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 エリックが最も気になっていたのは、ラーフが父親に対し殺人未遂を起こした事件についてだ。取り寄せた捜査資料によると、ラーフの父親は階段から転倒し、一階の廊下へ叩きつけられた。その時まだ意識はあったそうだが、そこを何者かに背中を自宅にあった包丁で刺される。その際にあげた悲鳴をたまたま家の前を通りかかった人が聞きつけ、家の中へ飛び込んで状況を確認し病院への緊急搬送を手配する。そのため何とか一命は取り留めた状態だった。
 ラーフは唯一の目撃者として、父親を暴行した人物について聴取を受けるが、そこであのセリフを言ってしまった。全部悪霊の仕業だ、全部悪霊が悪い。過去の傷害事件でも同様の発言をしているため、ラーフを被疑者として扱わざるを得なくなってしまったのだ。
「カスパーさんは、ラーフと父親の事件についてはご存知ですか?」
「ええ、大体は。捜査資料を戴けた訳ではないですが、おおよその経緯は伺っております。しかし、私も半信半疑なんです。ラーフ君の担当になってから随分と経ちますが、とてもそんな恐ろしい事をする子には思えなくて。経験上、犯罪を犯す子供というのは似通った部分があるものですが、ラーフ君にはそういった素養が一切見られません」
「何か問題や不審な行動は無かったのですか?」
「はい。私の言うことにはきちんと従いますね。これと言って怪しい素振りもありませんし」
 元々ラーフは以前から問題行動を繰り返していたため、カスパーに対し何かしら不審がられる事をしていると思っていたのだが。
「ですが、先ほどちょっと話し掛けましたが、少し気になる事はありまして」
 そう言ってカスパーは視線をリビングの入り口の方へと向ける。そこにはいつの間にかラーフの姿は無く、続いて階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。ラーフは自室へ戻って行ったのだろうが、それを気にしていたカスパーにはおそらく、ラーフに聞かれたくない話があるのだろう。
「……大丈夫のようですのでお話します。保護監察官は、問題行動のある子供についてカウンセリングを行うのですが、最近では筆記形式のものを併用しています。大体二十問ほどの問題や質問が描かれた用紙に記述してもらい、その人の考え方や価値観の傾向を調べるといったものになっています。ラーフ君についてもそれを行ったのですが。実はうまく分析が出来なくて」
「分析が? 何か問題があったのでしょうか」
「五回に分けて行う構成だったのですが。どうも回答に一貫性が無いと言うか……いずれもまるで別人が書いたかのように結果が異なりまして」
「同日に記入した訳ではないのですよね? では、多少結果がバラついても不思議ではないのでは?」
「いえ、あくまで傾向を測る設問ですから。記入した限りでは別人になるほどのバラつきは出ません。ですので、私はある憶測をしていまして」
「それはどういった内容でしょう?」
「ラーフ君は用紙にある設問の意味だけでなく、そもそもの趣旨を全て理解していて、その上でわざと分析結果がバラつくように回答をしたのではないでしょうか」
「何のために? いえ、そもそもそんな事が子供に出来るものなのでしょうか」
「ラーフ君は普通の子供ではない。そう考えれば辻褄はつきますけれど……いえ、やはり荒唐無稽でしたね。すみません、忘れて下さい。あくまで傾向を計るものですから、完璧とはいかないものです」
 そう言ってカスパーは話を自ら打ち切って来た。
 僅か五歳の子供にそんな事が出来るだろうか。それはエリックでも絶対に有り得ないと考える。問題の趣旨どころか識字すら覚束ない程の年齢である。そんな子供が分析の意図まで理解しおちょくるような回答をするなんて。
 話を自ら打ち切ったという事は、カスパーも有り得ない話だと思っているからだ。エリックも同じ見解である。だが一つの可能性として、ラーフが稀に見る天才児であるから理解できる、という場合がある。そう多くは無いのだが、一桁の年齢で大卒程度の学力まで獲得した例がほんの僅かある。ラーフもそれと同じだとしたら話の辻褄は合ってくるだろう。
 これはやはり実際に会って確かめなければならない。エリックは早速カスパーへ確認をする。
「我々がラーフに接触する事は可能でしょうか?」
「特に制限はありませんが……何か面談のようなことをするのでしょうか?」
「ええ、そんな所です」
「分かりました。とりあえずラーフ君の部屋へ行ってみましょうか。昼寝の続きをしていなければ話は出来るはずです」