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「病気が治ってからも、レイは時折ふらりと居なくなる事がありました。薬のお金の事もあって、私はレイに一体何をしているのか何度も何度もしつこく問いただし続けました。それでようやく分かったんです。レイが、暗殺組織の仕事をして薬代を稼いでいた事を」
 レイと、暗殺組織。これでようやく繋がってしまった。謎が解けた事の解放感と、関係などあるはずもないと願っていた事への落胆が重なり、俺はどんな心境に整えればいいのか分からなくなってしまった。
「最初は、見張りや取り次ぎ、標的の足止めといった簡単なものだったそうです。でも、それで貰えるお金は微々たるもので、間もなく実際に手を下す仕事に手を染めてしまいました。最初の仕事は、政府に関わる仕事をしている男だったそうです。彼が夜道を一人で酔って歩いている所を後ろから。子供でも簡単に出来たそうです。それからも、仕事は幾つも来たそうです。レイはまだ子供だったから誰にもそうと疑われないし、組織も都合良く使っていたんだと思います」
 子供が暗殺のような裏社会の仕事をする。それは、社会的には容認出来ないのだが、決して珍しい事ではない。戦時には少年兵が駆り出されるように、平時には平時での使い方、理由がある。需要と供給が成り立つ以上は、どんな倫理観を説いても決して無くなりはしない。
「私の病気が治ってからも、レイは暗殺の仕事を続けました。続けるというよりは、辞められなかったんです。一度組織に入った以上は、死ぬまで抜けられないそうでしたから。やがてレイもどんどん危険な仕事をさせられるようになり、しょっちゅう怪我をして帰って来るようになりました。私はそのたびに手当てをしてあげたけれど、レイがとても可哀相で辛くて仕方ありませんでした。私のせいでこんな事になってしまって。多分レイも、自分が母と私に病気をうつしてしまったと負い目に思ってて、だからこんな無茶な事をしたんだと思います」
「君の妹は……何と言うか、いい子だったんだな。家族のために、例え非合法な手段でも己を投げ打ってまで何とかしようと出来るから」
「はい……。だから、私は本当に辛くてなりませんでした。レイにはお母さんの分まで幸せになって欲しかった……」
 悪いのは環境であって、決してこの二人ではない、少なくとも俺はそう思う。どちらも相手を思いやる気持ちは確かなものだし、それは実に尊いものである。思い入れが過ぎる、と自覚はあったが、それでもささやかながら同情せずにはいられなかった。
 ともかく。これが、記憶が戻ってもすぐには話してくれなかった理由なのだろう。確かに、政府の人間である俺に非合法組織との関わりがあった事は話し難い。それどころか、ただの市井相手でも大分躊躇う。そんな事情を自ら話してくれたのは、少なからず俺に対して信用を寄せてくれているからだろう。
「私達が南ラングリスを出たのは、つい一月ほど前の事です。ある日突然、レイに荷物をまとめさせられ、訳も分からず船の深夜便に二人で乗りました。レイはセディアランドへ行こうと言うばかりで、何も説明してくれませんでしたが、何となく状況は察しが付きました。南ラングリスの運輸相の方の事件があって、それからしばらくレイの様子も変わっていて。黒蜥蜴と白薔薇の抗争の事は少しは知っていました。だから、何時かはこういう事もあるんじゃないかって覚悟していました。多分、政府の追及も迫っていたんだと思います。だから、レイも私も、いよいよこの国には居られなくなってしまった……」
「その船はおそらく、セディアランドへの密入国船か。それでセディアランドに入国した訳だな?」
「はい。二日後にはセディアランドの何処かに到着しました。何処かの使われなくなった港だと思います。人気はまるで無くて。到着すると乗っていた人達はあっという間に散り散りに消えていったし、船もそそくさと引き返して行きましたから」
