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「あの、エリック先輩。報告書が出来ました」
「うん、確認するよ」
 マリオンが書き上げたのは、聖都南区三号館における迷子多発事件についての調査結果の報告書である。特務監査室の新人の最初の仕事として、教育がてらに書かせたものだ。しかし、こういった内容の公式な文書を書いたことが無いせいか、マリオンは書き上げたと言ったものの、これで本当に良いのかと疑問符の浮かぶ表情をしている。確か自分も最初はそうだった、そうエリックはかつての自分を思い出した。
 聖都南区三号館での迷子多発事件は、下校中の学童が無作為に標的として狙われ、己の意思とは関係なしに建物の屋上へ移動させられる現象を指したものである。移動は距離や人数に関係無く、本人がそうと自覚する間もなく発生する。また、一日に二度以上の事件が起こった事は無いこと、屋上に既に別の学童がいる場合は起こらない事が確認されている。この現象について原理は不明。対策としては、屋上に新たに落下防止対策を施した上で解放し近隣児童を招き入れること、その際に管理人を待機させておくこと。期間はこの集合住宅が計画済みの取り壊しが始まるまで。
「う……うん、まあこうなるよなあ」
 マリオンの報告書を読みながら、エリックは小さく唸る。現象の説明と対策はあるが、肝心の原因が書かれていない。これを通常の上司が読めば間違い無く叱責と修正をされるだろう。けれど、特務監査室は例外である。全ての現象に明確な理由が必ずある訳ではなく、これはこういうものだと割り切るしかないケースが相当数あるのだ。その辺りがマリオンの未だ不慣れな部分だろう。
「どうでしょうか? 書いた私が言うのも何ですけど、何かこう、煮え切らないというか……」
「ま、最初の内はそうだよ。段々と慣れてくるって」
 自分こそ完全に慣れきっていないというのに。そんな自虐的な事を思いながら、エリックは報告書に承認のサインをする。
「ところで、あの建物ですけど。取り壊したら何になるんでしょうか?」
「取り壊しは、あの辺り一帯の交通事情を考慮して行われる道路拡張工事にも起因しているそうだよ。まあ、まず間違いなく道路だろうね。取り壊し対象になると立ち退き料として国から結構な一時金が出るし、投資として迷うくらいならいっそのことって思うだろうし、まず間違い無く舗装化は避けられないだろうなあ」
「じゃあ、建物が無くなった後は、迷子はどうなるんでしょう? 単純に事件が無くなるならいいけど、もしも引き続き起こったら?」
 確かに言われてみればその通りだ。マリオンの素朴な指摘にエリックは思わず考え込む。迷子事件そのものが、建物が無くなったからと言って止まるという確証は得られてはいない。もしも建物が無くなっても事件が起こるようなら、それはまた別の問題になるのではないだろうか。
 すると、今の話を聞いていたのかウォレンが面白そうに加わって来た。
「おー、もしかして迷子が突然と道路の真ん中に現れるようになるのか? タイミング悪かったら、馬車なんかにはねられて、別な事件になっちまうな」
 そして更にルーシーまでもが興味深そうに話しに続く。
「そもそも、道路に出ると限らないんじゃない? もしかすると、元々屋上があった場所かも」
「それはマズいな。迷子じゃなくて謎の轢死体の多発事件かよ。本当に隠しきれないんじゃねーの? ああ、でもそうなったら俺らの責任か」
 その通りである。もしも子供が強制的に屋上があった場所へ移動させられる仕組みだったとしたら、次の瞬間はどうなるのかは皆まで言わずとも明確である。そして、この手の不可解な事件は特務監査室の領分であり、事前に手を打たなければならない仕事である。
「ひとまず、経過観察は怠らないようにしないと。もしも事件が続くようであれば、その時は別な手を打たないといけませんから」
「ま、その時が来てからですねー。ひとまず取り壊しはもうちょっと先の話なんだしー」
 呑気に答えるルーシー。経過観察は必要としても、今日明日に直ちにという訳ではないのだから、別に慌てなくて良いと考えているのだ。
 しかしエリックは、その時になってからあれこれ考案し用意するのでは遅過ぎるという考え方だった。すぐさま過去の似た事例が無いか資料を探し始める。それにより対策の傾向を押さえておくのだ。
「真面目だなあ、室長補佐殿は。俺、明日でいい事は今日出来ねえタイプなんだよなあ」
「知ってますよ先輩。一度ヤバいくらい太ってからようやくダイエット始めた事くらい」
「うるせーよ。お前もいつかはそうなるんだ」
 そして、ウォレンとルーシーの他愛のない雑談が始まる。いつもの事であるが、二人はこういった仕事の準備に対して事前の備えというものをほとんどした事が無い。心の余裕なのかも知れないが、エリックにしてみればどちらもただの怠け者にしか見えなかった。
「エリック先輩、私も手伝いますよ! まずは資料集めですね!」
「うん、ありがとう。本当に助かるよ、本当に」
 初めこそマリオンの存在は苦手で仕事がやりにくくなるのでは、と懸念していたエリックだったが、良く考えてみれば、真面目で仕事の出来る後輩がいるというのは、普段何も仕事をしない二人の先輩よりも遥かにありがたい存在である。
 マリオンのおかげで、内勤の仕事は多少は楽になるかも知れない。そう思うと、少しばかりエリックは気持ちがほぐれるのだった。