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 危険な状況になった。エリックは事態の深刻さに焦り始める。
 あの青年、正義感は立派だが、やはり強盗達と同様何も計画性が無く衝動的である。そのため状況が何一つ好転していない。
 このままでは最悪の事態が起こってしまう。何か出来る事は無いのか。そう考えはするものの、やはり咄嗟の機転は難しく、現実味の無い案しか出て来ない。
「おらあ! くたばれ!」
 そうしている内に、興奮した強盗がナイフを構えたまま青年へ向かっていった。青年は意外にも自ら棒を構えて立ち向かっていく。そして青年が振り下ろした棒は真っ直ぐ強盗の頭に叩き込まれ、強盗は前のめりに崩れ落ちた。しかし、それだけではなかった。青年はゆっくり強盗から離れるが、その場にがくりと膝をついた。見ると青年の腹部からは血がどくどくと溢れ出始めていた。慌ててエリックは青年の元へ駆け寄る。
「い、今だ! 逃げろー!」
 誰かがそんな声をあげる。直後、まるで弾け飛ぶような勢いで一斉に玄関へ雪崩れ込んでいく人質達。恐怖のあまりパニックすら起こしているようにも見えた。だが人質達は、誰一人として青年の方を気遣おうとしない。そのあまりの薄情ぶりには、ただただ呆れる他なかった。
 エリックは青年に肩を貸して何とか立たせる。しかしその間も出血は止まらず、足元にぼたぼたと滴り落ちている。
「しっかり! すぐに医者の所へ連れて行きますから! 刺された所をもっと強く押さえて!」
 果たしてこの出血で助かるだろうか。そんな予感はあったが、気休めでも声をかけずにはいられなかった。すると青年は、力の無い顔に精一杯笑顔を浮かべて話した。
「大丈夫、すぐそこまで、外に出るまでで大丈夫です。太陽さえあれば」
「太陽? いえ、太陽より医者です。気を確かに持って!」
 急激な失血のあまり頭がうまく回らなくなっているのだろう。エリックは急ぎ青年を連れ出そうとする。まだ銀行の奥には強盗の仲間が残っている。人質が逃げてしまったこの光景を見られたら本当に命は無い。
 人一人担ぐほどの腕力は無いエリックは、息を切らせながらもどうにか銀行の外へ青年を連れ出す。そしてここから一番近い病院はどこだったかと記憶を探った。しかしそれ以前に、非力な自分が彼を病院まで運べるか不安があった。人を呼ぶにしても、ここに彼を置いていく訳にはいかない。逃げ出した人質達が警察に通報しただろうから、すぐに警官達もやってくるはず。その人手に期待するしかないが、果たしてそれまで彼が持つのか。
 とにかく今は少しでも彼を銀行から遠ざけなければ。そう思い、エリックは自分を奮い立たせると、疲れをものともせずにもう一度青年を運び出す。
 だが、そこからどうにか三歩ほど進んだ時だった。突然エリックにのし掛かっていた青年の体重が消え、ふっと体が軽くなる。
「いやあ、ありがとう! どこのどなたか存じませんが、おかげで助かりましたよ!」
 青年は、さっきまで死人のような顔をしていたのが嘘のように朗らかに笑った。顔から消えていた生気もすっかり元通りになっている。あまりの急変ぶりに、エリックは唖然とする。
「え……? ちょっと待って下さい、怪我は?」
「ああ、もう治りましたよ。今日は日差しが強いですから、すぐでしたね」
 そう言って青年は自分の腹をエリックに捲って見せる。特別鍛えている様子も無い普通の腹だが、血の跡は残っているものの新たな出血は無くなっている。そこを青年が軽く擦ると、乾いた血の下から僅かに傷痕が見えた。そこが先ほど刺された箇所のようだが、完全に塞がってしまっている。
 近くからどたどたと大勢の走り寄る足音が聞こえてくる。見る間に喧騒も広がり始め、周囲が騒然とし始めた。
「おっと、警察だ。申し訳無いが、僕の事は黙ってて貰えないかな? ほら、これって説明つかないから、ね?」
 青年はもう一度自分の腹を見せ爽やかにウィンクをする。それを自分に言うのかとエリックは一層困惑の表情を浮かべるが、そうしている内に青年はあっという間にどこかへ走り去ってしまった。
 一体、今の一連の出来事は何だったのだろうか。
 あれは自分を驚かせるための手品だったのだろうか? けれど、そんな事をする理由もメリットも見当たらない。
 ナイフはそれほど深く刺さっていなかった? だが、確かにおびただしく出血していたのを自分の目で見ている。
 青年は太陽がどうと言っていたが、それと怪我の治癒に因果関係でもあるのだろうか。
 これは、普通ではあり得ない現象である。だから特務監査室の出番となる案件だ。状況を詳しく認識し、適切に管理しなければならない。
 エリックは正式にあの青年の調査を始める事を決める。