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 関係者一同連れ立ってゴットハルトの部屋へ入ったのは、職員達が食堂に集まる夕食時の事だった。出来る限り人目を避ける事が目的だったが、元々新館は廊下や階段の数が多く、人目を避けようと思えばさほど苦労は無い。
 ゴットハルトは室内で前回と同様に落ち着いた様子で佇んでいた。しかし肌を刺すような殺気は依然凄まじく、窓の無い圧迫感のある部屋がより一層息苦しく感じてくる。
 我々の方へゆっくりと向き直ったゴットハルトは、まずはリチャードに、そして次にはドナ、最後に俺へと視線を移していく。まるで獲物を狙う肉食獣のような、鋭く冷徹な視線である。一回りも体格が小さなゴットハルトなど、真っ向から取っ組み合ったとしても遅れを取るような事はまずは無い。けれど、彼の持つ凄みは逆に自らを一回りも二回りも大きく錯覚させて来る。実際のところ、ゴットハルトとまともにやり合うのはとても賢くない選択だと思えてしまう。
「公使参事官殿がわざわざお越しになられたという事は、私の要求を承諾して戴けるという事ですか」
「条件付きではありますが」
 条件というリチャードの言葉に、まぶたをぴくりと震わすゴットハルト。それに構わずリチャードは声を張って話を続ける。
「今回、特例措置でサイファーさんに我が決闘同好会へ入会して戴きました。一時的ですが、正式な会員という訳です」
「それに何の関係があるというのだ?」
「貴方が、御子息セルギウス殿と同様に決闘を望むのであれば、貴方にも入会して頂きます」
「構わん。お主が許可するというのであればな」
「では、こちらに署名を」
 クレメントが怖ず怖ずと歩み寄り、ゴットハルトの前にあの羊皮紙を広げる。ゴットハルトはさほど間を置かずに、そこへあっさりと自信の名を記した。もしもこれが公になった場合、違法な組織に属していたという確かな証拠として採り上げられるのだが、彼にはもはやそういったリスクを考える必要は無いのだろう。ドナとの決闘だけに思考が膠着してしまっている。垂れ流しになっている殺気がどこか狂気染みでいるのも、心の平衡を無くしかけているせいだろう。
「結構。これで貴方も我が決闘同好会の一員となりました」
「条件とやらはこれで良いのか?」
「いいえ。ゴットハルト殿は会則に従って、サイファーさんとの決闘に応じて頂きます」
「何?」
 ゴットハルトの目がぎらりと色濃い殺気を放つ。けれどリチャードは、堂々と正面からそれを睨み返した。
「当会では、短期間に続けての決闘はあまり推奨されていません。双方の合意もありますが、通常はもっとも間の空いた者同士が行うのが通例です。そして新たに加わった会員には、一度決闘を行うまで指名する権利はありません。今回は、偶然にも、新入会員が二名おります。その新入会員同士が決闘を行うのは、極自然な事でしょう」
 ぎりぎりと歯軋りの音が聞こえて来そうなほど、ゴットハルトの表情には見る間に怒りの色が浮かび上がて来た。その色濃い殺気を前に一歩も退かないリチャードからは、何時に無く強い決意を感じられる。これは大きな賭けであり、絶対に退いてはならない勝負所である事を嫌というほど自覚しているからだ。
 そして、殺気立ったゴットハルトの視線が俺の方へ向けられる。
「貴殿は信用に足る人物だと思っていたのだがな。此処に来て、まさか謀をするとは。恥も外聞もない、セディアランド人らしいやり方だな」
「確約した憶えはありません。それに、約束を全く違えたという訳でもありません。私との決闘に勝ち、ドナ書記官を次の決闘の相手に指名すれば良いだけですから。ドナ書記官は貴方の挑戦に対し、必ず合意いたします。重ねて言えば、この会則はセルギウス殿も遵守していたものです。あなたのみ特例を認めろと、そう仰る訳ではないでしょう」
 ゴットハルトの視線がドナへ向かい、ドナは無言のまま伏目がちに頷き返した。
「良かろう。これは、貴殿らの挑戦と受け止めておく。私はセディアランド人とは違い、勝負に背は向けん。息子と同じ謀略でも何でも、好きなようにやるといい。だが、必ず報いは受けて貰うぞ」
 妄執に染まりきった目から放たれる視線が、一人一人をまるで呪い殺すかのような勢いで睨み、注がれていく。とても老境を超えた人間の物とは思えない圧力である。意識の力とは、例え妄執でも統合されればこれほど強く色濃く、そして人柄すら変えてしまうのだろうか。同じ人間とは思えないような気にすらなった。
「それで、決闘の日取りは何時にいたしましょうか?」
 ゴットハルトがゆっくりと立ち上がり、傍らに掛けていた杖を振り上げると、その先で俺の方を真っ直ぐ差す。
「今更何を躊躇う事があろうか。すぐに始めろ。私は今からでも構わんのだ」
「分かりました。サイファーさんも宜しいですね?」
「異存はありません」
「では、三十分後にこの部屋で。武器はこちらで用意いたしますので、双方同じ物を使って頂きます」
 声を張りながらも淡々と進めるリチャードに、ゴットハルトの視線が向けられる。
「ならば剣を持って来い。息子と同じ物だ」
「承知いたしました」
 恭しく答えるリチャードは、一挙手一投足から普段の気品さを欠かしていない。けれど、極度の緊張から指先や膝が僅かに震えているのが見て取れた。今時珍しい長たる気概のある人物だと、俺は改めてリチャードの姿勢に感心する。けれど、どうしてそれだけの器量を持った人間が、こんな馬鹿げた事をし難事を引き起こしてしまったのか。今更ではあるが、そればかりが残念でならない。