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 エリック達はしばらくの間、屋敷中を見回りながら外の様子を慎重に窺い警戒を続けた。やがて釜と鍬の会の信者達は村人達にすっかり追い払われたらしく、二階の窓からも彼らの姿は見えなくなった。それでようやく、エリックは緊張の糸を解す事が出来た。
「すみませんでしたのう、こんな事に巻き込んでしまうとは」
 居間にみんなで集まり、小休止のためにお茶を飲む。村長も大分落ち着いたらしく、話し方も元の丁寧なものに戻っていた。
「いえ、そんな。それに、こう言っては何ですが、記事に出来る良い題材にはなりましたから」
「そう言って頂けると助かります。なにせ、あのような暴徒達ですから。この所業が世間に知れ渡れば、それだけで十分です。私達の正当性が証明されましょう」
 突然やってきたルポライターを名乗る人間を訝しまずに歓迎したのは、まずこのためだったのかも知れない。マテレア村としては、サイモンは自分達の村の救世主であると主張している。しかし、そこに暴力で割って入ろうとしているのがあの釜と鍬の会の信者達だ。この対立構造の最中、マテレア村の正当性が宣伝することで優位に立つのが初めから目的だったのだろう。サイモンはこの村の人間だと言うが、実際のところそれはわざわざ正当性を主張せねばならないほどのか細い根拠なのかも知れない。
「村長! すまねえ、サイモンはいるか!?」
 玄関の方から聞こえてくる声。村長とサイモンは何かを察して立ち上がり向かっていく。エリック達もまたその後に続いた。
「さっきの騒動で大分怪我人が出てしまった。何とかしてもらいてえ」
 玄関にいたのは、あちこち傷だらけで鼻には鼻血の跡の残る中年の男だった。玄関の外を見ると、同じように怪我をした村人達が大勢集まっていた。何とか自力で立てている者が多いが、中には地面に横たえられている者もいる。村と教団との争いはかなり深刻なレベルの内容になっているようだった。
「すまんが、サイモン。またお願い出来るか……?」
「ええ、任せて下さい。怪我の酷い人から看ていきますよ」
 そしてサイモンは嫌な顔一つせずに怪我人達の中へ消えていった。サイモンは村長にもしたように、怪我人それぞれの傷に手をかざして撫でていく。時間や撫でる回数にバラつきはあるものの、撫でられた者は例外なく次々と嘘のように回復していった。よく見ればそんなサイモンの姿を拝む者までいる。サイモンは単に村人達から好かれている青年程度に思っていたが、本気で救世主として信仰している村人も少なからずいるようだった。
「あれが救世主の力、なんでしょうか?」
「無論です。サイモンはああやって村人達の怪我や病を分け隔て無く癒やしていきます。この村には医者はおりませんから、本当に助けられた者は大勢おりますよ。それだけではありません。井戸の話もしましたが、他にもサイモンが来てからは豊作続き、山に入れば山菜やら豊富に採れ、狩りに出掛ければ必ず鹿やら猪やらが仕留められます。これまで食べるのにやっとだったこの村が、サイモンのおかげで沢山の恵みに与れたのです」
 少なくとも、怪我や病気に困る事が無くなったのは偶然ではない。そうするだけの力がサイモンに備わっているのだ。だが貧しいのはこの村だけではない。荒れた土地の広がるこの地域一帯の村が貧困に喘いでいる。だから救世主を求めるのは当然の流れだろう。彼らの抗争の起こる原因はまさにそれである。
 分け隔て無く。
 本当にそうなら、あの教団の信者に対してもそうあるべきではないのだろうか。サイモンの言葉にどこか何か引っ掛かっていたのは、きっとこれだろう。マテレア村の住人は、サイモンの力を他の誰にも使わせたくないし、恩恵も分けたくない。ただただ救世主を独占したいのだ。せっかく記憶喪失というまっさらで都合の良い状態なのだから、余計な事を吹き込ませたくないのだろう。
 サイモンについて、特務監査室としてはどうすればいいか。エリックは落とし所を考える。
 エリックの見立てでは、サイモンには自主性や個人的な野心は無い。ただ、誰かに頼まれた事を喜んでやることに喜びを感じるタイプの人間だ。サイモンの取り巻きについても、この狭い村の中での生活向上だけが目的で、考え方も良くも悪くも排他的である。サイモンに出来る事は少ない。仮に聖都に来たところで、ちょっとした有名人になる程度だろう。はっきり言って、サイモンの社会的な影響力は極めて低い。
 サイモンについては、このままこの村に留め置く事で良いのではないか。そう考えるが、一方で村人と釜と鍬の会との抗争がどうしても気にかかった。結論を急がず、もう少し彼らの動向を観察しておくべきなのかも知れない。争いの火種は、いつどういった方向へ延焼するか分からないのだから。