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「ねえ、エリック先輩」
 特に作業も無く、のんびりとした昼下がりの執務室。自主的に資料の台帳整理をしていたエリックは、ふとマリオンに話し掛けられた。
「うん、なんだい?」
「私がここへ来る前も、先輩はこういう事件ばかり扱って来たんですよね?」
「まあ、そうだね。幽霊、呪い、魔法に奇跡。そんなものばっかりだよ」
 どこかうんざりした口調のエリック。やはり、未だに非科学的で非合理な存在だという意識は変わっていないようである。
「こんなに頻度も高いなんて思ってなかったです。私、警察官していた時も幽霊事件なんてそんなに聞かなかったですし、特務監査室なんて名前も全然でしたから。このバッジだって初めて見ましたよ」
 特務監査室の人員に支給される、雲と雨をモチーフにしたバッジ。身分証明としての効果はほとんど無く、バッジの意味を知る人間もほとんどいない。極稀にあの特務監査室だと気を利かせてくれる事がある程度の、非常に頼りない身分証だ。
「知ってる人は知ってるって程度の組織だからね。それに、内容が内容だから、名前が有名になるのもね」
「そうなんですよね。国家機密を扱う組織だからって言われてますけど、そうでなくても親には言えませんよここの仕事は。絶対おかしくなったって思われちゃう」
「僕も同じだよ。機密を盾にしてずっと仕事の事は黙ってる」
 自分は幽霊退治をしている。とてもそんな事を、典型的なセディアランド人気質の父母に打ち明けられるはずがない。そもそも自分ですら、ここに来るまで幽霊などの非科学的な存在を信じていなかったのだから。
「エリック先輩は、やっぱり幽霊も見たことあるんですか?」
「まあね。気の迷いか幻覚だとは思いたいけど……」
「じゃあ逆に、幽霊事件だと思ったら違っていたって事も?」
「そっちの方が多いし、個人的にはその方が助かるね。心の整理が楽だから。理屈に合わない事柄が日常に溢れてるなんて思いたくもないもの」
「まーた、エリック君ってまだ科学的なものしか信じられないの? それも一種の宗教だって言ってるじゃない」
 そう口を挟んだのはルーシーだった。
「普通はそうですよ。その宗教のおかげで人間はここまで発展したんですから。第一、多数派がそうだからこそ僕達のような仕事があるんじゃないですか」
 基本的にセディアランド人は合理性を重んじ、不確実な事や非合理な物を排除する傾向にある。最も合理的なものは科学だと漠然と信じ、科学で証明出来ない物は存在しないという価値観が強い。他国から流入して来た移民はその限りではないが、一般的に幽霊を本気で信じていると公言するのは幼稚な人間と思われるのだ。
「それに、いわゆるオカルトの類はあくまで手段であって、実際に悪いのは生きている人間だからね。僕らの取締り対象の大半はそれだよ」
「じゃあ幽霊も何らかの手段として使う人がいるんですか?」
「そういう事だよ。使える物は故人でも関係ないって人なんか珍しくないんだ」
 実際、幽霊が絡んだ案件というのは、幽霊という存在を使った犯罪行為だったケースがほとんどである。目的は財産やら愛人やら復讐やら多岐に渡るが、共通しているのは加害者が全て幽霊を信じていない事だ。単に目的の手段として使えそうであれば使う、それだけの事なのである。それはある意味、セディアランド人の合理性の現れだ。
「ま、幽霊より人間の方がおっかねーってのは俺も賛成だな」
 そう言うのはまた何かの参考書を読みながらのウォレンだった。
「幽霊も人間の延長ですー」
「その解釈は尖鋭過ぎじゃね? とにかくだ、生前出来なかった事が死んだから出来るようになるって都合のいい話はねえし、幽霊自体は怖がることはねーんだよ。もし出て来たら気合い一喝でどっか行くぜ。俺をやりたきゃ鉄砲か発破でも持って来いって話よ」
「いい、マリオン? こういう脳筋理論は雑魚幽霊にしか効かないから。本気でマズいやつは、きちんとした対応方法があるからね」
「は、はあ……」
 その対応方法とはどんな理屈なのか。そんな戸惑いがマリオンから見え隠れしている。おそらく心情的にはウォレンの理屈の方が受け入れられやすいのだろう。
「そうだ。私、何か過去の事件の話、聞きたいなあ。少しでも成長しておきたいですから」
「事件の話、か。まあ、警察官よりはキツい現場なんて無いとは思うけれど」
「じゃあ、エリック先輩が一番怖かった事件はどうですか? 幽霊でも偽者でもいいですよ」
「一番怖かった事件ねえ……」
 そう言われ、エリックは過去の記憶を掘り起こしていく。エリックにとっては恐怖よりも困惑の方が多い事件ばかりだったが、幾つか肝の冷える思いをした事件はある。
「あれは去年だったかな。ウォレンさんと馴染みのバーで飲んでた時の話なんだけど……」