戻る

 コウタが現れたのはそれから翌々日の事で、夕方くら近くに唐突にやってきた。黒い礼服姿のおかげて普段とは大分印象は違っていたが、それよりも随分と色濃く疲れが見え隠れする表情の方に視線が行った。
「やっと終わったよ」
「親戚の人のお葬式?」
「そう。とは言っても、火葬までだけど。これ以上は本家はあまり関わらないんだって。お父さんも大分調子悪くなったみたいだし。せっかく良くなった所だったのに」
「ちょっと疲れただけよ、きっと。コウタも疲れた顔してる」
「慣れない事ばかりやったからね。気疲れと言うか。まあ、今日は早めに帰って、明日は朝から来るよ」
 そう笑って見せるコウタだが、やはりいつものような輝きは無い。私の前だから無理をしているのだろうか。
 コウタはまたいつものように、川縁の磨り減った石の上へ対面に腰を下ろした。その仕草も随分緩慢に見える。
「色々気持ちを整理してみたけどさ、やっぱり葬儀じゃ一度も泣けなかったよ。やっぱり、どうでもいい人だとそんなものだね」
「無理に泣く事はないのだから、それで良いと思うわ」
「でもさ、周りも誰も泣いてないんだよ。その人家族でさえも。大人は簡単に人前では泣かないから、って最初は思ったんだけどさ。それがどうやら違ってて。ぞっとしたよ」
「ぞっとした?」
「結局頭の中は、お父さんの遺産配分で一杯なんだ。親類が死んだって、競争相手が減ったくらいにしか思ってないんだ」
「じゃあ、家族の人はどうして泣かないの?」
「死んだその人は事業で失敗して、かなりの借金があったんだって。それを遺産で何とかするつもりだったらしいけど。その死んだ人の遺産の相続を放棄する事で、何とかチャラに出来そうなんだってさ。収支はあまり変わらないから、家族にしてみればどちらでも良かったんだって。これ、火葬場で焼き上がり待ちの時に聞いた話。何かさ、葬儀で泣く事はどうこうとか考えるの、馬鹿らしくなってくるよね。みんな考え方が何でもお金が中心になってて」
「お金が生活の中心だからかしらね。私にはよく分からないけれど」
「僕もよく分からないよ。お父さんが助かるなら、お金なんてあるだけ払っても良いと思うもの」
 泣く事の方が余程疲れると思っていたのだけれど、どうやらもっと疲れる事があるようである。人の生き死にに対する誠意を重んじるコウタに対し、あくまで金額の多少に拘る親類。コウタは、この価値観の違いに気疲れしたのだろう。
「それで、ちょっと思ったんだけどさ。碧は自分の知らない人でも泣くんだよね」
「そうよ」
「なんだか、優しいんだなって思えてきた」
「優しい?」
 意表を突く言葉に、私は小首を傾げる。
「だってそうじゃないか。僕は顔ぐらいは知ってる人の葬式で、泣こうなんて露ほども思えなかった。でも碧は、名前も知らない人でさえも泣けるんだから」
「泣く事が優しい事なの?」
「人が死んだ事を悲しむのは、優しいからじゃないかな」
 優しさから、泣く。私にはまるで理解の出来ない考え方である。そもそも私は、これまで人と接する事が無かったから、優しさとは具体的にどのようなものなのか想像がつかない。コウタの言う、人のために泣く事が優しさならば、私は少し違うと思う。何故なら、私はただの役割として泣いているだけで、人のために泣いている訳ではないからだ。
「コウタも人のために泣けるようになりたい?」
「いや、まさか。男は泣いちゃいけない訳だから。別に泣けなくていいし、泣けるようになりたくもないよ」
「じゃあ、コウタは優しくない人?」
「そんな事は無いと思うけど。人には優しくするように、とお父さんには言われてるから」
「泣かなくても優しくなれるのね」
「前から思ってたけど、碧ってやっぱり変わってるね。そんなこと訊かれるの初めてだよ」
「そう。私、此処から出た事がないから」
「それも差し引いての話だよ」
 自分がコウタとの考え方に大きな違いがある事は自覚している。それを出来るだけ表に出さないように気をつけてはいるけれど、やはり馴染みのない言葉が出ると難しくなってくる。
 コウタにとって泣くという行為は、それだけで何か意味がある複雑なものだ。ただの役割ぐらいにしか思っていない私には、到底理解は出来ないだろう。
「そんなに私は変わって―――」
 その時だった。突然、無性に重苦しい胸騒ぎがは始まり、言い掛けの言葉を喉へ詰まらせた。
「えっ? あ、ちょっと……」
 私を見たコウタが狼狽える。理由は考えるまでもなかった。私が意識するよりも先に、既に目からは止め処なく涙が溢れ始めたからだ。
「ご、ごめん。そんなに傷付くなんて思わなかったから……。いや、その、悪く言うつもりは無かったと言うか、その……」
 あたふたと泡を食うコウタを見つつ、私はこれの出所を探る。それはさほど難しい事ではなくて、一寸目を瞑って意識するだけで良かった。今までは必要がなかったから、単にやらなかっただけに過ぎない。
「ねえ、コウタ。今日はもう帰った方がいいわ」
「う、うん。そうするよ。本当にごめん」
「そうじゃなくて」
「えっ?」
「早くお父さんの所に行ってあげて。急いで」