BACK

 ムーン・ダイヤでは、夕食後の就寝までの間に一時間だけ自由時間が設けられている。談話室と名付けられた広間に囚人達が集まり、そこで各自思い思いに過ごす事が認められていた。娯楽用に映像も流されているが、それは自然界の風景や動物の戯れなどの刺激のないジャンルに限定されていた。読書用に認められている本もあるが、当然新書や雑誌の類は無く、古典的な小説がほとんどである。しかも、あらかじめ内容は選別されているため、反体制的な主人公や法に逆らうような小説は全て除外されていた。それでも娯楽としての人気は小説が最も高く、結果的に談話室の囚人達の大半は黙々と読書に耽っていた。
 この自由時間に限り、自由な私語も認められている。けれど実際に話す囚人は少なく、積極的に話そうという者は極端に少ない。そのため談笑するのはほぼ同じ面々だった。彼らが話さないのは、このムーン・ダイヤの更正システムが会話の内容を全て監視しているからだ。不穏当な言葉は元より、更正システムは比喩的な表現でも反逆行為に該当するかどうか判断する事ができた。監視に引っ掛かった事で即座に罰せられる事はないが、かつて注意に対し反抗的な態度を取った囚人は、すぐさまマイクロチップによる強制的な嘔吐感で鎮圧され、そのまま独房へ入れられた。地獄の苦しみを一晩中味わわされたその囚人は、システムに対して絶対服従を誓うようになってしまった。この出来事により、下手に会話をして同じ目に遭わされるくらいならと、予防の意味も込めて初めから話さない囚人ばかりになってしまったのだ。
 囚人番号M20715は、談話室での自由時間はのんびりと流される映像を眺めて過ごしていた。談笑するほど親しい囚人も居なければ、無理に談笑するような理由もない。読書も収監されたばかりの頃はしていたが、いずれも内容が合わず長続きしなかった。そのため残る娯楽としては、この平和的で露骨に精神の鎮静化を図るような映像を眺めるしかなかった。囚人番号M20715にとってこの自由時間は苦痛でしかなかった。様々な景色を見せられたところで旅行に行こうとは思えず、興味もわかない。ましてや動物など微塵も興味が無い。それでも毎日何かしら異なる映像を流す変化があったため、辛うじて眺めていられた。
 今日も早くこの自由時間が終わらないだろうか。そんな事を思いながら、一人モニターの前に座り眺めていた時だった。
「読書はしないのか?」
 不意に背後から声を掛けられ振り向く囚人番号M20715。そこには座ってモニターを眺める彼を見下ろす、囚人番号L00012の姿があった。
 彼に話し掛けられたのは、あの昼食の時以来だろうか。面倒な男にまたしても話し掛けられた。囚人番号M20715は厄介事は御免だとばかりに無視を決め込みたかったが、今は私語を禁止されてはおらず、にもかかわらず黙っていれば囚人番号L00012に対して無視を決め込んだ態度に見られる。それで彼の機嫌を損ね、後々面倒事に繋がっては元も子もない。囚人番号M20715は思わず漏らしそうになった溜め息を飲み込み、他の囚人達に会話が聞かれぬよう声をひそめて応じる。
「俺にそんな学はない。ここにある本は、どれも小難しいものばかりだ」
「古典文学に触れるのもいいものだぞ。心が豊かになる」
 その古典文学の作者に自殺した者が多いのは何故か。そんな事を口にしかけ、これではまるで喧嘩を売っているようだと気付き思い留まる。
 そもそもこんな世話話をしに来た訳でもないだろう。囚人番号M20715は、せっかく相手から近付いてくれたのだから、この機会に疑問に思っている事を訊いておこうと考えた。
「何か俺に聞きたい事でもあるのか? わざわざこんな所まで来たんだ、恨み言の一つだって言いたいんだろ」
「もうそういう段階じゃあない。恨みってのは長く引き摺ると、風化こそしないが形がいびつに歪むんだ。その事に気付くと、急に恨みを持つ事自体が虚しくなる」
「俺の仮釈に許可を出してくれたのはアンタか? その、虚しさ故ってやつなのか?」
「ああ、そうだ。結局、アンタを恨む事に疲れたという訳さ」
「だからって、自分まで囚人になる必要あるのか? アンタ、一体何をやらかしてここに来たんだ。よほどの事をしない限りは来れない所だぞ」
「方法なんて大した問題じゃない。それよりも、お前。自分の罪は忘れているまいな」
「ああ、反省してる。この二十年あまり、考えなかった事は一日も無い。あの日からずっと俺は、自分の罪と向き合い、償う生き方というものを考えている」
 囚人番号M20715はすらすらとそう答えるが、その言葉はほとんどが嘘である。訊ねられた時に答えられるよう、予め用意しておいた返答だ。被害者の事を思い出さない日は、むしろ年月と共に少しずつ増えてきている。反省の振りと言葉は達者になる一方で、胸中では仮釈放された後にまず何をやろうかという欲の算段しかない。無論、そんなことを彼に知られる訳には行かなかった。
「だったらいい、そうやって法の拘束が無くとも一生悔いながら生きれば、それが妹の救いになる」