BACK

 ラバート村に到着したのは、予定通り夕刻頃だった。ラバート村は規模こそマテレア村より大きく広いものの、目に見えて寂れた印象があった。遠目に見える畑の作物もマテレア村も比べ明らかに少なく、こんな時間に荷台で沢山の水を運ぶ者の姿もある。おそらく水もあまり満足には賄えない土地なのだろう。どれを取っても村の栄え方にマテレア村とは天と地ほどの違いがある。
 釜と鍬の会の本部の前まで馬車を着けて貰い、二人は早速中へ入った。建物の中は外観と同じく古びて雑多な印象を受ける。ロビーに当たるであろう場所を見回してみる。そこの壁には様々なポスターも貼っているが、いずれも日焼けして字が読めなくなっていたり剥がれかけていたりしていて、寂れた雰囲気に拍車をかけている。こういった所の手入れをする人もいないのだろうか。
 中まですんなりと入って来れた。そう言うよりも、単に建物に誰も人がいないため入って来れた、と言う方が正しいだろう。誰かに目的を説明するにしてもその誰かがいないのだ。夕刻とは言えここまで人気が無いのは、釜と鍬の会はさほど活発な活動はしていないのだろうか。マテレア村での暴動を見る限り、そうは思えないのだが。
 ロビーで何となしに様子を窺っていると、不意に奥から一人の老人が歩いてくるのに気付いた。向こうもこちらに対して恐る恐る下がるような素振りを見せている。
「あなた方は……? この村の方ではないようですが」
「あっ、突然不躾で申し訳ありません。我々は聖都でフリーのルポライターをしている者でして」
 エリック達は老人に偽の身分を明かし事情を説明する。突然の事で話を聞いてくれるか不安だったが、老人は穏やかな様子で二人の話に耳を傾けてくれた。
「私はダモンと申します。この釜と鍬の会の責任者をしております。ところでお二人は、マテレア村には行かれたのですかな?」
「ええ、救世主の件も実際に取材して来ました。実際に御本人にも」
「という事は、あの暴動もご覧になられたのでしょうね。本当に申し訳無いとしか言いようがありません。特に若い世代は老人のやり方は生温いと耳を貸して貰えんのです」
「あの暴動は、釜と鍬の会がマテレア村と対立しているから起こったという事でしょうか?」
「その通りです。マテレア村の村長、ホーマーと言うのですが、あれとは実は古い馴染みでして。この釜と鍬の会も、そもそもの発案があやつだったのです。ホーマーは温厚で優しい男でした。早くに息子を亡くしているのですが、その辛さをバネにみんなが幸せになる方法はないものかと考え始めましてな、それで発足したのがこの釜と鍬の会です。皆で助け合えば幸せになる、そういう理念の組織だったのですが。あの救世主と呼ばれる青年が現れて以来、ホーマーは豹変してしまいました」
「サイモンでしたか。彼の存在が今のこの対立を引き起こしたと?」
「ええ。最初はこの村を中心にあちこちへ活動に赴いていたのですが。ある日突然とホーマーは青年に亡くなった息子の名前をつけて、マテレア村へ連れて行ってしまって。以来、連絡も完全に途絶し、会の運営にも関わらなくなりました。あの救世主としか言いようのない不思議な力も、ホーマーは自分の村にしか使わせませんでした。それについて幾ら問い質しても会には関係のない事だの一点張りで。マテレア村だけがあのように豊かになっていくのを見て、特に若い者達は我慢がならないのでしょうな。今ではもう、ああいった強硬手段にも出るような有様で」
「我々が聞いた時は、サイモンは三年前にマテレア村でホーマーに拾われた、と言っていましたが」
「でたらめを吹き込まれているんですよ。サイモンが拾われたのはこの村なんですから。ですから、彼が本来戻るべき場所はこの村なんです」
 ホーマーとダモンで主張が食い違っている。ただ、どちらにせよお互い自分に都合の良い事を言っている節があった。結局のところダモンにしてもサイモンの力を強く欲するあまり、事実関係を多かれ少なかれこじつけているのだろう。そして真実を知るはずのサイモンは記憶喪失で曖昧になっている。それを良いことに漬け込む彼らに、エリックは嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
「ホーマーはあの青年をサイモンの生まれ変わりだと思っています。本当に、馬鹿者ですよ。サイモンが亡くなったのは産まれてすぐの事なのに。年が合わないじゃないかと」
 エリックもマリオンも、亡くなった方のサイモンは同い歳くらいの青年と勝手に想像していた。しかし、実際は年齢はかなり離れているようだ。それは単にホーマーが息子の生まれ変わりだと自分へ言い聞かせていたのだろうが、何故そんな事をしたのか理由が分からない。歳が離れていれば面影がどうという感傷的な理由も無いだろう。であれば、救世主を情で自分の手元へ縛るための嘘だったというのが自然な結論である。息子の死までをだしに使う人間がいるなどとはとても思いたくはないのだが。
「では、あのサイモンは一体どこの誰か本当に分からないのですか?」
「そうなりますね。案外、本当に神様なんてのがいて、貧しいこの地に遣わせたのかも」
 冗談めいて言うダモン。けれど実際にはただの争いの種になっているだけである。冗談としてはとても笑う事が出来なかった。
 彼らは分け合う事を考えつかないのだろうか。それが唯一共存の道だと思うのだが。けれど、血までが流れている以上、そんな綺麗事の理想論に誰も耳は貸してくれないだろう。きっとこの対立は、サイモンがいる間は収まりそうにない。