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「冗談で言ってる訳じゃないよな?」
「普通はそう思うだろう。だが、事実だ」
 俺の脳は既にナノマシン化している。全く持って冗談ではない、そう俺は声を上げそうになった。
 これまで俺は、熱ばかり出して倒れるような体など、悉くナノマシン化してしまえばいいと考えていた。ナノマシンの方が遥かに生理を管理しやすく、原因の分からない熱も抑えてしまえると期待していたからである。けれどその一方で、脳だけは唯一生身であるべきだとも思っていた。何故なら、脳が自分たちというものを形成する最も重要な器官で、それが生身であることが人間である基準になるからだ。どれだけ内蔵を作り物に置き換えても、脳さえ生身ならロボットの範疇にくくられない。自分を自分と認識する自我は、生命の神秘のままであるのが正しいのだ。
 だが、そんな俺の持論を真っ向から否定してしまった、アクツ氏の告白。俺の持論は決して特殊なものではなく、内臓は人工物になっても脳までは自然の方がいいという考え方は、極々一般的なものだ。だからこそ、この事実を伝える事を最後まで躊躇ったのだろう。
「まさか、そんな。脳をナノマシン化して成功したなんて話、聞いた事がない」
「当たり前だ。技術的に可能かどうか、法律で認められているかどうか以前に、誰もそんな発想はしない。表面だけ見れば、非人道的な実験そのものだからな」
「じゃあ、何で俺は」
「他に手段は無かった。見捨てるぐらいしかな」
 いつの間にか自分の口調が他人行儀のものではなく、まるで家族や親しい友人にするようなものに変わっている事に気がついた。それに釣られたのかどうかは分からないが、アクツ氏もこちらの口調に合わせたものに砕けている。本当に俺の父親ではないか、そう確信してしまいそうになる。
「それで治ったって事は、原因は脳にあったのか?」
「いや、脳自体は発熱はしない。本当に発熱の原因は全く分からなかったのだ。それに、重要なのは発熱の原因ではなく、発熱により脳が受ける影響だ。ナノマシン化したのは発熱の原因を治療するためでなく、ナノマシン化することで何とか高熱に耐えようという試みのためだ」
「じゃあ、今は何で熱が出るんだ?」
「拒絶反応だ。術後に起きた異変というのは、まさにこの事だ」
 拒絶反応、つまりナノマシン化した俺の脳は、体にとっては異物として見なされたということ。だから、コルチレートは効果を表したのだ。拒絶反応に免疫抑制剤、組み合わせとしてはごく当たり前のものだ。
「母親も、こんな感じなのか?」
「いや、お前よりもずっと酷い。前に見ただろう、たった一人の息子の事すら忘れてしまってる」
「何で俺より酷いんだ? 同じ手術と薬なのに」
「お前よりも薬を飲む量が多いからだ。体力が無い分、どうしても早めに飲まなきゃいけない。ああなってしまったのも、そんなに最近の事じゃない」
 感情の読めない表情で話すアクツ氏の言葉を、実際のところ半信半疑で俺は聞いていた。確かに名字が同じだけれど、本当にアクツ氏とアクツ夫人が自分の両親なのか、どうしても確信が持てなかったのだ。だけど、話の内容には一つも不自然なものや違和感は感じない。むしろ違和感は、この期に及んで未だに告知を信じ切れない自分にこそ感じる。どうして俺は三人の話を完全に信じてやれないのか。それほどに、記憶を無くすという事は重大な問題なのか。
 信じて貰えない話を続けるアクツ氏は、一体俺に何を思っているのだろうか。それを想像した時、先ほどのアクツ氏の言葉を思い出した。知らないままの方が幸せだ。アクツ氏は俺に信じて貰えない事を分かっていたから、その上で話さなければならなくなる事は辛い。幸せかどうかは、決して俺だけの事を指しているのではないのだろう。
「あのさ、今更なんだが訊きたい事があるんだけど」
「なんだ?」
「結局、この告知は何のためなんだ? 別に俺が知らないままでも、何も問題は無かったんじゃないのか?」
「そうかも知れない。だが、状況も変わってきた。もしかすると、コルチレートの副作用を隠し続けるよりも、前向きに受け入れた方が幸せになれるかも知れない。そういう結論での事だ」
「もしかすると? そんな曖昧な理由で?」
「また消去法なんだ。黙って見殺しにするよりも、一か八か違法な手段でも取ってみるべきだった。今もそうだ、コルチレートを飲ませ続けて知らぬ間に廃人同然にしてしまうより、本人に選択肢を与えた方がましだ」
 俺は発熱のせいで選択肢そのものが無くなってしまったのだろう。妥協ですらなく消去法でこうなってしまった事は、理不尽に思うし納得も出来ない。けれど、誰かのせいに出来る事でも無いのは分かっているし、そこまで分別がない訳ではない。だから理不尽に思っていても、結局は今まで通りじっと耐えるぐらいしかないのだ。
「もう一つ。俺は昔、なんて呼んでたんだ?」
「おい、とだけ。子供の頃は父さんと呼んでたんだがな」
「反抗期だったのか? 酷い息子だ」
「全くだ」
 そう答えたアクツ氏の口元が、ほんの少しだけ綻んだのが見えた。