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 翌朝、俺は早くに紺碧の都から出立した。目的地のストルナ市は、紺碧の都から幾つか馬車と船を経由しなければならず、到着したのは翌日の日も暮れようという時間帯だった。
 ストルナ市へ続く舗装路は、セディアランドの聖都とは違って驚くほど閑散としていた。道路自体は広めに作られ、整備も良くされた立派なものである。にも関わらず、人や荷馬車の行き交いが圧倒的に少ない。此処へ来るまでの馬車も、ストルナ市は付近までしか行けないと言い、俺は途中で下ろされている。おそらく、既にストルナ市に布陣している陸軍の管理下に来ているのだろう。
 程なくストルナ市の郊外まで差し掛かると、鉄条網と柵を張り巡らした検問所に行き当たった。その付近には、槍を持った兵士が数名と騎馬が三頭、いずれもアクアリアの正規兵である事が窺える。
「止まれ!」
 検問所へ近付くと、案の定兵士の一人に不穏な雰囲気で制止された。すると一斉に他の兵士が俺の方を凝視する。槍や剣を構えはしていないが、必要に応じてすぐさま行動出来るといった様子である。俺は素直にそれに応じ、その場で足を止める。
「ストルナ市は現在、アクアリア陸軍の管理下に置かれている。素姓と訪問目的を伺おう」
「私はセディアランド大使の私設秘書官、サイファーだ。訪問目的は外交特権で開示には応じない」
「セディアランドの外交官? 身分を証明出来る物はあるか?」
「ああ、此処にある」
 俺は内ポケットから身分証を取り出すと、ゆっくり彼らの元へ近付き、それを見せる。兵士は非常に疑い深い様子で、穴が空きそうなほど見回した。与えられた任務に忠実な兵士だと俺は思った。彼らの上官は、よほど有能で信頼が厚いのだろう。
「本物のようだな。念のため訊くが、行き先は総領事館か?」
「黙秘する外交特権があると言ったはずだが」
「ストルナ市は陸軍の管理下にあると言ったはずだ。不審と思われる行動を取れば、すぐさまそれなりの対応を取る事を意識的して貰いたいという事だ。重要な仕事であれば、余計な寄り道をせず総領事館へ向かう事を勧める」
 それはつまり、例え外交官であろうと、外交問題へ発展するのを承知の上で拘束する事態も有り得るという事なのか。それとも、セディアランド人に対する脅しか。
 どちらにしろ、ストルナ市は情勢が不穏とは聞いているが、どうやら想像以上に逼迫した状況下にあるようである。
「御忠告、感謝する。では失礼」
 絶え間なく注がれる彼らの視線を全身でひしひしと感じながら、俺は足早に検問所を抜けた。
 市街地へは検問所からさほど時間も掛からずに辿り着いた。ストルナ市はアクアリアの地方都市ではあるが、セディアランドの総領事館が設置されるだけあって、紺碧の都とほぼ変わりない程に栄えた近代的な都市だった。街並みはきちんと区画が整理され、高く美しい建物が通り沿いにずらりと立ち並び、よく手入れされた街路樹が瑞々しい光を放っている。しかし、街の中は驚くほど閑散としていた。人の往来がほとんど無く、商店もほとんどが閉まっている。代わりに、先程と同じ風体の兵士が小隊で街を練り歩いているのが見えた。彼らの監視のため、市民が息苦しい思いをしているのだろう。
 陸軍による半戒厳令状態らしいが、これではまるでクーデター直後の様相である。検問所の兵士が言った事も、あながち冗談では無いようである。俺は念のため、身分証を提示し易いように再度確認する。
 まずは、何が無くとも総領事館へ向かわなければいけない。しかし、客待ちしている馬車は一つもなく、場所を訊ねようにも人も店も無い。取り敢えず、おおよその地理だけでも知っておこうと、目に付いた観光案内の看板の前で足を止めた。
 このストルナ市は主に商業が盛んで、街の至る所に自由市場や専門店街が設けられている。そのため、外部からの出入り口となる道も多く、おそらくその全てに検問所は設置されているだろう。総領事館の場所は、流石に観光案内には含まれていなかった。確かに、あそこへ駆け込む用事のある人間は限られているのだから、わざわざ明記はしないのだろう。
 しかしこれでは、何とも身動きが取れない。取り敢えず、街を歩いて店か人かを見付けて訊ねる他無いだろう。
 そう思いながら、通りを当てもなく歩き始めた。
「そこの男、何をしている」
 それから間もなくの事だった。
 突然強い口調で背後から呼び止められる。振り返るとそこには、警邏中の小隊らしい三人組の兵士が立っていた。さり気なく、後方に構える一人が腰の剣に手を掛けている。明らかに不振人物への応対だ。
「私は、セディアランド大使私設秘書官のサイファーという者だ。これから総領事館へ向かう所なのだが」
 先手を打つように、早々に身分証を提示しながら答える。すると、俺を呼び止めたリーダーらしき兵士が、またしても身分証を食い入るように見詰め検分する。
「貴殿は外交官でしたか。失敬。しかし、総領事館でしたら方角が違います」
「そうでしたか。何分、ストルナ市は初めての事で」
「よろしければ、我々がお送り致しましょう。今、馬車を用意させますので」
「そうして頂けると助かります」
 兵士に絡まれ面倒な思いをするかと思いきや、予想外の幸運である。この街の状況はともかく、何も兵士達は規律も無く占拠している訳ではないのだから、そこまで警戒しなくとも良かったのだろう。しかし武具を携えた相手とは、例え振る舞いが紳士的だったとしても、どうにも警戒心を解くことが出来ない。それはおそらく、ラングリスでの一件のせいだろう。