが、これで何か治療の切っ掛けになれば良いですね」
「正直俺も、ただの会食でどう治療に繋がるのか分からないけど、結局は医者の言う事が正しいもんだからなあ。どうにかなってくれるといいんだが。でも本当は、そんな事よりもナノマシン化を再開したかったんだけどね。体の何もかもをナノマシン化してしまえば、絶対に熱なんか出ないように制御出来るはずなんだよ。人間の体で自発的に熱を出す器官なんて限られてるんだからね」
「イサオさんはもう十分過ぎるほどしているじゃありませんか。過ぎたるは及ばざるが如し、ですよ」
「過ぎたるとは言ってもまだ熱は出るし、入院までする羽目になったじゃないか。だから何とかして欲しいって頼んだんだけど、これ以上続けたらそれこそロボットになるぞって言われたよ。でも、本当にロボットなら変な熱も出ないんじゃないかな。それに、最近の酷い物忘れも無くなるかも」
「そういう事を仰るのは、冗談でもやめて下さいと申し上げたはずです」
「何だよ急に、怖いな。分かってるって。俺だってそんな事はしたくないよ。一応人間でいたいからね。脳だけは生身にするつもりさ。ほら、脳だけは人工の臓器がまだ無いだろう?」
「……そうですよね」
「今度は急にしおらしくなったな。何かあったのか?」
「いえ、何でもありません」
 それが何でもない顔だろうか。そう疑問に思ったが、無理に問いただした所で空気が悪くなるだけだから、その辺でこの話題は終わらせる。キョウコにはキョウコの健康論のようなものがあって、そこだけはいつも俺達は衝突する。前のように、本音を下手に飲み込んでこじらせるよりはずっといいのだろうが、やはり衝突した時の気まずさや空気の悪さには慣れない。