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「おはよう、エリック君」
 朝、執務室へやってきたエリックは、思わず訝しさを隠せない表情を浮かべた。あのルーシーが既に登庁し自席についていたからだ。
 最初に執務室へ来るのは、ほとんどはエリックが最初でたまにマリオン、稀にラヴィニア室長である。そして定時ギリギリにウォレンが来て、ルーシーはほぼその前後だ。
 自分よりも早くルーシーが登庁している。しかも、いつもならば応接スペースのソファにだらしなく座って買ってきたものをだらだら食べているのだが、今朝は自席で書類の整理をしている。エリックが配属されて以来、初めて見る光景た。
 何かあったのだろうか。エリックは、恐る恐る訊ねてみる。
「あの、ルーシーさん? 今朝は何かありましたか?」
「急にどうしたの? 別に、私はいつも通りよ。変なエリック君ねー」
 そう答えるルーシーだったが、エリックは一層疑いを強める。見当外れの事を言えば必ず罵倒や煽り文句を返してくるルーシーが、社会人としてごく当たり前の返答をしている。これはきっと、簡単には話せない大事が起こっているのではないか、そう疑い始める。
 やがてマリオンやウォレンが登庁して来ると、やはりエリック同様にルーシーの様子を訝しんだ。明らかに普段と様子が異なっているのだ。
 一体何が起こっているのか。そんな三人の抱く疑念の中、ルーシーはてきぱきと仕事を片付けていった。普段特務監査室にはそれほど仕事がある訳ではないが、今日はたまたま保管所の棚卸しや更新手続きなどの作業があり、責任者であるエリックは非常に多忙だった。しかし、ルーシーはそれらの作業を驚くほどの手際の良さで片付けていき、エリックにも予想外のスピードで業務が進んでいった。元々ルーシーは外務省に入るほどの才人であり、普段は仕事をサボっているだけなのだが、それが本気になるとこうも業務が捗るのかとエリックは感動すら覚えた。そして一日が終わる頃には、ルーシーの変貌などどうでも良くなってきた。少なくとも特務監査室にとってそれは、なんら実害の無い変貌だからである。
 翌日からもルーシーは元通りになるという事はなかった。仕事はてきぱきとこなし、書類仕事の遅いウォレンには適宜フォローを入れ、軽口や無駄口は叩かず、それでいて愛想も良い。エリックだけでなく、ウォレンやマリオンもルーシーの変化を訝しむ事を止め受け入れるようになった。それほどに今のルーシーは頼もしい存在となっていたのだった。この変化のきっかけは未だ不明なままではあったが、何かしら心を入れ替える理由があって態度を改めただけだと解釈し、その理由をわざわざ訊ねるのは野暮だと三人は思った。
 そしてルーシーが変貌して一週間が経ち週が変わった朝、エリックは普段と同じように執務室へ登庁して来た。
「おはよう、エリック君」
「おはようございます、室長。朝にいらっしゃるのは、なんだか久し振りですね」
「最近はちょっと警察庁と色々あってね。でも当分はこっちにいられそうよ」
 その日の朝は、珍しくラヴィニア室長が登庁していた。普段、ラヴィニア室長は外出している事が多く、直行直帰が続く事も珍しくない。特務監査室が特殊な部署だけに、様々な方面との打ち合わせや段取りの摺り合わせなど、対外的な業務を処理しているためだ。そのため不在の間の決定権は室長補佐のエリックにあり、エリックは雑務の他に現場の指揮等を担当している。
 そう言えば、まだラヴィニア室長はルーシーの変貌について何も知らないのだった。
 今朝はまだルーシーは来ていないが、いきなりあの姿を見せられてはラヴィニア室長でも皆と同様に困惑するだろう。エリックは予めルーシーについて伝えておくことにする。だが、
「ところでエリック君、この書類なんだけど」
 エリックが話すより先に、ラヴィニア室長は一枚の書類を見せる。
「休暇申請? 先週は誰も休んでいませんけど」
「でもこれ、日程が先週一週間になってるわよ」
「本当だ。提出したのは……ルーシーさん? え、僕は受け取った覚えはありませんけれど」
「私の机の上に起きっ放しだったから、直接置いていったのかしら。エリック君の決済がされていないからおかしいと思ったのだけど」
 それはおそらく、ルーシーが勝手に置いていっただけである。そうしておけば休んでも良いと思っているからだ。過去にも何度か前例がある。
 しかし、それはおかしな話である。申請の出し方に不備があるのはさておき、一度休暇申請を出した以上、ルーシーなら何が何でも休んだはず。では、先週一週間の間に登庁してきた彼女は一体誰だと言うのだろうか。