BACK

 翌日の執務室には、早くから全員が集まっていた。特に室長が朝から居るのは珍しいことだったが、その理由はやはり昨夜のバーの事件だった。
「それで、二人の見解はどうかしら? 一応現場に居合わせた訳ですから」
「まず疑うのは、未知の薬物です。少量でも皮膚や粘膜から浸透させる事で急性中毒を起こす毒があることは調べました。犯人はそれを使用したのではないでしょうか」
「いや、毒はねえな」
 エリックの推察を否定したのはウォレンだった。
「そういう暗殺目的の毒ってのは確かにあるらしいけどよ、仮にそれを超苦労して盗み出して、使うのがバーでのしょうもないケンカかって話よ。ケンカで勝つのが目的ならもっと楽な毒があるだろ」
 確かにウォレンの言う事はもっともである。そこまで危険な毒物は自然界には存在せず、人工的に精製するしかない。それには専門的な知識と莫大な費用がかかり、現物の管理には更にかかる。そこまで貴重な毒物をあんな形で使うのは確かに不自然だ。
「バーで使ったのは、毒の効果を試す実験だったとか? 本命は別の所にあって」
 そう主張したのはマリオンだった。
「だったら尚更目立たないようにやるんじゃないかな。あんなの、騒いで下さいって言ってるようなものだし」
「そっかあ。騒ぎを大きくするより、どこかで通り魔的にやった方が静かで騒がれないですね。あれ? じゃあ犯人は、むしろ騒がれるようなやり方をわざとやった?」
「自分から喧嘩を無理に売っていったそうだし、その線だろうね。そうなると、ただの喧嘩自慢なのかな」
 しかし、その喧嘩自慢は不可解な方法で人を一人死に至らしめている。自慢の中身がそれならば、非常に危険だ。
「最近、あちこちの盛り場などで喧嘩騒ぎを起こしてる男がいるそうなの。まだ一部の警察で注意人物程度なんだけれど、もしかしたら同じ人物なのかも知れないわね」
 室長が一つのファイルを取り出し見せてくれる。それは警察官に回覧される要注意情報などが簡単にまとめられたものだった。あちこちの盛り場で騒ぎを起こし喧嘩を繰り返す人物についても記載されている。
「ただの喧嘩自慢が遂に、ってやつにしてはいささか物騒だな。ありゃ殺すつもりはなくても、死んでも構わないって感じだったぜ。今までもそうで、今回はたまたまだったんだろ」
「そうだ、ウォレンさん。素手で人間を殺す方法ってあるんですか? そういった急所を攻撃すると、指先だけでも倒せるとか」
「そりゃ素手で殺す方法なら幾らでもあるさ。軍で散々仕込まれたからな。でも、そういうのはあくまで医学の延長みてーなもんだ。首をへし折る時に頸椎をねじ切るとか、肋を踏み折って肺に突き刺すとか、キンタマ蹴り上げてぶっ潰すとか。だから、あんな静かにダメージ与える技は知らねーし聞いたこともねえな。むしろ与太話の類だぜ、そういうのは」
「じゃあ、その与太話が現実に出来るようになって、それで腕自慢をしているのかも」
 ウォレンは元軍人であるため、一般人が知らない素手での戦い方も熟知している。そんなウォレンでも知らない異質な技を使ったという事なら、これは警察に任せるべきではないのだろう。現実になった与太話は、特務監査室の管轄である。
「室長、やはりこれはうちの管轄かも知れませんね。何か一般には知られていない技術で殺しが行われるとしたら、その技術を回収し拡散を食い止めないと」
「そうね、対処が必要だわ。ではエリック君に指揮を任せます。そうなるとメンバーは」
「はい! 私がやります! 素手の相手なら、私の剣術で対抗するのが安全ですよ」
 そう名乗りを上げるマリオン。確かに素手の相手なら武器の専門家の方が確実である。しかし、
「いや、俺がやる。こういうのは俺の方が得意だ」
 そう言ってウォレンが制止する。
「ウォレンさんはナイフが使えますけど、リーチを見れば剣術の方が安全なのでは? 相手の手段が分からない以上は、距離を取って戦った方が」
「その認識が素人だってことさ。ま、こういう荒事は俺に任せておけよ。それに、犯人が腕自慢したいタイプだったら、女じゃ相手にすらされねえぞ」
 笑うウォレンに、そうですかと渋々引き下がるマリオン。それはウォレンの言葉に正当性を認めたからではなく、先輩の言葉だから遠慮したという様子だった。
 エリックはウォレンの実力を疑っている訳ではなかった。実際のところ、元軍人という肩書きだけあってウォレンは強く度胸もあり踏んできた場数も桁違いである。しかし、どこか今のウォレンの言動には一抹の不安があった。今でこそなりを潜めているが、以前のウォレンはいつ死んでも構わないという程に自暴自棄な振る舞いばかりしていた。その当時の姿と今のウォレンが重なるような気がしてならないのだ。