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 アクアリア国の大使館は、首都のほぼ中央に位置する、一等地と思われる一画に構えられていた。正門には数名の武官が並び、物々しい雰囲気に包まれている。俺達が乗っている馬車は明らかな公用車にも関わらず、一旦停止の後にドアを開けてまで車内を確認していった。確かに大使が言った通り、ストルナ市の件はかなり切迫しているようである。
 馬車は正面玄関の前に着けられ、そこで俺達と他の職員は降ろされる。ルイ達の馬車はそのまま通り過ぎていった。彼女らは職員ではないため、先に宿舎の方へ行くそうだ。
「ふむ、なかなかのものだね」
 大使館の本館は、思わず圧倒されるほどの大きさと優美さを兼ねた、非常に迫力のある建物だった。白い建築材を多く用い、セディアランドの何時かの時代の文化を現代風にアレンジして建てられている。単純な高さだけなら、聖都の庁舎に匹敵するだろう。しかし、建物の優美さに見合うように作られた庭は、ここだけにしか無いものである。
「閣下、それでは執務室へ参りましょう。御案内いたします」
「おや、ハミルトン君は来たことがあるのかね?」
「先月、下見のために出張しておりましたから」
 ハミルトンの案内で建物の中へと入る。玄関をくぐると、まずはエントランスホールへ出た。ホールの中心には大胆にも白樺が植樹され、その周囲だけが特別に囲った中庭のようになっている。最上階まで吹き抜けの天井は、頂点がガラス張りになっているのだろう、丁度真下に位置する白樺へ日光が降り注いでいる。内装は、群青の壁材を敷き詰めて壁と天井の境界が限り無く曖昧に仕上げてある。三階の辺りから天井まで螺旋階段が伸び、その手摺りは黒い材木を格子状に組んだ、独特の雰囲気を醸したものになっている。現代風のセンスとでも言うのだろうか、大使館の内装にしては随分突飛なものばかりだと俺は思った。特に白樺は、火を点ければ簡単に燃える樹木だから、室内に植えるのはどうかと思う。
 ハミルトンの案内で建物の更に内部へと進んでいく。廊下は大使館付きの職員が慌ただしく行き交っており、こちらの姿を見掛けると一旦足を止めて礼をするものの、またすぐに何処かへ行ってしまう。やはり、例のストルナ市の事件の対応に追われているのだろう。
「みんな忙しそうだねえ。そう言えば、出迎えが無かったね。僕、ここで一番偉い人なんだけど」
「こういった状況で、スタッフ一堂多忙を極めていますから。今後も含め、虚礼は廃止の方向とさせて頂きます」
「虚礼、ね。なんか悲しくなる響きだねえ」
 執務室は、慣例に従って二階の一番奥に設けられていた。奥まった場所にあるのは暗殺等の事件を防ぐため、二階なのは火事の際に容易に避難出来るためである。
 執務室は内装だけならラングリス時代と大差無かったが、間取りの広さは倍以上はあった。今現在、此処に常時詰める事になっているのが、大使と他我々三名だけである。それだけでは、とても持て余しそうな広さだ。
「流石、アクアリア国の大使館ともなれば、部屋の規模が違いますね。如何にも昇進したなあ、と思えますよ」
 クレイグは実に嬉しそうに、早速部屋を歩き回りながら所感を述べる。俺にも同様の思いがある。これまでの任地だった南ラングリスは、セディアランドからしてみれば重要国という訳ではなく、外交の規模も非常に狭いものだ。しかし、アクアリア国は様々な利害関係が絡み、国力もほぼ同等の最重要国の一つである。大使という職自体に上下は無いが、小国と大国、どちらを任されているかに優劣を付けるとしたら、自ずと答えは決まってくるはずである。
「さて、次は我々の荷物の搬入かな。僕の持ってきた赤鹿の剥製は、何処に置こうかな。大使の特権だよね、税関通さなくてもいいんだもの」
「それも結構ですが、業務の事も忘れてはなりません。今夜、早速政府首脳陣から晩餐会に招待されております。そのため、国情の予習とスピーチの暗記をして頂かないと」
「おっと、そうだったね。ま、大体覚えたから大丈夫だよ。それと、サイファー君」
「はい」
「早速だけど、キミ、明日にはストルナ市へ向かってね。例の件、宜しく。ハミルトン君が手配してくれるから、今日はもう宿舎に帰って新居の整理をすると良いよ」
 いつもの軽い調子で話す大使、だが、傍らのハミルトンの表情は露骨に曇った。明らかに、仕事を増やされたという反応である。
「分かりました。本業ではありませんが……何とかうまくやってみます」
「宜しく。それと、クレイグ君。予算執行の白紙ある?」
「ああ、はい。こちらに」
 クレイグは手元のファイルから一枚の用紙を取り出すと、それを大使へ手渡す。大使は胸ポケットから万年筆を取り出すと、用紙にさらさらと何か書き込んでから俺へ述べて来た。
「それがあれば経費は引き出せるから、好きに使っていいよ。どうせ、無駄使い出来ない性格でしょう?」
「必要であれば、幾らでも使いますが」
「いいよいいよ。レイモンド一族を敵に回したり、歴史の教科書に大戦の口火を切った大使と書かれたりするより、遥かにマシだもの」
 そう冗談めいて笑う大使だったが、その言葉の行間には、様々な言葉が言い含められているような気がしてならなかった。
 何にせよ、俺の目的は騒動の鎮静化ではなく、状況の調査と、一部の工作活動である。口八丁で弁を回す仕事よりは、遥かに自分に向いているものだ。