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 ムーン・ダイヤ内における、囚人番号L00012の謎の失踪。それは発覚するどころか、他の囚人達は気にも留めず更生システムすら把握していない。そんな異常な状況について囚人番号M20715は、自分にとってどんな影響があるのかを考えた。結論として、ムーン・ダイヤの異変が直接自分に関係が無ければ影響は特には無い。このまま普段通りの生活を続け、予定通り仮釈放が降りるのを待てば良いのだ。けれど、毎日を同じように無難に過ごそうとする囚人番号M20715にとって、この変化は素直に受け入れがたかった。模範囚として振る舞い続けるのは彼にとって苦痛でしか無い。それでも二十余年も続いたのは、模範囚としての振る舞いをルーチンワークにし、出来る限り同じことの繰り返しとする事で作業化したからである。即ちこのムーン・ダイヤの異変は囚人番号M20715のルーチンワークを侵す事であり、仮釈放には無関係だからと切って捨てる事は出来ないのだ。
 その日も囚人番号M20715は普段通りに刑務作業を行っていた。囚人番号L00012の件は未だ気掛かりだが、普段の生活を変える事は出来ないのだ。そして作業が終わり、準備室で通常の囚人服へ着替える。その際、囚人番号L00012へ渡すために拾って隠していた月の石を意識させられた。囚人番号L00012がムーン・ダイヤに居ない以上は渡す事も出来ず、この石は用済みと言えば用済みである。けれど囚人番号M20715は、その石を捨てる事が出来なかった。もしかしたら突然と囚人番号L00012が戻って来るかもしれない、そういう可能性を捨て切れずにいるからだ。
 夕食を終え、入浴を済ませた後に談話室へ赴く。本を手にしつつ室内を窺う。最近の癖で、更生システムの穴を探すことは無くなったが、未だ囚人番号L00012の姿を追う事があった。こうしている内に実際囚人番号L00012の姿を見つけてしまうだろうという期待感もあったが、その期待は今日も裏切られる形に終わった。
 どうせ囚人番号L00012の件も必須ではなく、そして更生システムの穴など月の石の件が無ければ全く必要のない事である。囚人番号M20715は椅子に座りつつ、さして読めもしない本を眺めながら寛いだ。談話室の中はいつも通り静まりかえってはいるが、時折声をひそめた話し声は聞こえてくる。会話の内容に興味は無く、囚人番号M20715はさして気に留めずにいた。
 そんな時だった。
「やっぱりそう思うだろ? 絶対居ないって」
「つっても、ここから脱獄なんて無理だろ……」
 二人の話す会話の中に気にかかる言葉が聞こえ、思わず囚人番号M20715はその会話に耳を澄ました。
「そもそも気のせいじゃないのか?」
「いや、そんなんじゃないって。俺は人の顔は一目見たら絶対忘れねえんだ。アイツ、今ここに居ないって」
「医療棟にでも移されたんじゃねーの?」
「だったらシステムから連絡来るだろ。ここの囚人の増減についてだけは、更正システムはやたら細かいじゃないか」
「けどさあ、幾ら何でも脱獄は流石になあ」
 脱獄。その言葉に、囚人番号M20715は思わず囚人番号L00012の事を連想する。その可能性については囚人番号M20715も全く疑わなかった訳ではないからだ。
「元々おかしな奴ではあったよな。刑期も罪状も出てなくて。誰か本人に訊いた奴はいないのか?」
「いや。新入りに話し掛ける奴なんて、そもそもいねえって」
「また例の噂話か? 運営者会社から覆面調査員が囚人として入ってくるっていう」
「けどさあ、今までも新入りが来て間もなく懲罰房行きになった奴が結構居たんだぜ」
「偶然だ、偶然。第一、新入りが来ても消えたって話は一度も無かったろうが」
「そりゃそうだけどさあ……でも、噂にはなり始めてるみたいだぜ。流石にこんなところで人が一人消えて誰も気付かないなんて事は無いさ」
 二人の会話を盗み聞きしている内に囚人番号M20715は、やはり話題になっているのが囚人番号L00012である事に確信が持てた。そこで意外だったのは、囚人番号L00012の失踪に気付いているのが自分だけでなく、他の囚人達の間でも噂になり始めているという事だった。つまり囚人番号L00012の失踪は自分だけの思い込みではないのだ。
 そこで新たな疑問が生まれる。複数の囚人達が囚人番号L00012の失踪に気付いているにもかかわらず、更正システムは一体何をしているのか、という事だ。更正システムは囚人の出入りには非常に細かく厳しい。この二十年余りの間に外へ出られた囚人は僅かであり、いずれも病死によるものだ。そして必ずそれは更正システムからアナウンスされる。誰にも知られないで外に出る事など絶対に有り得ないのだ。
 まさか、更正システムは囚人番号L00012とグルなのではないか? それこそ、実は囚人番号L00012は運営会社からの覆面調査員という奴で。もしも初めから自分が標的だったのなら、まず間違い無く仮釈放絡みの理由だ。だが、運営会社がわざわざそんな事をする理由が思い付かない。囚人番号M20715は、この民間刑務所というものが世間的には囚人の更正を目的とした施設である事を理解していた。そして、法的な手続きに則った仮釈放はムーン・ダイヤの更正施設としての価値を高めるはずとも考えている。だから運営会社は、自らそれを潰すような事をするだろうか。