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 ほとんど初対面のような人達と食卓を囲む事は、これまでもそう何度と無かった。一番困るのは話題による禁忌で、場の空気をうっかり悪くしてしまわぬようにと、自然と会話が受け身になってしまう。特に今回は、リチャードの身分や職務があまりに重いものであるため、尚更慎重にならねばと緊張感が増す。彼の機嫌を損ねる事をしてはならぬと、深く釘を差されている身の上なのだ。
「おっと、失念していました。サイファー殿は彼とは初対面でしたね。御挨拶を」
 リチャードに促されると、俺の向かいの席に着いていた寡黙そうな青年は、そっと音も立てず静かに起立した。
「初めまして。自分はジャイルズ、二等理事官です」
「大使私設秘書官のサイファーです。どうぞ宜しく」
 ジャイルズと名乗った青年は、簡潔に挨拶だけを済ませて再び席に着いた。必要な事だけを行う、かなり寡黙なタイプの人間のようである。初対面では特に取っ付き難いタイプの人間だ。
「では乾杯としよう。給仕も居ないこういった集まりですので、各人手酌で申し訳ありません」
 他の者が動き出すのに合わせ、俺もそれぞれに用意されたデキャンタからグラスへワインを注ぐ。リチャードだけはドナが注いでいた。午前中の聴取の時に聞いた二人の関係を思い出し、あれも事実なのだなと思う。
 乾杯の後、各々に食事を始める。初めから全ての皿が並べられているため、食事の順番もそれぞれ自由なのは俺にも気楽で良かった。横目で周囲を窺うと、皆本来の順を無視して自由に食べているのが分かった。会食に慣れているはずの彼らがそうなのだから、食事のルールを厳守する事へのこだわりは、元々持っていないのが普通なのかも知れない。
「さてサイファー殿。本日お呼び立てした理由はお分かりになりますか?」
 和やかな雰囲気が続いていたが、ふとリチャードがグラスを弄びながら、そんな事を訊ねて来た。不意打ちのつもりだろうか、と身構えつつ、俺は平静さを繕って返答する。
「ここの皆さんは、決闘同好会の会員であり。そしてリチャード公使、あなたがその会長である、といった所でしょうか」
「御明察。では、我々の活動が非合法なものである事も承知のはず。こうしてそれを明かす理由も、御承知ですね」
「ええ。アクアリア軍との交渉使節の件、先にお返事した通り、間違いなくお引受け致します」
「結構。流石にあのフェルナン大使が引き抜いただけの事はありますね。話が早いだけでなく、決断力も違う」
 微笑みながらグラスを傾け、空になったそれに再びドナが注ぎ足す。一見気さくに振る舞っているようで、俺が敵になるのか味方になるのかを吟味しているように感じた。どちらになる気もさらさらないのだが、今は嘘でも味方する素振りを見せた方がいいだろう。
「少し、我々について少々お話いたしましょう。今日、此処に集まったメンバーは、決闘同好会の創立時の者達です。今はジョエルが欠けていますが、この五名によって会は発足し活動を始めたのです。活動を行う日は、ほぼ我々全員が出席していました。そういう決まりを作った訳ではありませんが、何が起こるのか分からない活動の性質上、自然とそうなっていました。運営も我々が中心になって、役割を分担しながら行なっています」
「会の主旨は何なのでしょうか? 私には、このような危険な活動を敢えて行わなければならない、何か切迫した理由があるようには思えませんが」
「一言で言い表すなら、精神の鍛錬ですよ。人間は、緊張状態にある時が最も力を発揮し、成長します。その緊張が強ければ強いほど、より鍛錬される訳です。私は命を掛けた決闘を通して、自らをより強く高めたいのです。彼らは、その賛同者なのですよ」
「しかし、何もあなた程の方が、そこまで危険な事をしなくとも。凡百の身には理解が追い付きません」
「だからですよ。私は恵まれた環境に生まれ育ちましたから、欲しい者は簡単に手に入る。望むだけで手に入るなんて、あまりに張り合いがない。人として虚しい事ではありませんか。けれど、決闘は一対一の純粋な勝負、その場に限っては誰もが非常に平等です。こんな素晴らしいものは他にありませんよ」