 廃港は今もセディアランドには幾つか点在している。破棄するにも管理するにも費用が掛かるため、政府保有でありながら実際は放置している状態だ。それを密入国に使う事は珍しくない。何せ、監部が動いた事を知って逃亡する人間は大抵廃港に現れるから、良く張り込みをしていたものだ。
「それから、私達は二人で町を目指して歩いて……。その道中はとても楽しかったです。久し振りに二人で周囲を気にせず、まるで旅行に行ったみたいで。レイにも笑顔が戻って。だから、ずっとセディアランドに住む事になってもいいかなって思い始めて……。だけど、それなのに、あの人が……」
「あの人?」
「何処かの町に着いて、食事をしていた時です。突然私達の前に、子供の頃に別れたきりのお父さんが現れて。もう何年も会っていなかったから、私達はとても嬉しくて。それだけで頭がいっぱいになって、偽者だなんて思いもしなくて。それで……そのせいでレイが……刺されて……! それで、やっぱり偽者だったって思い知らされて……!」
 俄かに語気を荒げたと思っていたら、急に呼吸を乱し始めた。興奮するあまり過呼吸を起こしたのだろう。
「落ち着け。息をし過ぎだからもっとペースを下げて、呼吸の回数を減らして」
「あの人が! よりによってお父さんの振りをするなんて! 私、絶対に許せなくて! どうしてあの時、私は思い出せなかったのか、悔しくて悔しくて……!」
「もういい、分かったから。今はこれ以上無理に話さなくていい。一度休んで落ち着こう」
 彼女の手が強く俺の上着を握り締めている。あまりに力を込めているせいで、手の甲がぶるぶると震え紅潮している。普段の彼女からは到底想像の付かない、とても強い激情の表現である。
「サイファーさん、私、許せない……! あの人、絶対……!」
「ああ、そうだな……」
 泣き出す彼女を恐る恐る抱き締め、しばしあやすように撫でる。俺はこの歳まで子供を持った事もなければ、関わるような機会も無かった。子供のあやしかたとはこうすれば良いのだろうか、朧気な記憶を頼りに、せめてもの慰めになれば良いと震える彼女の背中をさする。新人研修は不必要な事ばかり教えるが、こういう必要な事は教えてくれなかった。何のための公僕なのか。そんな自嘲をする。
 セディアランドへ渡り、それから妹を失う事になったその経緯は、彼女の心に深く傷を残している。これほど辛い記憶なら思い出さない方が良かったと思っていたが、それだけ大切だった人の事を忘れたままでいるのも寂しい事だと今は思えた。どちらがよりマシだったかと論ずる意味はないが、これからはその辛い記憶を乗り越えて行く他ない。命冥加な悪党は散々見てきたが、末路は哀れなものが殆どだった。その一方で、彼女のような善人が理不尽なほど翻弄される姿も見てきたけれど、その先行きも後味の良いものばかりではなかった。だから俺は、善悪どちらが幸せになれるのかという観点は持たないようにしている。結局の所、人の先行きというのは行いに関わらずどうとでも転ぶものなのだ。
「私、レイの仇を討ちたいです。絶対に……」
「そうだな……。悪が栄えるのは良くない事だ。絶対に見つけ出そう」
 震えながら嗚咽のような声を振り絞る彼女に、俺はそんな気休めの言葉をかけるだけで精一杯だった。心にもない嘘を付くのは慣れたと思っていたが、意外にも胸の痛む思いが強かった。気休めにすら誠意が必要なのか。それとも、いちいちそんな事で心を痛める方がおかしいのか。
 彼女の妹を手に掛けたあの人とは、一体誰の事だろうか。そんな疑問を浮かべる。
 それは、俺の仕事の範疇からは更に離れた案件である。けれど、捕まえて裁きを受けさせたい、そうすれば少しは彼女の心も安らぐのではないか。そんな思いがあった。出来る事ならそうしてやりたい、これだけは間違いなく本心の言葉である。
 が。
 やはり、俺は彼女に肩入れし過ぎている。すぐさま理性の横槍が入り、俺は我に返ったような心境になった。
 仕事人間のつもりが、感情論で行動するから身を持ち崩すのだろう。イライザやクレイグの忠告は、決して間違っていない。