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 夕食を終え、いよいよロイドは酒が進み始めて来ると、俺は適当な理由をつけてレイを寝室へと避難させた。洗脳の原理ではないが、流石にこれ以上暗殺事件の話を聞かせると、ただでさえ記憶が曖昧になっているのだから、実際に自分がやった気になるのではないかという危惧があった。
 その後も酔ったロイドの自国論や現政権打倒の話を延々と聞かされ、俺は酷くうんざりさせられた。内容の現実性はともかく、レイを政争に使おうとしているのは事実のようで、やはり彼とは距離を置くべきだと危機感が強まった。
 やがて深夜になると、ロイドは自分で歩く事も出来ないほど酔いが回り、そのままソファーで眠り始めた。ようやく静まったとばかりに、俺は水を飲んで酔いを覚ますと、自分も対面のソファーに座って仮眠を取ることにした。疲れを取るためにもベッドで寝た方が良いのだが、何の後ろ盾も無く異国で熟睡するのはどうしても恐ろしくてならなかった。
 そのままうとうとと夢現の気分で過ごし、やや夢の世界に傾く時間が増えてきた時だった。
「失礼します!」
 突然の大声に、俺はすぐさま目を覚ますと反射的にソファーを盾にするような格好で身構えた。部屋に入ってきた声の主は外の見張り役の一人で、明らかに焦っている表情を浮かべている。
「何だ、騒々しい……。お客様に粗相がないようにと言ったはずだぞ」
 ロイドは大分遅れて、眠そうに目を擦りながらゆったりと体を起こして見張りの方へ向き直った。
「大変です、政府軍が外に詰めかけてきています。まだ入り口で食い止めていますが、一国の猶予もありません。お早く避難して下さい!」
「政府軍だと!?」
 幾ら何でも、あまりに特定するのが早過ぎる。ロイドはそんな表情をしていたが、徐々に血の巡り出した俺の頭はこの状況に繋がる原因に見当がついた。出処はおそらく、昨夜の夕食を作らせた店だろう。ただ単にディナーを作らせるだけなら問題は無かっただろうが、昨夜の料理は一人分だけセディアランドの味付けを指定されている。その注文内容が、店の誰かから政府へ漏れたかリークされたのだろう。だからと言って即確証を得られるもので無いだろうが、そもそも初めからロイドが政府にマークされていた可能性も否めない。この組み合わせならば、正規軍での強襲に踏み切る事も有り得るだろう。
「サ、サイファー様。どうやら……」
「ああ、分かっている」
 何故政府に居場所が発覚したとか、今はそんな事を追及している場合ではない。俺はまず状況の整理にかかる。
「脱出手段はあるのか?」
「はい。此処へ来る途中の廊下に隠し通路が御座います。中へ入れば後はほぼ一本道、近くの廃屋へ出られます。すぐに御案内致しますので、御支度を」
 俺は急いでレイの居る寝室へと飛び込む。ノックも無しにドアを開けると、レイは未だベッドでぐっすりと眠っていた。寝込みを襲われても平然と眠り続ける暗殺者など居るだろうか、今更そんな事が脳裏に浮かぶ。
「おい、レイ。起きろ。まずい事になった」
 眠っているレイの肩を掴んで揺さぶり起こす。何度か揺さぶられてレイはようやく眠そうに顔をしかめ、ゆっくりと目を覚ました。が、こちらと視線が合った次の瞬間、
「えっ、ちょっと、サイファーさん!? な、何ですか急に!」
 素っ頓狂な声を上げて、レイはベッドの隅まで退きながら布団を身に寄せる。何か別の状況と勘違いしたのだろう。
「政府にこの場所が見つかった。もう時間が無いから急いで着替えろ」
「見つかったって、どこの政府にですか?」
「悠長に説明している時間は無い! いいから黙って急げ!」
「は、はい!」
 レイに発破をかけ寝室を後にすると、ロイドは部下と何か話し込んでいた。しかしロイドは余裕が無いためか、やたら声を荒げて詰め寄っている。
「もう間も無く出られる。そっちはどうだ?」
「え、ええ、はい。ともかく脱出路までは御案内いたしますが、そこから先はどうにか御自力で。私は政府と交渉いたします。ただの時間稼ぎにしかならないでしょうが、それをする者が無くては脱出路もすぐ見付けられてしまうでしょうから」
「ああ、頼む。後の事は自力で何とかする。世話になった」
「申し訳御座いません。御助力するつもりが、力及ばずこのような事に」
「いや、港で救ってもらっただけでも十分有り難いさ。政府に捕まる事だけは避けたいからな」
「どうか奴らから逃げ延びて下さい。それと、これも」
 そう言ってロイドが差し出したのは自分の財布だった。如何にも値の張りそうななめし皮で作られたその財布は、装飾に宝石まで幾つか飾られている。この財布だけでも充分な金になりそうだ。
「末端の憲兵ならば、金で容易に片が付きます。後は何処かに潜み、ほとぼりが冷めるのをお待ち下さい」
「何から何まで助かる。後で必ず連絡を入れる」
 ロイドの、レイを政争に使おうとする魂胆には強く不信感を持っていたが、我々を政府から匿おうとする意図だけは確かだったのかも知れない。今になって、あまり邪険にするべきではなかった、と僅かな悔やみを残した。
「サイファーさん、お待たせしました!」
 寝室から飛び出して来るレイ。如何にも慌てて支度を整えたといった様子で、髪も乱れたまま、上着も前が留まっていない。それでも出掛けるには問題は無いだろう。
「では、御案内致します。私の後に御続き下さい」