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「なあ、キョウコ。一つ訊いておきたい事があるんだが」
「何でしょうか」
「ずっと俺の事は、言い方は悪いが、騙していたのか? 幼なじみだったなんて素振りを隠して」
 なんて言い草だ、そう自分でも思う。キョウコがどういう気持ちでいたのか、分からなくとも想像くらいは幾らでも付けられる。だけど、今の俺にとってはそれが正直な気持ちだった。どうせなら、自分は記憶がどんどん消えている事を、もっと早く知りたかったのだから。
「そうです。そのつもりです。嘘も沢山つきましたし、薬も黙ってこっそり飲ませました」
「そうだろうな。記憶が消えても、時々にでも飲まなきゃ熱が出っぱなしになるんだもんな」
「そうです。ですから、私は特に謝りません」
 先制攻撃とばかりに、見事に突っぱねられた。別にこちらから何も要求していないというのに。普段は人に合わせるくせに、時々スイッチが入ったように頑固になる。キョウコらしくて可愛さすら覚える。昔からこうだったのだろうか。それが二度と思い出せない事であるのが悔やまれる。
「分かったよ。二人の言うことは信じる。たけど、本当に何一つ覚えてないんだ。だから、急にどうこうする事は出来ない」
「それで構いませんよ。今は今で、イサオさんには違わないのですから」
 でも、本当に幼なじみならば、相応の距離感に収まるのが自然ではないのだろうか。昔の記憶がなくては、キョウコはともかく、大して長い付き合いではないと思っている担当医などとは、どうしても一定の距離を取らざるを得ない。
 記憶が無くなった以上、本質は彼の幼なじみのアクツイサオとはまるで別人なのだ。それに気付かない振りをして気さくに呼び合うなど、そういう腹芸は到底無理である。
 ただ、記憶が戻る当てもないのだから論じても仕方のない事だけれど、未だ涙の引いていない彼を見ていると、何かしてはやれないのかとどうしても模索してしまう。何か答えはあるとは思う。それは簡単には見つかるものではないだろうけれど。
「告知はこれで全部か?」
「いいえ、まだです」
 もう十分だろう、と思わず口に仕掛ける。既に大分気持ちは堪えているのだが、この上まだ重い事実があるというのか。とてもこれ以上は飲み込む自信がなかった。
 キョウコはおもむろにアクツ氏へ視線を向ける。そう言えば、まだ彼からは何の話も聞いていない。ここに来ているのは、やはり告知絡みなのだろうか。
「いえ、私は……」
 キョウコに水を向けられたアクツ氏だったが、遠慮がちに首を振ってそれを断る。アクツ氏もまた俺に告知する事があって今日は来たのだろうが、どうして今更遠慮する事があるのだろうか。俺の記憶が消えている症状の事はもう二人が話したのだから、もう随分話しやすくなっていると思うのだが。この期に及んでこうも躊躇うという事は、それだけ重大な事実でも隠しているのか。
「ですが、もうここまで話したのですから」
「いや、しかし。私は、もうこのままの方が良いと思って、今の生活を選んだのですから」
「ですが、告知する事には同意して頂けたではありませんか」
「それはそうですが……。やはり、このままの方が幸せではないのかと思います」
 アクツ氏は、自分の告知は行わない方が良いと言う。だけど、今更この状況で俺に知るなと言う方に無理がある。一体何を隠しているのかは知らないが、確かに既に事実を咀嚼するだけで手一杯ではあるけれど、半端に事実を知っているだけというのはやはり苦痛である。
「構いませんよ、私は。どんな内容であれ、あなたを責めたりはしませんから」
 少しでもアクツ氏が話しやすくなってくれるようにと、俺の方からも誘いをかけてみる。その声に、おそらくうっかりしたのだろう、一瞬だけ俺に視線を合わせ、またすぐさまあさっての方向へ逸した。
「私が責められる分には構わないのですよ。私が気にしているのは、そういう事ではないのです」
「私がすぐに受け入れられない事実をわざと隠していた、という事ぐらいは分かりますよ。大丈夫です。何とか受け入れますから」
「そうですか……」
 それでもまだアクツ氏は、自分が話す事に逡巡し続ける。けれど、そこから幾らもしない内に決心を固めたらしく、これまでずっと合わせないようにしていた視線を俺の方へ向けて来た。
「本当は一生関わらないようにしようと思ってた所なんですが……。その方がお互いのためでもあるし、きっと幸せだと思ってました。いや、今でもまだその気持ちの方が強いです」
 アクツ氏はすっとイスから立ち上がると、ベッドに腰掛ける俺の前へやって来た。そして、
「もう覚えていないだろうが、私はお前の父親だ」
「は?」
「二度も言わせるな」
 突然と朴訥な口調で早口にそう言い放った。表情もまた、普段の無表情より幾分厳しめなものに変わっている。おそらくこれが普段の表情なのだろう、何となくそう思った。
「父親って……、じゃああの女性は」
「お前の母親だ。そして、彼女自身もお前の事は覚えていない」
「覚えてないって、息子なのに?」
「お前も、親の事は忘れてしまっただろう」
 確かにその通りだが、それは普通ではない事情によるものである。合法ではない治療や、一般的ではない薬の副作用と、そういったものが重なった結果である。
 つまり、俺と同じ症状という事は、
「その、母さん? あの女性は、俺と同じ症状という事?」
「ほぼ、な。正確には少しばかり事情が違う。あれは、お前のように発熱の症状は元々無かったのだ」
「じゃあ何で? コルチレートも持っていたのに」
「お前に飲ませる薬の、臨床試験をやった人間がいるのを覚えているか? それが母さんだ。そして試験をしたのは薬もそうだが、お前が受けた非合法な手術というのを先に受けている。もっとも、あれが私に無断で受けたのだがね」
「同じ手術って、なんでまた? 発熱を起こしたのは俺だけなんだろう?」
「そうだ。だが手術は成功するのかどうか、どんな後遺症が出るのかも分からない。だからあれは、お前のための捨石になったんだ。どういう薬が効いて、どういう薬は効かないのか、それを医者に自分の体で確かめさせるためにだ」
「捨石って、なんでまたそんな事を……。そこまでしなくても、薬の調整くらい何とかなるもんじゃないのか? 大体にして、その非合法な手術って一体」
「ナノマシン化だ。脳そのものの」