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「さて、まずはこちらからの要求を確認するとしよう」
 ノルベルト大使はさも当然のように議題を切り出し始めた。
「私の要求は三つ。一つ目は、セディアランドが預かっているレイと名乗っていた女と大使の身柄の交換。二つ目は、私のセディアランドへの亡命を受け入れること。三つ目は、これらに関してサイファー殿が責任を持つ事だ」
 何故、この交渉に対して俺が抜擢されたのか。やはりその理由は、既に大使との交渉には失敗しているとの考えが妥当のように思う。セディアランドを代表するなら、俺ではなく大使が適切である。それを覆す条件を出したのは、大使には既に蹴られているに他なら無い。
 ならば、こちらの返答は非常にシンプルなものだ。
「現時点で、その要求を全て飲むのは無理だ。そもそもあなたは、私を北ラングリス政府との裏取引に使った。その事実は、南ラングリス政府があなたを解任した事で明白だ。セディアランドは犯罪者との取引には応じない」
 自分の意志が強固であるよう見せるべく、敢えて強く威圧的な口調でそう述べる。こちらの意志の強さはある程度伝わっただろうか、ノルベルト大使はいささか表情から生彩さを欠いた。
「へえ、ノルベルト君は解任されたのかい。それ、いつの事?」
 と、大使は急に呑気な口調で会話に割って入ってきた。
「本日付との事です、閣下。ちなみに、彼の手配書も回される予定です」
「おや、これはこれは残念だね。うん、やっぱり君、やり過ぎたよ」
「その辺で、閣下」
「ああ、僕の事は気軽にフェルナンと呼んでくれたまえ。どうせ非公式の場なんだし。僕は堅苦しいのは苦手なんだよ」
 フェルナン大使はけらけらと笑いながら、そう答える。あまりに場の雰囲気に馴染まない、独特のリズムを醸し出している。これは自分の流れに引き込む話術なのだろうか、そんな事を考えた。
「私とて、やりたくてやった訳ではないよ。もう、こうする以外に方法が無くてね」
「その方法も場合によりけりです。あなたは今回、一番やってはならない手段を取ってしまった。その上、まだ交渉の余地があると考えている。あなたはこのまま、セディアランドをも敵に回すつもりですか?」
「ふむ、それは避けたい所だがね。かと言って、他に亡命のあても無いのだよ」
「北ラングリスはどうなんです。仮にも裏取引をしようとしたんだから、まだツテはあるでしょうに」
「所詮、金の繋がりだよ。こちらが出せるものが出せなければ、そっぽを向かれるだけさ」
 ノルベルト大使の要求は、セディアランドと北ラングリス双方の亡命を視野に入れたものだったようである。どちらか一方でも飲ませれば良かったのだろう。しかし、その保身がかえって仇になってしまった感がある。
「北ラングリスとの取引は、やはり実行犯であろう彼女を引き渡すため?」
「その通り。あの運輸相暗殺事件は、北ラングリス政府が大元の依頼者だ。依頼者に辿り付かれる可能性は一つでも消しておきたいのだ。手土産としては破格だろう」
「その結果、随分大掛かりな芝居を打ち、しくじったようですが。ところであなたは、彼女が実行犯とは別人であると知っているのですか?」
「それはもちろん。彼女はルイで、本当の実行犯は妹のレイだ」
 何故、彼の口からその名前が出て来る。俺は驚きで動揺しかける。ノルベルト大使は、そんな俺の顔をさも愉快そうに見ていた。
「まさか、私が何も知らずにいたとでも? 君はこれくらいの事態は想定していると思っていたんだが」
「別人と知っていながら、何故このような事をしたのです? ルイを聴取する事も、北ラングリス政府へ引き渡す事も、何の意味もない」
「それが、実はあるんだ。なんせ、この事に気付いているのは私だけだからね」
 にやりと思わせぶりな笑みを浮かべるノルベルト大使。その言葉には、更に奥に意味がある。そんな誘いを感じた。
「妹の身代わりにして、どちらに渡した方が旨味があるのか、両天秤に掛けたという事ですか。南ラングリス政府へ引き渡し、暗殺事件解決の実績作りとするか。北ラングリス政府へ引き渡し、金を得るか。しかし、本物のレイが現れた時の事は考えていないようですが」
「ああ、それは絶対に有り得ない。私は確信していた」
「何の根拠があってそうと?」
「妹の遺体は、私が確認した。間違い無く本人だとね」
 レイが死亡しているらしい事も知っていたのだろうか。だが、世間がルイとレイを混同している中で、何を頼りに確認を取るというのだろうか。
「間違い無く? 彼女は暗殺組織の人間だ。素性は表に出ていない」
「どうやら、分かっていないのは君の方のようだな」
「私が?」
 どこか人を見下したような、演技がかった口調。思わず反射的な反論をしようとし、すぐに自戒する。
 ただの挑発だ、乗ってはいけない。そう言い聞かせつつ、良く考えた上で反論となる言葉を穏やかさを努めて口にする。
「私はルイから事の子細は聞いています。あなたよりも、当時の出来事は詳しいつもりですが」
「そうかね。もっと詳しい人間が居るとは思わんか?」
「誰でしょうか。私には見当も付きませんが」
「何のことはない、当事者だよ」
「当事者?」
「そう。二人をセディアランドまで追いかけ、レイを殺したのは私だ」