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「何とかもう少し答えては貰えませんか? せめて、本当に俺に関係あるのかどうかぐらい教えて貰わないと困ります」
「関係と言われましても」
「無いはずはありませんよね。でなければ、どうしてコルチレートが私の発熱にも効いたのですか?」
「もしかして、アクツさんからは薬までも?」
「ええ。ですから先程話したように、先週に熱が出た時に実際に服用してみましたよ。結果、熱は驚くほどあっさり下がってくれました。つまり、入院するような事にならなかったのは、そういう事です」
「……でしょうね。あなたの発熱の原因は、アクツさんと同じなのですから」
 原因という言葉をぽつりと漏らした担当医に、俺は嫌な胸の高鳴りを覚えた。これだけ効果的に熱を下げる薬の存在を黙っていただけでなく、ずっと特定出来ていなかったはずの発熱の原因まで実はとっくに掴んでいた事に、少なからず裏切られたような心境になりショックを受ける。担当医の態度は開き直ったように見えなくもないが、どこか苦悩の色も見え隠れしており、そこから更に声を荒げて尋問する気にはなれなかった。
「先生、私は別に非難するつもりで今日来た訳ではありません。ただ、どうしてコルチレートの事を隠していたのか、その理由を知りたいだけなのです。別に、私の寿命が残り僅かなどと言われても、今更驚いたりはしませんよ。そういう告知なら、ずっと昔に覚悟していますから」
「いえ、あなたの健康に関しては、今のところ直近で生死に関わるようなものはありませんよ」
「では、薬といい告知といい、これは何なのです? 私にもアクツさんのように告知しなければならないような事がありそうに思えるのですが、コルチレートまで実際に試したこの状況でもまだ話せない事なのですか?」
「告知をするのが、私達、と話したように、私の一存では決められない事なのです」
「では、許可を取って下さい。見ず知らずの人という事では無いでしょう?」
「それは……」
 いや、だが、しかし。担当医は繰り返し溜め息混じりにそんな曖昧な言葉を繰り返す。アクツ夫人同様に、俺にも重大な隠し事がなされていた事は少なからずショックなのだが、こうも言葉を躊躇う担当医の様子から、果たして自分は本当にこのまま事実を追求して良いものなのかと、疑問と不安を覚えずにはいられなかった。知らない方が良い事もある、そんな観点をこれまでは否定的に見て来たのだが、いざ自分がその立場になると、事実を知る事の恐ろしさが身に染みて来る。
「分かりました。ともかく、私達の方で一度相談をしてみます。その上で、次回に話せる所までお話いたしましょう」
「全てでは無いのですか?」
「私達にはそれぞれ考え方があります。そして、そのどれをも尊重した上で告知のタイミングを考える、そういう取り決めなのです」
「でも、あなたは医者ではありませんか。普通は医者の考えが優先されるべきでは? それとも、他の方々というのも医者なのですか?」
「いいえ、違います。ただ御理解頂きたいのは、私達は皆、アクツ夫人の事もあなたの事も、とても大事に思っているという事です。でも、それぞれ立ち位置が違うため、意見が異なる事が多々あるのです」
「まるで私の身内の事を言っているような話に聞こえますね」
「そうでしょうね」
 また、否定も肯定もしない担当医の言い草に、思わず舌打ちをしそうになった。しかし、彼がそういう言い方をする時の理由は、ある程度分かっている。それは、自分にとって都合の悪い部分に踏み込まれた時だ。これ以上触れられたくないし、俺に当てずっぽうで正解を当てられたくないから、素っ気無い言い方になるのだ。
 一体担当医の言う私達とは誰の事なのか。コルチレートや告知の内容と同様に、無造作に放っておけるようなものではないのだが、ここにまで踏み込んだら切りがない。今回はこれ以上の追求はやめておく事にする。
「何だか、思ったよりも重い状況になってきましたね。今日は、薬の事だけ聞ければ良かったつもりなんですが。まさか、私にまで告知とやらの隠し球があるとは思いも寄りませんでした」
「それだけ、あなたに対しての隠し事が多かったという事です。初めはもっと少なくて小さな事だったのに、やはり時間をかけ過ぎたせいなのかもしれませんね。いつの間にか事態がこれほど大きくなってしまった」
 担当医の言わんとする事は、理解出来そうでも今ひとつ要領を得ないものに聞こえた。彼とはそこまで長い付き合いではなかったはずなのだが、まるで何十年もかけたかのような、妙な重苦しさが伝わって来る。
「では、そろそろ帰ります。他の患者さんの時間を押しても仕方ないですから」
「そうですね―――あ、いや、ちょっと待って下さい。最後に、今度はこちらから一つ訊ねても宜しいですか?」
 担当医の申し出に、おやと小首を傾げながらも、出ようとした足を留める。担当医から改まって訊ねられるのは珍しい事である。どんな質問が飛び出すのかと、一瞬直感的な不安が脳裏を過ぎった。
「何でしょう?」
「昔の記憶は、未だに全く思い出せないのですか? 何一つも」
「ああ、例のストレス性の健忘症の事ですよね。ええ、全く。でも、あまり気にはしていないんですよ。今はもう」
「それはどうしてですか?」
「本当に忘れたくない事は、まだ覚えているからですよ。おっと、ちょっとキザでしたかね」
「そうですか……」
「それが何か?」
「いえ、何でもありません。お手間を取らせました」
 自分ではわざとおどけて空気をほぐしたつもりだったのだが、担当医の表情はまるでにこりともせず厳しいものだった。まるでこの世の終わりでも来るかのようである。
 医者としての責任感からなのかも知れないが、そんなにまで落ち込む事もあるまい。そう、俺は担当医の仕草が少しばかり可笑しく思えた。