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 それは、ある朝突然に知らされた。普段通り登庁し特務監査室の執務室へやってくると、その日は珍しくラヴィニア室長が朝から来ていた。そしてエリックは驚く事を聞かされる。
「エリック君、先日のオーウェン氏の裁判の事だけど。昨日、和解が成立したわ。オーウェン氏が賠償金を支払う代わりに、ラザラス氏はオーウェン氏の過失と認める事になったの」
 その和解案は、ラザラス氏が裁判官へ面と向かって拒否した内容そのままである。あれほどオーウェン氏を苦しめる事に固執していたラザラス氏に、一体どんな心境の変化があったのか。あの日のやり取りを見た限り、とても妥協しそうな様子には見えなかったのだが。
「えっ……と、何だか随分急な話ですね。ラザラス氏に何かあったんでしょうか?」
「オーウェン氏がラザラス氏の元へ直接謝罪に訪れたそうなの。それで、その真摯な態度に心を動かされたから、という事になってるわ」
「表向きは、って事ですよね。それで実際はどうなんです?」
「オーウェン氏は謝罪のために出向いたのは本当よ。ただ、場所がちょっとね」
「どこなんですか?」
「ラザラス氏が経営している機械部品工場。丁度管制室へいるのを前もって確認までしていたそうよ」
「ちょっと待って下さい。機械部品工場、ですか? オーウェン氏の体質からして、それじゃあ明らかに復讐目的で行ったように……」
「そうよ。つまり、そういう事なの」
 ラヴィニア室長の含みを持たせたその言い方は、エリックの憶測が事実だと認定するに充分だった。
 オーウェン曰わく、彼は生まれつき近づいたあらゆる機械が自然に壊れてしまう体質なのだそうだ。少なくともオーウェンは、その体質を事実だと信じ、それを利用してラザラスの機械部品工場へ赴いたのだろう。どうせ賠償金を払わされるなら、謝罪の名目で直接赴き工場の機械を片っ端から壊して差し違えよう、そういったところだ。しかしそれについては、事前に何の相談もなかった。特務監査室が信用出来ないのは仕方のない事として、担当弁護士は承知の上だったのだろうか。
「それで、ラザラス側はどうなりましたか? 和解をただで飲んだ訳ではないと思いますが」
「目の前で突然工作機械や納品前の部品が壊れてしまった訳ですから、もう裁判どころじゃなくなったのが真相ね。今は大口顧客の直近の納期に追われているわ。銀行からも大分お金を借りたようだし、品物を納めても今度は返済に苦しむでしょうね。そんな状態だから、裁判を長引かせるのも不可能になってしまって、やむなく和解を選んだの。それこそ、時計の賠償金すら欲しいくらいよ」
「それだけ酷い状態に陥ったとなると、今度は工場での件で賠償請求されませんか?」
「かも知れないわね。ただ、今回の事で法曹関係には悪い意味で知られてしまったから、ラザラス氏につく人間、少なくとも優秀な人間はまずいないでしょうね。特に弁護士は自分の評判を気にするのよ。評判がそのまま顧客の質に繋がる商売だからね」
 二人の間で和解が成立した。条件は裁判官が出した通りで、オーウェンは過失が認められたため損害保険の保険金が降り、それをそのままラザラスに賠償金として支払えば全て終わりである。少なくともオーウェンには元の生活が戻ることだろう。しかしラザラスはそうもいかない。これから大分苦しい台所事情となるだろう。もしかすると恨みの矛先がますますオーウェンへ向くかもしれない。だがそれは、特務監査室の仕事ではないのだ。
「あれ、じゃあ僕達は後は何をすれば良いんでしょうか? そもそも今回の件では、特に何もしていないんですけれど……。オーウェン氏を取り調べますか?」
「いいえ、そこまでは要らないわ。とりあえず、今回の経緯を全て記録に残しておいて。厄介な体質には違いないのだから、要注意人物という所かしら」
「はい、分かりました」
 近づいただけで機械が壊れてしまう体質。エリックはそれを単なる機械音痴の延長くらいにしか未だに信じられていない。証言者の話では、オーウェンはラザラスの時計に触れてはおらず、時計が勝手に四方八方へ飛び散るように壊れた、そういう証言でみんな一致している。時計には外から破壊した痕跡も見つからなかった。つまり、本当に証言通り勝手に壊れたとしか言いようがないのだ。これは理屈ではなく、もはやそういうオーウェンの体質だと解釈のしようがない。
 今の時代、機械は大小含めて様々な物が日常の中に存在している。機械は今日の生活において無くてはならないものだ。オーウェンはそれら利器の恩恵を間接的にしか得られない。時計すら持ち歩けないのだ。その上、今回はこういったトラブルにまで巻き込まれてしまった。そして今は、勝手に個人情報を調べ上げられ特務監査室に要注意人物として記録を残される。全くと言って良いほどろくな事が無い。
 特務監査室では、過去にもこういった自分の意に添わない厄介な体質持ちの案件に関わってきた。体質とうまく付き合う者、振り回される者、様々である。その中で最悪のケースが、体質を利用し犯罪行為へ走る者だ。オーウェンは今回で初めて自分の意思で自らの特殊な体質を利用しただろう。果たしてその行為にどんな感情を抱いたのだろうか。オーウェンには少なくともあのバーに沢山の理解者や友人がいる。そんな彼らを傷つけない選択を今後はして欲しい。そうエリックは願うのだった。