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 目的地となるマテレア村に到着したのは、丁度日が落ちかけた夕暮れ時の事だった。二人はまず村を見回るのは明日にし、村長の屋敷へ向かう。救世主と呼ばれる青年を保護し今も屋敷に住まわせているのが村長である為、挨拶をするついでに軽く探りを入れようという試みだ。
 屋敷を訪ねると、中から現れたのは一人の青年だった。
「夜分に恐れ入ります。私達は、主に聖都でルポライターをしている者で、私がエリック、こちらはマリオンと申します。村長は御在宅でしょうか?」
「ええ、どうぞ。御案内いたします」
 青年は特にこちらを訝しむ事も無く、あっさりと二人を屋敷の中へ招き入れた。
 この青年が、まさか例の救世主なのだろうか? そう思いながら、傍らのマリオンに目で確認をする。マリオンは半信半疑な表情だった。彼が救世主か否かより、あっさり招き入れた事の方がかえって怪しいと考えているからだろう。
 居間に通されると、そこでは暖炉の前で安楽椅子に座って寛ぐ老人の姿があった。
「おや、そちらは?」
「聖都からいらした、エリックさんとマリオンさんです。村長にお会いしたいとの事です」
「おお、聖都からとな。なんと遠路遙々よう来なすった。ささ、ゆっくりしていって下され」
 村長に促され、二人は傍のソファに腰を下ろす。そうしている間に、先ほどの青年がお茶の準備を始めた。見たところ、屋敷にはこの二人しかいないらしく、彼が身の回りの雑多な事をしているようだった。
「して、この村に来たという事は、救世主様の事ですかの?」
「ええ、そうです。聖都ではまだあまり知られていませんが、だからこそ、是非どういった方なのか取材をさせて戴きたいのです」
「そうですか、そうですか。救世主様の事を大勢の方に知っていただくのは良い事です。でしたらわしではなく、直接御本人にお聞きになるのが良いでしょう」
「本人、ですか?」
 すると、青年がやや気恥ずかしそうに一礼した。
「改めまして。私はサイモンと申します。恥ずかしながら……そう、救世主などと呼ばれておりまして」
「あ……そうでしたか。よろしくお願いします」
 サイモンと名乗る青年。やはり彼が村長の元に引き取られたという、この村の救世主だったようである。しかしエリックの彼に対する印象は、あまり救世主という肩書きらしくない温厚な人柄で、どこにでも居るような極普通の田舎青年に思えた。村を貧困から救い宗教団体まで立ち上げた救世主なのだから、もっと自分を尊い存在に持ち上げ、人民をか弱く愚かな者と決めつける様を想像していたのだが。
「救世主と呼ばれてはおりますが、そんな仰々しいものではありませんよ、本当に。ただ、私自身の素性が良く知れないせいで、かえってそんなイメージばかりが先行してしまって」
「素性が知れないとはどういう事でしょうか?」
「私は、実は記憶がないのです。なので、どこで生まれたのかも、本当の名前も分かりません。サイモンという名前は村長さんから戴いたものですし」
「記憶が? それはさぞ苦労されているでしょう」
 サイモンに記憶が無いのは、国家安全委員会から提供された資料にある通りである。生まれや素性を隠すことで神秘性を出すのは昔から良くある典型的な手段である。記憶喪失というのはあまりにベタ過ぎて、嘘か本当なのか、今はまだ判断がつけられない。
「一番古い記憶を伺っても?」
「構いませんよ。もう三年ほど前になるでしょうか、私は村の入り口近くで着の身着のままで行き倒れていまして。そこをたまたま村長さんに拾って戴いたのです。それ以前の事はさっぱりで。近隣の村に行方不明者はいないか確認はして回ったのですが、手掛かりは全く見つからなくて。それまでどこで生まれ育ったのかも、未だ見当もつかない有り様です」
 仮にサイモンの言う事が事実だとしたら、彼は本当に突然と湧いて出たことになってしまう。いわゆる世捨て人のように旅をしていたところを夜盗に襲われたとしても、セディアランド内でそういった野に住む悪漢の類は近年聞いた事が無い。不法移民の可能性もあるかも知れないが、彼の容姿や話し方は典型的なセディアランド人のそれである。現実的なところ、変わり者が旅をしていて事故に遭いたまたま記憶と荷物を失った、その辺りが妥当だろう。
「以後は村長さんの所でお世話になっています。畑仕事や雑用などをしながら暮らしております」
「それで、あなたがいわゆる救世主と呼ばれるようになった経緯はどうなのでしょうか。初めからそういった事が出来る自覚があったのか、それとも後天的に目覚めたものなのか」
「それについてですが……」
 すると、サイモンは途端に言いよどみ始めた。
「私は自分が救世主などという大それたものとは思っておりません。ですから、皆さんにもああも持ち上げないで戴きたいのですが……。何分、悪気があってのことでもありませんし、なかなかどうしたら良いのやらと思っておりまして」
「救世主としての力自体は否定しないと?」
「そこまで仰々しいものではありませんが、多少変わった事の出来る力が備わってしまっているのは事実です」
 サイモンの口振りは、自分の力に対してやや否定的に感じているようなものだった。救世主と祭り上げられること、人とは違う力を備わっていることを、彼は不本意に感じているようである。