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 ルーシーの示す絵画。エリックとマリオンは小首を傾げた。ルーシーの目的がまるで見えないからだ。しかし、
「あっ、いや、その」
 倉庫の管理人は、目に見えて動揺し始める。じりじりと近付いてルーシーから絵画を奪おうとしているが、当然ルーシーもそれに気付いているため一定の間合いを保ち続ける。
「あの、ルーシーさん? これ、一体どういう……」
 困惑する二人を余所に、二人は互いに何らかの駆け引きに出ている。やがてルーシーは唐突に一歩大きく飛び退くと、
「オラァッ!」
 妙に勇ましい掛け声と共に、ルーシーは手にした絵画を丸めてドアが開けっ放しの十二号室へ力一杯に投げ込んだ。
「うわあああ!」
 それを慌てて追いながら十二号室へ駆け込んで行く管理人。彼が入るや否やルーシーはドアをすかさず閉めた。
「エリック君、鍵!」
「は、はい!」
 ルーシーの迫力に気圧され、命じられるがままドアを施錠する。それで決着だったのか、ルーシーは安堵の溜め息をついた。
「まったく。ここがどういうとこなのか、全然分かってないわね二人共。いい加減、常識なんて捨てなさいよ」
「あの、どういう事なんでしょう? あの人、管理人ですから閉じ込めちゃマズいのでは」
「んな訳ないじゃん。あいつ、しっかり裏口見てから戻ってきてるし。自分で鍵外せないからさ。はー、念のため鍵かけといて良かったわ」
「えっ!? あの人、管理人じゃないんですか!? だったら、すぐ捕まえて警察に引き渡さないと!」
「そうじゃないって。やれやれ、これは久々に教育ねー」
 ルーシーは露骨に落胆の様子を見せて大きな溜め息をついた。
「ここは曰く付きの絵画なんかを保管してるって言ったよね? 呪いの強いやつは無いけど、幽霊が取り憑いてるのとか、幽霊を写生した幽霊その物の絵だってあるのよ。ここまではいい?」
 ただの絵に幽霊が憑くとか、絵が幽霊になるとか、そもそも幽霊の存在自体否定的な二人にとってルーシーの説明は、全く受け入れ難いものだった。しかしそこを突っ込んでは話が進まないだろうから、敢えて納得した振りをする。
「今のはシャルダーカ国の幽霊画の一つ。幽霊が自分の自画像を描いて自分を複製するってタイプの奴ね。直接的な危害を加えたりはしないけど、まあ騒がしい事に変わりはないし。今も雨戸が壊れた部屋を開けさせて逃げようとしたからね」
「まさか、幽霊が僕らを騙そうとしたんですか?」
「そういうこと。幽霊なんて恨み辛みだけの存在じゃないのよ」
「でも、雨戸の事とかどうやって知ったのでしょう?」
「あの部屋で大声で話してたじゃない。全部聞かれてるんだから」
 そこでエリックは、十二号室に保管された絵画達をもう一度想像する。あれらが全て意思を持っているというのなら。しかもそれが悪意だったとしたら。考えただけでもおぞましく、気持ちが悪くなってくる。
「いい? 今回はたまたま私が空っぽになった絵に気付いたから良かったけど、次は分からないんだからね。ここはそういう場所だって肝に銘じておきなさい」
 恩着せがましく、露骨に先輩風を吹かせたルーシーの物言いに、二人はぽつりと一言返事をするしか出来なかった。絵画鑑賞でサボっていた事こそ追及したいが、明らかな失態をフォローしてもらっている以上、どうしても強くは出られない。
「あの、ルーシー先輩。幽霊って、セディアランド以外でも同じような感じなんですよね? こう、実体が無くて、消えたり現れたりするような」
「そうねー。ある程度国々の文化的な影響による差異はあるけど、不思議と似通ってるなー」
「実体が無いなら、壁とかすり抜けて逃げれば良いんじゃないんでしょうか? 私達に鍵を開けさせなくとも」
「あー、それは無理よ。幽霊だって元は人間だし。人間は壁抜けたり、空飛んだり出来ないでしょ? その概念が強いから、死んでも出来ないのよ」
「じゃあ、幽霊になっても生前とあんまり変わらないのでは?」
「当たり前じゃない。人間、死んだくらいで生前出来なかった事が出来るようになるはずないわよー」
 乱暴な理屈のようにも思えるが、ルーシーの話には概ね納得がいった。確かに、死んだ人間が生前より優れた存在になるのなら、世界の支配者は全て死人になる。
 そこでふとエリックは、先程の偽の管理人について思う。彼が元人間の幽霊なのであれば、生前の感覚を残したままあの部屋に監禁されている事になる。人を騙して逃げ出そうとするのは、案外当然の発想なのかも知れない。
「それにしても、あれが幽霊なんですね。本当にいるんだなあ。私、初めて見ました。エリック先輩は幽霊って見た事あります?」
「僕は二回目、だと思う。正直、あまり信じられなくて。あんな普通に出て来ると、本当の人間と見分けがつかないよ」
 幽霊とは、特殊な体質が無ければ見えないなどと言われている。それは幽霊の存在を否定されないための詭弁くらいにしか思っていなかったのだが、こう当たり前のように出て来られると、実は今まで何度も幽霊を見ているがそうと気付いていないだけではないのか、なんて不安感を覚えてしまう。そしてマリオンも、普通に幽霊が見えてしまう体質なのだろうか。
 そして三人は、十三番目に当たるもう一つの十二号室へ入る。ドアを開けた直後、外から眩しい光が差し込んできた。光は壊れた雨戸からのもので、雨戸は完全に壊れ窓が開放されっぱなしになっていた。
 そして窓枠のすぐ側には、立ち尽くすウォレンの姿があった。
「お前らさ、遅いよ……! 裏口は開かなくなってるし、誰もなかなか来ねーし……。俺一人、置いてかれたと思うじゃんか……!」
 ウォレンは、これが捨てられた子犬の眼差しとでも言うのか、そんな事を思わせてしまう切ない表情で必死に話す。
「す、すみません。ちょっと予想外のトラブルに見舞われて」
 慌てて弁解するエリックだったが、ウォレンは尚も繰り返し文句を並べたてた。
 あの十二号室に閉じ込められた幽霊達も、今のウォレンのような心境なのだろうか。それとも、幽霊同士でそれなりに仲良く振る舞っているのか。
 何にせよ、この倉庫は彼ら幽霊にとっては牢獄のような場所に違いないだろう。