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「驚いた? あなたがいない間にね、あなたの元上司が失脚したのよ。年内にも起訴されるわよ。証拠は十分だし、実刑は免れないでしょうね。生きている間は出られないんじゃないかしら」
 俺がセディアランドに居なかったのは、せいぜい一月にも満たない程度だ。その僅かな間に、まさかこれほど政情が変わっていようとは、まるで思いも付かなかった事だ。
「どういう事だ? どうして今になって、こんな表沙汰に? 俺が同じ事をした時は、綺麗に無かった事にされたんだぞ」
「これの出所はね、昨年就任した財務相の一派よ」
「財務相? 親の七光りでなった若造じゃないか」
「それが、とんだ食わせ物だった訳。出来損ないの振りをして、水面下で着々と計画を進めていたのよ。汚職に関わった人員を一掃する、ね。おそらく来年度は、閣僚はほとんどすげ替わるわ。経済界もかなり刷新されるはずよ。訴訟ラッシュで、法務省も大忙しね」
 俄には信じがたい事実である。あれほど絶望した巨悪が、こんな短期間に牙城を崩されていたなんて。それも、自分より年下で、遥かに見くびっていた者の主導でだ。
「随分なやり手なんだな。しかし、それなら俺も一枚噛ませて欲しかった。今から何とかならないか?」
「やめておいた方がいいわ。あなたのせいで計画を前倒しにせざるを得なかったそうだから。結構綱渡りだったのよ。だから、彼らはあなたの事をかなり毛嫌いしてるはずよ。先日の国会答弁でも、無責任なトップ屋扱いしていたわ」
「……やれやれ、俺はどこでも嫌われ者だな」
 しかし、編纂室へ飛ばされた屈辱については、これで溜飲が下がった。再びセディアランドを出る前に、かつての心残りが晴らせて良かったと思う。おかげで、心機一転するのに丁度良い弾みがついた。
「それと、この書面はあの子の妹さんの件。南ラングリスから回答があったわ。殺人その他で懲役五百年相当だそうよ。被疑者死亡での略式裁判の判決だけどね」
 その書面には、レイの名前の他に遺体の発見状況や犯歴等が事細かに記されていた。しかし、幾つかは俺の知っている事実と異なっており、あまり良い気分ではなかった。けれど、今更蒸し返して訂正させる事は出来ないだろう。そんな事をしても、おそらく誰も得をしないし喜ばない。だからルイにも、細部については伝えるべきでは無いだろう。
「やはりそうか……。それにしても、随分詳しいんだな。ずっとセディアランドに居たんだろ」
「経緯は全部、あなたより先に届いているもの。あなたの辞表を人事に届けたのも、私ですから」
「なるほどね。流石の地獄耳かと思ったよ」
 読み終えたそれらをイライザに手渡し、俺は再びソファへ背を預けた。急に疲れが押し寄せて来たような気分だった。これで事件の真相も結末も全て明らかになった、そういう安堵感から来るものだろう。納得のいかない事ばかりではあるけれど、ひとまず無事に鎮静化した事は、官吏として喜ぶべきなのかも知れない。
「あなたからの貸しだけど、この際チャラにしてあげるわ」
「甲斐性無しにはありがたい話だな」
「結婚祝いの代わりよ。そうそう、あなた、あのフェルナン大使の所へ再就職するんですってね」
「ああ。先方の強い要望でね」
「御愁傷様。あの人、有能ではあるけれど、それ以上に輪をかけた変人よ。今まで何人も音を上げて逃げ出して来たんだから。これから気苦労が絶えないでしょうね」
「先刻承知の上だ」
「それに、来年には北の大国に赴任するそうよ。ラングリスとは比べ物にならないほど火種が転がってるから、まあ、頑張ってらっしゃい」
 今回以上の火種があり、そんな所へ行かなければいけない、それを想像すると今から気が重くなってくる。多忙な仕事に従事することは不満ではないのだが、やはりあの大使の元で平穏にやれる自信は薄い。いずれ俺も、南ラングリスの大使館での職員達のように、彼を扱うようになるのだろう。
「お待たせしました」
 そこで、退室していたルイが足早に戻ってくる。するとルイは不意打ちのようにイライザと目が合ってしまい、ぎょっとして立ち止まった。
「お久しぶりね、ルイちゃん」
「あ……はい。先日は大変御世話になりました」
「話は聞いてるわよ。何はともあれ、お幸せにね。あいつの弱味が知りたかったら、いつでも連絡頂戴」
 思わせぶりな目線で含み笑うイライザに、ルイは困惑しながらぎくしゃくとした笑みを返す。端からみると、まるで言いがかりを付けられているような構図に見えなくもない。
「要件が終わったなら、さっさと帰れ」
「あら、御挨拶ね。それじゃあ、ごきげんよう」
 ひらひらと手を振りながら、イライザは部屋を後にする。ルイは律儀にそれを見送りながら、ドアをそっと閉めた。
 彼女は、未だに交流のある数少ない同期の一人ではあるが、やはり性格的には合わない部分が多々ある。それに、あの人を食ったような話し方はどこかフェルナン大使を彷彿とさせるものがあり、前よりも苦手意識が強まったかも知れない。外交畑に長くいると、ああいった性格が形成されてしまうのだろうか。自分もああなってしまわなければ良いが。
「イライザさん……でしたっけ。何か御用だったのでしょうか?」
「俺をからかいに来たのさ。俺は今回のことで、強弁を奮ってしまったからな。大した事じゃないさ」
「そうですか」
 不思議そうな顔で見上げるルイの頭を、まるで子供へするように撫でて和ます。それなりの歳の人間が同じ事をされたら、大なり小なり気分を害するものだが。ルイは照れながら顔を俯け、ほんのり頬を赤らめるだけだった。やはり、こう自分の中に収まっているようなタイプの方が、俺には心地良く感じる。あの手の手合いは、それと正反対な振る舞いをするから、苦手意識を持ったり反目したりするのかも知れない。
「さて、食事に行こうか。どうせ時間はあるから、少し豪勢にしよう」
「はい、楽しみです」