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 朝食会が終わった後、一端部屋に戻りすぐさま正装へ着替える。アーリンは無理を言って入札会の傍聴席に席を取って貰っている。そこに着いていくためだ。
 用意を調えると、夜会に使われた会場の方へ向かう。会場は入札会に参加しない人達の待機場所としてあてがわれており、まだ朝食を終えたばかりの早い時間から、まばらにも人の姿が幾つかあった。皆それぞれ、用意されたお茶や菓子と共に、歓談を楽しんでいる。各国の大使や財界人など、直接入札会が目的で参加した訳ではない彼らにしてみれば、既に仕事など終わったようなものである。本来なら、自分もあちら側の人間の筈なのだが、そんな事を今更悔いても仕方がない。今は自分の仕事を完遂する他無いのだ。
 軽く会場を見回すと、幾つかの集まりの中から見知った顔ぶれを見つけ、そこへ向かった。アーリンは朝食会の後、ヤーディアー大使に挨拶へ向かうと言っていたが、今の様子を見る限り、完全にただの雑談で賑わっているだけのようだった。
「おはようございます、閣下」
「やあ、君か。朝から堅苦しい格好で、どうしたのかね?」
「これから、アーリンと共に入札会を傍聴させて戴くので」
「傍聴なんだし、そんなに固く考えなくとも良いのではないかね?」
「いえ、この程度の事でも国の面体に関わりますから」
 そう答えると、ヤーディアー大使はわざとらしい呆れた笑顔を浮かべ、大袈裟に肩をすくめて見せた。それを見た周囲も、同じように冗談めいた笑いをこぼす。
「サイファーさんは堅物ですから。そうでなければ、私の父の補佐は勤まりません」
「私はむしろ、先輩が息苦しい人物を側近に引き抜いた方が不思議でならないがね。もしかして、単に彼が人並み外れて我慢強かっただけじゃないのかい?」
「サイファーさんは、これでもあまり溜め込まない方なんですよ。言わなければならない事は、何でもズバズバと言いますから」
「じゃあ、他のスタッフが彼を引き留めているのかも知れないね」
 そこで再び笑いが起こる。
 自分をだしに談笑している様を眺めるのは、いささか奇妙な感覚だった。不愉快と言うより、何故そんなにも笑えるのかが率直に疑問なのである。だが、そんな事を口にすれば、また新たに笑いが起こり、アーリンもこの場を離れ難くなるだろう。
「アーリン、そろそろ開場の時間だ」
 そう強めに言葉をかけ、退席を促す。アーリンは最後に軽く一礼しながら席を後にし、ヤーディアー大使達は相変わらずの朗らかな調子でそれを見送った。
 会場を後にした俺達は、早速入札会が開かれる場所へと向かう。経路の廊下は、時折何処かの企業人らしい者達が足早に駆け抜けて行った。何を急いでいるのかは知らないが、彼らなりに気負うような日なのだろう。
 入札会の会場は、ファルス号の先端部にある大広間に設けられ、丁度衝角の下辺りに位置している。
 この大広間の一番の特徴は、部屋の前面部分が特殊なガラス張りになっている事だろう。普段は外から看板で覆われているが、それを取り外せば湖の風景が視界全てで満喫する事が出来る。まるで湖面の上を飛んでいるように錯覚する。
 外海を航行する事が前提になっている普通の客船では、耐久性の面からも絶対に有り得ない設計である。荒波の無い湖だからこそ可能な事だ。
「これが、噂の展望所ですね……なんて凄い」
 早速アーリンは、ガラスに張り付いて眼下の景色を見下ろしている。真下は湖面のうねりが見えるばかりで船体が視界に入らず、噂通り自分が湖面の上を飛んでいるかのような錯覚に陥る光景だった。
「夜会も此処で開いて頂けたら良かったのに」
「酔っ払って、ガラスを割った人間でもいたのだろう。さあ、傍聴席に移るぞ。大分人が集まってきた」
 まだ開始までは時間があったものの、既に入札者達の大半は会場に集まっていた。ある者は自席でじっと資料を見つめ、またある者は周囲と情報交換を密にし、中にはどういった意図なのかしきりに会場をぐるぐる回っている者もいる。クワストラ政府が主導する大規模な新規開発事業である、入札者達の間でも様々な思惑が交錯し、内情は悲喜交々と言った所だろう。宮仕えにこだわっていた訳ではないが、こういう世界では流石に俺のような人間は生きられないだろうと、この光景を前につくづく思った。
 会場の隅にある傍聴席は、参加者席とは違って俺達以外には面識の無い男が一人居るだけと、非常に閑散としていた。この男も佇まいは企業人然としており、付き添いで来たが席にあぶれたといった所だろう。つまり、完全な部外者は俺達だけのようである。
 俺達は堂々と傍聴席の最前列中央に座り、開始を待った。入札会の開始まで、およそ三十分程。ただ待つには、いささか長過ぎる時間だ。そして何より、続々と入場して来る人々の顔ぶれを見るたび、如何に自分達が浮いた存在であるかを自覚させられる。向こうは入札の事で頭がいっぱいで見向きもしないだろうが、俺はこの場違い感には耐えるだけで精一杯だ。
 傍らのアーリンを盗み見ると、彼女は何臆する事無く堂々と構えている。自らの信念に燃える目である。自分の信ずる事に、何ら疑いを持たないのだろう。その青々しさがかつての自分と重なり、少しばかり羨ましく思えた。