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「すまない。責めている訳じゃないんだ。もう過ぎた事だしな」
 二人の間の張り詰めた空気、それを打ち破ったのは意外にも囚人番号L00012だった。囚人番号M20715は驚きと困惑を隠せなかった。そうなる原因を作ったのは他ならぬ自分のはずなのに、囚人番号L00012の方から何故謝るのか。遺族が加害者に謝る、そんな道理が無いことなどは囚人番号M20715のような人間でも理解している。囚人番号L00012とは余程のお人好しなのだろうか。
「いや、それは俺が……」
「気を使ってくれなくていい。お前が充分反省している事は知っているから」
 囚人番号M20715は、ただただ困惑するばかりだった。そしてこの時、彼の胸中にはムーン・ダイヤに収監されて以来欠片も存在しなかった感情が芽生え始める。それは、自ら引き起こした犯罪被害者と遺族、特に囚人番号L00012に対する罪悪感だ。それは彼に自分の本心を何もかも打ち明けた上で、性根を入れ替え心から謝罪し自らの罪を猛省するほどではない。変わらず彼の目的は仮釈放であり、それを自らふいにする事は有り得ないのだ。けれど、その目的が揺らがない範囲であれば、囚人番号L00012に対して何かしてやりたい、そう思うようになった。
「ハハッ、何だか辛気臭くなったな。話題を変えよう。お前、刑務作業は何をやってるんだ?」
「あ、俺か? 俺は外に出てひたすら月面の砂をすくってるぜ。ここに収監されてから毎日ずっとだ」
「外の作業か。俺もそっちの方が面白そうだから良かったな。俺は内勤だ。そのすくった砂の配送管理だ」
「そんな作業もあるのか。初耳だぜ。アンタ、相当なインテリなんだな」
 ムーン・ダイヤの刑務作業は、そのほとんどが月面に出ての砂すくいである。けれど、僅かに内勤の作業も存在するという話は少しだけ聞いたことがあった。だがムーン・ダイヤは重犯罪者しか収監されず、そのほとんどが真っ当に社会へ適合出来ないような人間である。そういった人間に、何かを管理する仕事などやれるはずが無いと思っていた。そもそも管理などはムーン・ダイヤの更正システムが行うものである。つまり囚人番号L00012は、よほど模範的で優秀な囚人と判定されたのだろうか。
「まあ、月面の仕事なんて最初は珍しいかも知れないが、すぐ飽きてくるぜ。変わり映えのしない景色に単調な作業、音楽一つかけられないんだからな。思っているほど良いものではないさ」
「やったことが無いから面白そうに見えるだけ、というだけのことか。俺は実のところ月面に立った事が無くてさ。刑務作業辺りで出られればと期待していたんだが」
「自分で金出してやるような価値はない、と言っておくぜ」
 囚人番号M20715が収監される以前から、既に月面旅行はツアーなどが組まれ存在していた。当時は今よりもまだ高額で、金銭的な余裕が無ければとても無理な旅行だった。しかしビリオネアのような資金力が必要という訳でもなく、中流以上の家庭でも何とか手の届く現実的な金額だ。その辺りを境に月面旅行はどんどん値下がりし、今では普通の旅行の選択肢の一つとして数えられるほどだ。囚人番号L00012が未経験である月面散歩も、経験者の数はかなりの割合になっている。
「刑務作業の変更なんて、申請は出来るかどうか分からねえけど、どうしてもってなら訊いてみればいいんじゃねえか? 確か、囚人の意見や要望は房内の端末から出せるらしいぜ」
「いや、どうしてもという程でもないさ。月面散歩ではしゃぐような年でもない」
「そうか? その割に、未練でもありそうだな」
 囚人番号M20715は、囚人番号L00012が手にしている読みかけの本を指し示す。それは月の概略について書かれた本である。
「これはまた別件さ」
「別件? どんな?」
 囚人番号M20715は遠慮なしにずけずけとした物言いで訊ねる。つい今し方息を飲むような目に遭ったにもかかわらず、囚人番号L00012が下手に出たため何を訊いても大丈夫なのだろうと踏んだのだ。
 すると囚人番号L00012は遠慮がちに話し始めた。
「実は、ちょっと頼みがあるんだ。もし出来たらでいいんだが」
「何だ? 簡単な事ならいいぞ」
「月の石が欲しいんだ」
 月の石。それは特定の鉱物を指す正式名ではなく、月面に転がっている石を総称した呼び名だ。囚人番号M20715にしてみれば毎日目にする、ありふれたつまらない物だ。
「何でまたそんなものを。売ったって、大した金になんかならないぞ」
「妹が……欲しがっていたんだ」
 そう答える囚人番号L00012に、囚人番号M20715は再び息を飲んだ。そしてそれ以上の明言を避ける囚人番号L00012の胸中を、囚人番号M20715はその大体を察した。
 囚人番号M20715は、先程自分が囚人番号L00012に対して何かしてやりたいと思っていた事を、再び頭の中に浮かべ咀嚼する。彼に対する同情はさほど無いにせよ、何かしてやりたいという気持ちは依然としてある。そして、毎日刑務作業で出ている月面の石を拾う事くらい、雑作もない事である。だから彼の頼みを断る理由は無かった。