BACK

 碇泊するファルス号の周辺には、大勢の人集りが出来ていた。いずれも、入札会に参加する各国の企業人や名士ばかりである。周辺には、クワストラの民族衣装に大きな曲刀を携えた政府軍の兵士達が、厳めしい表情で警備に就いている。今回の入札会を快く思わない過激派に対する対策の警護だが、ざっと数えて百は下らない兵士の数に、俺はむしろ政府の決定事項は必ず遂行するという、強い意思表示に思えた。見方によっては、保守派層への挑発のように見える。
 乗船口で素性の確認を行った後、ようやく乗船が許可される。それだけでも二時間近くを要した。警備態勢が厳戒なのは構わないが、クワストラの気候の中で二時間も待たされるのは、少々辟易する。
 クワストラの広報官には、まず宿泊用の客室へ案内された。客室とは言っても、流石にホテルのようにランク付けされた多種多様な部屋がある訳ではなく、俺達には北ブロックの客室がそれぞれ一概に割り当てられていた。画一的な作りからして、他のブロックの宿泊客も同じようなものなのだろう。
 客室へ荷物を置いた後、ニコライとミハイルは息つく間もなく営業へ出掛けていった。他企業との情報交換も兼ねているという。こちらはパーティーへの出席以外は特に仕事も無い立場のため、入札会の事は特に気に留めず、ひとまずはホールの方へ向かった。
 ファルス号のおおよそ中心に位置するメインホールは、優に百名を超える人間が収容できる程の広さがあった。既に内装の飾り付けや、パーティー用のテーブルなどは並んでいたが、人の姿はまばらで、隅の方にあるバーカウンターでひっそりと談笑している程度だった。
「どうやら、まだまだ乗船には時間がかかりそうですね」
 そう肩をすくめるアーリン。我々はセディアランドの外交官だからと、大分配慮されたらしい。けれど、人の集まっていない会場へ早々と通されても、いささか手持ち無沙汰だ。
「ニコライさん達は、こちらではないのですね。私も商談に参加した方が良かったです」
「レイモンド商会には、彼らの仕事がある。首を突っ込んだところで、迷惑になるだけだ」
「そうですけど。やはり、生の現場を味わう事が、一番の経験だと思います」
「時と場合によりけりだ」
 大使代理の立場でありながら、すぐにあれこれ興味を持つ事は、あまり宜しいものではない。そもそもあまり首をあちこち突っ込んで欲しくはないのだ。
 そんな会話をしていた時だった。ふと西側の扉が開いたと思うや、見覚えのある人物がホール内へ入って来た。
「おや、先日はどうもありがとうございました」
 こちらを見るなり、彼は人の良さそうな表情で丁重に一礼する。職業柄か、相変わらず物腰が柔らかで人当たりが良い。
「あら、デリングさん。こちらこそ、楽しいお話をお聞かせ頂きました」
 彼は、リンデルランドのホルン商会の営業で、デリングという人物だ。彼もまたレイモンド商会と同様に、入札会へ参加するためにクワストラへ来ている。
「本日は一段とお綺麗でいらっしゃる。これでは男性達は、明日の入札会どころではありませんね」
「ふふふ、ありがとうございます」
「乗船には、まだまだかかりそうですよ。あちらで、何かお飲み物でも如何ですか?」
「ええ、御一緒させて頂きます」
 デリングの誘いで、会場の一画にあるバーカウンターへ移動する。バーはパーティー用に特設されたものではなく、始めから此処へ組み込むよう設計された本格的な作りのものだった。カウンターの木材は良く使い込まれて雰囲気があり、適度な間接照明がグラスやボトルを煌びやかに見せている。自分の家にもこんなバーがあればと、俺は羨んでしまった。
「デリングさんは、いつ頃乗船されたのですか?」
「実は、私は朝すぐにホテルを出て並んでいたんですよ。何せ、弊社はまだ新興国の一企業にしか過ぎず、知名度も資金力もありません。きっと乗船チェックでは長く足留めされるだろうと思いまして、それで予め」
「まあ、御苦労されているのですね」
 レイモンド商会は、本社であるレイモンド社が世界規模での事業展開をする大企業である。一方、デリングのホルン商会は、あくまで一地方を中心に事業を行っているだけの会社だ。クワストラ政府の対応に差が生じても、それは仕方のない事だろう。
「ですが、早めに来た甲斐がありました。開場待ちの時間に退屈している名士の方々と、雑談がてらに顔と社名を売る事が出来ますからね。それに、フェルナン閣下の御息女とも顔見知りになる事が出来た」
「そう言って、父とレイモンド商会の関係を御存知無い筈はないでしょう? まるで探りを入れられているようですよ」
「これは参りましたね。ええ、確かに否定は出来ません。何せ、レイモンド商会の顧客は少しぐらい奪っても構わないと、社命を受けているんです。私としては、仁義にもとる商売はしたくないのですが。心苦しいものですね、こうして社員と私人の間で揺れるのは」
 そんな歯の浮くようなセリフ、とても俺には口に出来ない。けれどデリングは平然と、アーリンを真っ直ぐに見ながら言い放ってしまった。営業用の話術ではあるだろうが、ひとまずアーリンには真に受けている様子は無いようなので、まだ俺が口を挟む必要は無さそうである。しかし、おいそれと油断する事は出来ない。