 生まれつき何不自由なく育ってきたから、逆に平等というものに強く憧れていたのだろうか。そんな分析を頭の中で巡らす。命を落とす危険のあるような行為に出てしまうのも、止ん事無き生まれ故の無邪気さなのかも知れない。
「主旨については分かりました。やはり、私には少々高尚過ぎるようです」
「ああ、入会の強制をしようという訳ではありませんよ。会の主旨に反しますから。それに、あなたに怪我でもさせたら、奥さんにも申し訳ないです」
 決闘同好会について話すリチャードは、驚くほど朗らかで楽しそうな様子に見て取れた。初対面の時は非常に威圧的で、こちらの行動を露骨に制限に来たのだから、おそらく非常に後ろめたい事があるのだと憶測していたのだが。少なくとも決闘同好会の存在は、違法性についてはともかく、そのものを後ろめたくは思っていないようである。となると、リチャードが隠したがっていたのは、単にセルギウス大尉が自分の同好会の活動で死んだ事そのものなのかも知れない。
「ところで、非常に唐突なのですが。サイファー殿には、一つお願いがあります」
「何でしょう?」
 すると、リチャードはおもむろにシャツの胸ポケットから一枚の便箋を取り出すと、それをドナへ手渡し、俺へ渡させる。宛名も模様も無い簡素な便箋ではあったが、非常に巧妙な作りの虎の封蝋がしてあった。
「本日、アクアリア軍の使者より貴方宛てへ届けられました。ゴットハルト氏との会談の件で、先方の了解が得られたそうなので、その詳細についてだそうです。そこでその会談ですが。おそらく彼は、セルギウス大尉が死亡した事について管理責任を問うと思います。そう、追及されるのは私です。そこをサイファー殿には、うまく取りなして頂きたい」
「先方は、決闘同好会の事を知っているのですか?」
「ええ。どこからか情報を得たのか、はたまたセルギウス大尉の遺品の中に手掛かりを見つけたのか。ともかく管理責任の追及は、焦点を逸らすなりお願いしたい。交渉の内容につきましては、貴方に一任いたします」
「責任問題をセディアランド側へ向けさせぬようにと?」
「貴方に、嘘偽りを強要するつもりはありません。それに、サイファー殿にも事件の詳細を調査する御役目があるでしょう。その過程で、ゴットハルト氏との間に要らぬ波風を立てぬよう尽力して頂きたい、そういう事です」
 持って回った言い方だが、要は自分へ責任問題が及ばないようにしろ、そういう事である。被害者がゴットハルト氏の子息である以上、それはあまりに困難な交渉と言える。しかも、敵中の真っ只中で行うのだ。ただただ危険としか言い様の無い指示である。だが、関係者の聴取に手落ちや手抜かりがあってはならず、それもまた初めから想定出来た事である。聴取の仕方が少々難しくなった、そう解釈して飲み込むしかない。
「承知しました。デリケートな問題に当たった際は、公式な回答は持ち帰って検討の上、また後日に。そういった返答で宜しいですね」
「結構です。今、このセディアランド総領事館の存亡は、サイファー殿の双肩にかかっております故、どうぞ宜しくお願いいたします」
「その代わり、と言っては何ですが。加害者であるジョエル氏は拘留中だとお聞きしています。彼についても、聴取を許可して頂きたい」
「それは構いませんよ。では、会談後までに段取りをしておきましょう」
 にこやかに話すリチャードだが、果たしてその胸中の真意まで俺は読み取れているのか。化かし合いは得手でも不得手でも無いが、今ひとつ手応えを感じられない事に一抹の不安を覚える。
 彼らに対する懸念は、まだ拭えてはいない。昨日、クレメントは俺を信用していないと明言したが、それからたった一晩で、交渉を一任するような事態になっている。そうせざるを得ない理由があるのだとしたら、やはりアクアリア軍との関係がいよいよ切迫してきたから、という事だろうか。
 俺は、彼らのスケープゴートにされてはいやしないか。考えれば考えるほど、不安は尽きない。