BACK

 オルランドは、人の出入りが最も頻繁になる開始直前の時間を見計らって会場へと入った。会場となる教会はごくありきたりな構造で広さもさほどではないが、それでも押し寄せて来た聴衆で瞬く間に満杯となった。足の悪い者や年寄りが席に座り、それ以外は各々空いたスペースに立つ。そこまでして聞く価値がある講演なのだろうか。講演そのものにはさして興味はなかったのだが、この盛況ぶりにオルランドはいささか興味がわいた。
 聴衆が増え過ぎた所で、場所の調整などを行う係の者が対応に追われ始める。それを確認したオルランドは、人の目を盗むようにしてそっと会場から関係者用のエリアへ抜け出した。一般向けのトイレは外にあったが、この盛況ぶりを見れば間違いなく関係者用のトイレは建物の中に作られている。司教も利用するのはそこだろう。
 廊下を進んでいくと、幾つか部屋の扉が並んでいた。扉には特に表札などついていないが、恐らく司祭や助祭の準備室もしくは事務用の部屋だろう。少なくともトイレではない。大抵臭いがこもらないよう建物の外側へ作られるものであるから、オルランドは自分の現在地がどの辺りかを意識しながら探索を進める。
 時折、若い助祭らしき者が足早にすれ違っていったが、誰一人としてオルランドを咎める者はいなかった。開始まで時間が無いためいちいち気に留めていないのと、部外者がこうも堂々と歩いているとは予想していなかったのだろう。
 やがてオルランドは、トイレを示す表札のついた扉を見つけた。そこでオルランドは、どう待ち伏せれば良いのかと今更になって考え始める。司教は開始前にトイレに寄るだろうという憶測だけで来たのであって、そもそも来る確証も無ければ、タイミング自体も計っていた訳ではないのだ。
 ここで待ち伏せるとしても、あまり長く居ては目立つ上に部外者だと気付かれる可能性もある。ひとまず中へ入って少し待ってみるか。そう考えた時だった。
「おっと」
 突然中からトイレの扉が開き、一人の壮年の男が現れる。男は扉の前に人が立っているとは思っていなかったらしく、オルランドの姿に少々驚いた風だった。
「あ、すみません」
「いえいえ」
 まず謝りながら、男の風体を急ぎ確認する。すると男の身形は、来る途中ですれ違った助祭とは服装が明らかに異なっていた。幾分か装飾品も身に付けており、着ている服も赤や白の多い目立つデザインになっている。これはもしかすると目的の当人なのかも知れない。そう思ったオルランドは、すぐさま訊ねた。
「あの、失礼ですが。本日講演を行うヤヌピオ司教でしょうか?」
「如何にも。おや、信徒の方ですかな? ここは一応関係者用の場所ですから、早めにお戻りなさいな」
「私はオルランドと申します。是非司教に答えて戴きたい質問があり、このような不躾な方法を取った事を御容赦下さい」
「質問、ですか。講演では質疑の時間もありますが」
「その場では難しい内容です。お時間は取らせませんので、どうか」
「よろしいでしょう。迷える者を導くのも我らの使命ですから」
 この突然の状況にも、司教は少なくとも表面上では穏やかな振る舞いのままだった。オルランドは実際時間が限られていることもあって、すぐに本題を切り出す。
「この都市アルパディンは、魔王と何か関わりがあるのでしょうか? 十年前の非難声明に対して報復が何も無かった事について、何人か町の神父に訊ねてみました。しかしいずれも一様に同じ答えしか返しません。それ以外にも、ここで魔王の話はしない方が良いと忠告する者すらおります。まるで何かしら魔王との繋がりがあって、それを表沙汰に出来ず隠しているようにしか思えてならないのです」
 真っ先に魔王という言葉を口にし、はぐらかされやしないか。そうオルランドは危惧しながらも、自分の疑問を全て話す。司教はそれについて穏やかなままの表情で答えた。
「あなたは、神の恩寵を信じませんかな?」
「魔王がここを標的にしなかったのは、単に戦略的な都合だったかも知れませんから。そうではなく、私が疑問なのは、皆が魔王の話そのものを禁忌にしていることです。もう魔王はこの世にいません。それなのに何故話す事すら禁ずるのか。その不自然さが気になるのです」
「なるほど。話そのものを禁ずる理由がある事に違和感を覚えると仰りたいのですね。ですが、だから私がその答えを知っているとも限らないでしょうに」
 司教はにこやかに、まるで諭すような口調でそう確認する。
 これは駄目だ、まともに答えては貰えない。そうオルランドは感じた。司教の話口調が、まるで子供を諭す親のそれに酷似しているからだ。
 そろそろ退き際なのかも知れない。これ以上食い下がった所で、このままのらりくらりとかわされるだけだろう。
 そうオルランドが方針転換を決めた時だった。突然、背後から両方の肩をそれぞれ別の人間に掴まれる。それは肩を掴む手の強さでかなり腕力のある者だと推し量れた。
「えっ!?」
 驚き振り向くと、そこには神父でも司祭でもない、別の制服をまとった男が二人無表情で立っていた。オルランドはその制服に見覚えがあった。昨日見学に行った時、そこかしこで見られたアルテミジア正教の衛兵のものだ。
「それはさておいて。あなたの事はお達しを受けておりますよ」
 困惑するオルランドに、司教はにこやかなままそう伝える。お達しとは何か、このまま自分をどうするつもりなのか。様々な憶測が瞬く間に混乱する脳裏を駆け巡るが、その場から体を動かす事は出来なかった。