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 俺が紺碧の都への帰路に付いたのは、あの夜から一週間も後の事だった。そこまで帰還が延びたのは、事後処理に酷く手間取ったのと、ゴットハルト氏の葬儀に無理を言って参列したためである。彼の死因はクーデター失敗の引責による自害、と発表されたため、被害者という立場であるセディアランドは義理で誰か職員が一人参列すれば充分という状況だった。むしろ此処で仰々しく参列すれば、セディアランドはクーデターに関わりが深かったのかと邪推されかねないのである。そこに無理を言ったのは、個人的なけじめというよりかは、ゴットハルト氏の心境を知っている上でああいった末路を迎えた事に対する、自分自身の気持ちの整理を付けたかったためだ。
 出立の朝、俺とクレイグはリチャードに一言挨拶をした後、あまり目立たぬように総領事館を後にした。車中から眺めるストルナ市は、長らく駐在していたアクアリア軍の姿はなく、既にかつての活気を取り戻していた。往来にも巡回している兵士達の姿は無く、変わりに近くの港に水揚げされた魚を運ぶ荷馬車などが多く見られた。ようやく日常を取り戻した、そんな和やかな風景である。
「ようやく終わりましたね。サイファーさんも、本当にお疲れ様でした。レイモンド家の方も、これなら納得するはずですよ」
 そう話しながらクレイグは、何か処理しきれていないらしい書類に筆を走らせている。移動中も忙しない男である。
「でも、本当にこれで良かったのでしょうか? ゴットハルト氏はクーデターを企てた一味の一人になってしまいました。本当はそんな事ではなかったのに」
「首謀者と繋がっていたのは事実ですし、彼がストルナ市を占拠したせいで社会情勢が不安になった事も事実です。第一、クーデターに利用されると知っていてこれを計画したのなら、共謀者というのもあながち間違いではありませんよ」
「確かにそうですけど……彼がしようとしていた事を歪められるのは、私には不本意でなりません」
「お気持ちは分かりますが、サイファーさんは相手に肩入れし過ぎですよ。我々はセディアランドの味方であって、諸外国に無意味に花を持たせる必要もありません。そんな事のために税金を使ってる訳ではありませんから」
「それは分かっています。ただ、個人的な心情としての話です」
 ゴットハルト氏は、手段こそ許されないものではあったが、同じ人間としては共感できる心情だった。自分の家族があのような身勝手極まりない理由で殺められたら、その復讐を果たそうとなるのは当然である。けれど、ゴットハルト氏の行為ばかりが取り沙汰されて、決闘同好会やドナのした事がまるで無かったかのように扱われるのはどうにも納得がいかない。セディアランドとしては理想的なのだろうが、あまりに公平性を欠いている。それについて、罪悪感があるから納得がいかないと俺は思っているのかも知れない。
「ところで、読みましたよ。アレ」
「アレ?」
「手紙ですよ、手紙。奥さんに宛てたアレ。いえ、分かってますよ。検閲逃れのための作文ですよね? まあ、寄りによってあんな内容にするとは驚きましたけど。まあだからこそ、サイファーさんらしくないなと勘付いた訳ですが」
 せっかく半ば忘れていた事を思い出さされ、俺は苦笑いを浮かべ視線を窓の外へそらした。あれは大使に、総領事館が危険な状態であることを知らせるために考えた文章だ。保護対象であるはずのリチャードが非協力的なばかりか、此方の動きまで拘束してくるのでは、いざという時の役目を果たせない恐れがある。そんな仕方のない中で必要に駆られての事だ。
 あの手紙が大使への救難信号であった以上、さすがにクレイグの目にも触れていたか。状況的に仕方なかったとは言え、あんな文章を書いた事を同僚に知られるのは恥ずかしいものだ。
「ルイーズ様が知らせてくれました。これはもしかして、総領事館の方が限界だって知らせじゃないかって。それで、大使は計画を前倒ししたんですよ」
「前倒し?」
「既にアクアリア政府と軍の不仲は明らかでしたからね。ストルナ市の件も、実は軍がグルになってるんじゃないかと。案の定でしたので、買収工作を急いだんです」
「買収したのは、もしかして前の元帥ですか?」
「ええ、そういう事です。ストルナ市が更に混乱する事、セディアランドとの開戦の責を負う事になる、と言ったら簡単でした。誰でも引責問題には関わりたくないですからね。サイファーさんも、万が一の為の保険として十分機能してくれましたし」
「何に対しての保険ですか? 身に覚えがありませんが」
「買収工作が露見し、ゴットハルト氏が武力行動に出ないか。もっと言えば、リチャード公使が人質に取られないか。そういう危険に対してです。どの道、ゴットハルト氏を追い詰める事になりますからね。リチャード公使に万が一があっては困りますから」
「つまり、私の調査は始めから不要だったと?」
「まさか。調査は必要ですよ。何せ閣下は、総領事館も潜在的な政敵として見ていますから。非協力的なのは想定内ですし、サイファーさんがそこへ強引に食い込むのも、計算の内です」
 そして、あわよくば弱味を握る事を期待していたという事か。俺が焦臭いものを嗅ぎ取ったら、一切妥協せずに追及するであろう事を予想した上で。
 何もかもが、フェルナン大使の思い通りだったという訳である。俺の能力を評価した上での指示だったと思えば溜飲も下がるが、いささか手のひらの上で踊らされた気がしないでもない。今一つ素直に喜べないのは、俺の生来の反骨気質のせいだろうか。
「結局のところ、大使はアクアリア政府とアクアリア軍、それから総領事館に貸しを作り、一人勝ちの構図だったという事ですか」
「喜ばしい事じゃないですか。着任早々これなら、今後も仕事がし易くなりますから。我々も、面倒事を押し付けられる確率が大きく減りますよ」
「本当にそうだと有難いですがね」
 大使は油断のならぬ曲者だが、それだけにやはり優秀な人物なのだろう。後は、あの飄々とした人柄さえ何とかなれば良いのだが。
「そう言えば。私の手紙の事を大使に知らせたのは、ルイーズ様だったのですか?」
「ええ、そうですよ。ふと大使館の方へ参られて、あの手紙をお見せに」
 本当はルイに宛てた手紙だったはずなのだが。ルイは、あまりにおかしな文章だったから、ルイーズに相談したのかも知れない。少々回りくど過ぎたのだろう。