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 世界で信者が最も多いのは、アルテミジア新教である。人口の九割が信者とされているが、アルテミジア新教は厳格な宗教儀式が無く、時代の変化や個人の都合に柔軟である自由さから、特定の信仰を持たない人間も取りあえずアルテミジア新教の信者を名乗っている場合が多い。オルランドもアルテミジア新教の信者ではあるが、その自覚はほとんど無い。
 オルランドはアルパディンと呼ばれる西方の都市へ来ていた。アルパディンは歴史的な建築物が多く、観光地としても栄えている都市である。そして最も特徴的なのは、この都市はアルテミジア正教の総本山である事だ。アルテミジア正教とはアルテミジア新教の派生した元の宗教であり、新教と違って厳格で形式を重んずる特徴がある。そのため様々な儀式用の施設が建てられており、観光客の大半はそれが目的で訪れている。だがオルランドは、やはり魔王の足跡を調べるために訪れていた。正教は、最高責任者である法王直々に魔王に対する非難声明を発表した事がある。だがこれに対して、魔王はアルパディンや大聖堂を襲撃するような事をしなかった。当時はこれを神の加護などとまことしやかに叫ぶ者もいたそうだが、真実は不明である。これまでは魔王に襲われた理由を調べていたが、今回は逆に襲われなかった理由を調べようとしていたのだった。
 港から観光用の馬車で半日ほど向かうと、宗教都市アルパディンに到着した。街は景観を重視しているためか、そのほとんどが古い建築物を補修しながらそのまま残していた。至る所に宗教的な意味のある彫刻が置かれていたり、建物の中も安い飲食店ですら何かしら宗教画が飾られている。特に圧巻なのが、世界で最も巨大な建物とされる大聖堂と、その正面に設けられた太陽の広場と呼ばれる公園だ。元々は大聖堂の中庭として作られたが、いつの時代からか一般へ解放しているのである。公園には宗教書に出て来る聖人や兆しをモチーフにした彫刻が置かれているが、それらを目的に訪れている観光客があまりに多く、オルランドはほとんどそれを見る事はかなわなかった。
 仕方なく場所を変えたオルランドは、大聖堂の一般解放エリアへ向かう。そこもまた長い列が出来てはいたものの、中は時間と人数制限が設けられているため、一度入る事が出来れば太陽の広場ほど混雑はしないと予想が出来る。特に急いでいる訳でもないオルランドは、列に並びながらのんびりと自分の番を待った。
 小一時間ほど待った末、ようやく大聖堂の中へ入る事が出来たオルランド。一般解放エリアは非常に限られているためか、立ち入りを許可されているのは礼拝堂の一つと、そこへ向かうまでの廊下のみと知らされる。しかし実際に入ったその廊下は、一般的なそれとは比べ物にならないほど大きく、そして豪奢だった。ずば抜けた幅と天井の高さ、内装はいずれも豪華絢爛としか呼びようが無く飾られている。そしてその豪華さも決して下品な輝きは無く、むしろ厳かさの感じられる箔があった。魔王はこれを壊したくがないために、声明に対する報復をしなかったのだろうか。そうオルランドは想像する。
 そして到着した礼拝堂は、やはり同様にあまりに大きく豪奢で厳かなものだった。これまでまともに礼拝などしたことのないオルランドだったが、ここでは思わず敬虔な心境にならざるを得なかった。人の流れもあるため足を止める事は出来ないものの、ここで祈り続ければ本当に魔王を退ける事が出来るのではと思わず錯覚してしまいそうになる。
 そしてその日オルランドは、見学した全ての物に圧倒され、非常に厳かな心境で宿へと戻った。そこで初めて、今日は観光ばかりでろくに取材をしていない事に気付いた。魔王の足跡が無い事は確かだが、何故魔王はこの街に侵攻しなかったのか、明確な理由を突き止めるために訪れたのである。何かしら手掛かりを見付けなければ、わざわざ来た意味が無いのだ。
 オルランドは部屋を出ると、宿の地階にあるバーへ聞き込みに向かった。既に日も落ちた時間であるため、そろそろ客足もこういった所へ向かうと踏んだのである。宿は如何にも伝統的な正教の教えに則ったと言わんばかりの内装だったが、観光客相手のためかバーのような伝統とは異なる設備も用意されていた。取りあえず人が集まれば何か話が聞けるかも知れない。そう思って入ったものの、バーは驚くほど閑散としていた。まだ集まる時間ではないのだろうか。ひとまずオルランドはカウンターに着き、バーテンダーにワインを注文する。
「お客様は観光ですか?」
 バーテンダーはグラスを出しながらそう訊ねてきた。
「ええ。太陽の広場と大聖堂を見てきました。噂通り、凄い所でしたよ」
「太陽の広場は昼間の話ですよね? 夜はご覧には?」
「はい? 夜が何か?」
「夜は夜で、月の光が差し込んでそれはそれは幻想的な姿になるのです。観光の方々は皆それを見に夜も向かわれるので、今の時間もかなりの人が出歩いているんですよ」
「なるほど……だからまだこんなに閑散としてるんですね」
 知らなかったとは言え、しくじってしまったか。そう残念がるオルランドだが、昼間の人酔いしそうな混雑にもう一度向かう気力がないのと、そもそも目的が観光ではないことを思い出し、ワインを口にしながら出直す事は止める決心をする。
「やはり、こういった美しい名所があるからなんでしょうね。魔王が襲わなかったのは」
「それも含めて、神の御加護ですよ。ところでお客様、あなたはアルテミジア正教の信徒でしょうか?」
「いえ? 僕は新教ですけど。それが?」
 するとバーテンダーは、改めて閑散とした周囲を確認すると、声をひそめトーンを落として話し掛ける。
「悪い事は言いません。この街では、魔王についての話はしない方が賢明ですよ」
「えっ? でも、当時法王は非難声明を出したりしていましたよね?」
「それでもです。この街に住む正教の信徒は、皆そうしています」
「何故かと理由を訊ねても?」
「それも止めた方が良いです。理由が答えのようなものですから」
 そうバーテンダーは、明確な回答はしないまま何度もオルランドへ釘を刺した。
 一体何故、この街では魔王の話が禁忌になるのだろうか。下火になった話題で、今更話すような人は少数派ではあるだろう。けれど、禁ずるというのはただ事ではない。
 この街には、何か予想もしないような魔王の足跡があるのだろうか?
 オルランドは、外面では了承して見せつつ、内心では好奇心を強く滾らせていた。