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「もしかして、何か心当たりでも?」
 わざと声色を僅かに強め、ジョエルに訊ねる。明らかに動揺の色を隠せていないジョエルは、また最初のように力無くうなだれて見せ、まるで惚けるかのような姿勢を見せた。
 セルギウス大尉の背中の傷は、彼が倒れた所への追い討ちが原因だとクレメントは見ている。そして、明確に殺意を持って戦う事は、決闘同好会では禁じている。倒れている人間の背中に剣を突き立てるなど、殺意以外の何物でもない。
「答えて頂けますか?」
「いや、その……えっと……」
 はっきりとは答えないが、もはやジョエルの殺意は明確であったと見て良いだろう。そうでなければ、嫌疑がかけられた時点で反論や弁解をするはずなのだ。
「クレメントさん、あなたが聴取した時は、背中の傷についてどう答えたのですか?」
「知らない、無我夢中だった、この二つです。ですから、事故と故意と両方の疑いがあるという事で、判断は保留していました」
「グレーだからこその、拘留だったのですか」
「ええ。ただ、事が事だけに公使も、事後対応に頭を悩ませていまして」
 違法な同好会活動で死亡者が出ただけでも問題だが、その経緯が事故が殺人かでは更に天地程の差がある。公使も含め、事故という形にして処分したい所だろう。だが、遺体の背中の傷からアクアリア側に騒がれてしまっているため、それもままならないのが現状である。これは完全に外交問題だ。一外交官ではなく、大使が直々に対応する他ないだろう。
「私にはセディアランドの法に基づいた捜査権ありませんから、これ以上の証言は強要しません。ただ、この案件は司法を介入させなくてはいけないでしょう。加害者の自白もなく死亡に至るまでの経緯が曖昧では、あまり心証も良い物にはなりませんよ」
「司法を介入させるか否かは、公使が判断する事です。これはあくまで総領事館での事件ですから」
 その事件が、既に国家間の係争になりかけている。そうとは口に出来なかった。クレメントの態度からは、リチャード公使を第一に考えるという、半ば妄執的な強い意思表示が感じられたからだ。不毛な言い争いは好ましくはない。
「ともかく。ゴットハルト氏は、事件の真相を知る者による事の公表を和解の条件としています。ジョエル殿が協力を拒否するのであれば、私も使節としての役割は果たせませんよ。交渉の内容は、一任して戴けるはずでは?」
「分かりますが、問題が難し過ぎます。一度、公使の判断を仰がなければ」
 またリチャードか。今はどんな状況に置かれているのか、本当に理解しているのだろうか? 思わずそう声を荒げたくすらなった。
 最優先にすべきなのは、リチャードの身の安全である。俺は事件の経緯の調査で来てはいるものの、リチャードは名家の出身だからと大使からも言い含められている。俺にも家族が居る以上、名士に恨みなど買いたくはない。だがクレメントのしている事は、リチャードの意を汲み取っているようで、実の所はむしろ不利な立場に追いやっている。違法な同好会の事を隠したい気持ちも分かるが、今それにこだわっていると、本当に痺れを切らせたアクアリア軍に攻め入られてもおかしくはないのだ。
 これはもう一度、リチャードと直接意識の摺り合わせをしなければならない。一触即発の危機感を共有しなければ、きっとこの状況は解決など無理だろう。俺の事件調査も、そろそろ潮時である。
 今日の所は、これ以上此処へ居ても得られるものはない。そう判断した俺は、クレメントの話を半ば遮るようにして武官へその旨を伝えようとする。
 しかし、その時だった。
「あの、私のせいでしょうか……?」
 ふと、深くうなだれていたはずのジョエルが、おもむろにそんな事を口にした。
「私がこんな事をしでかしてしまったから、総領事館は包囲されてしまっているんですよね?」
「いえ、それは結果論です。まず、決闘は事故だったのか、それとも不正があったのか。その事実関係を明らかにする方が先ですから、当時の出来事を最も良く知るあなたに、是非とも協力をして戴きたい訳で」
「仮にそうしたとして」
 突然、ジョエルがベッドから立ち上がった。ゆらりと立つ姿勢は今にも倒れそうなほど不安定で、未だ頭だけがうなだれた様は、あまりにも異様だった。
「私はどうなるのです? 仕事を失うだけでない、労役で済めば良く、投獄も免れないでしょう。あいつが、あいつが私に無理強いをしたせいなのに!」
 硬く握った拳を震わせながら、ジョエルは押し殺すような声で憎々しげに叫ぶ。そこには、恐ろしいまでの怨念、恨みの塊が蠢いていた。
 決闘などしたくはなかったのに、無理に決闘の相手にさせられて。そこで事故が起こりセルギウス大尉は死亡、自分は容疑者として捕まっている。確かに理不尽な展開である。もしも決闘を固辞していれば、今とは違う状況になったかも知れない。そんな悔やみから来る、ジョエルの偽りのない本音だろう。
 もう、背中の傷についての証言は得られそうにない。しかし、これは自白と言ってもいいだろう。ジョエルは明確に殺意を持って、セルギウス大尉を殺したのだ。ゴットハルト氏は決闘の不正を疑っているが、この様子ではまず有り得ないだろう。この事件は純粋な事故、彼には不正をしてまでセルギウス大尉を殺害する動機が無いのだから。