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 ようやく北区の警察分署に到着すると、四人は一斉に最上階へ続く階段へ向かう。そして案の定、入り口で数名の警察官に行く手を阻まれた。しかし、運良く特務監査室の身分証が通用する相手であり、緊急事態という事で手の空いている警察官諸共に最上階まで駆け上がった。
「あっ!」
 特別室の扉の前には、護衛警察官の二人が倒れていた。すぐさま駆け寄ると、二人とも頭から血を流して気を失っている。生きてはいるが相当激しく後頭部を殴られたのか、かなりの出血量だった。すぐさま二人は署内の救護室へと運ばれていく。そしてエリック達は背筋が冷たくなるような緊張感に包まれた。これで這いずり男の正体がクリスティンであると確定し、既に彼女は特別室の中へ入ってしまっているのだ。
 扉を開けようとしたが、やはり内側から鍵がかけられていた。その上鍵穴は潰されていて、スペアキーによる開錠も不可能な状態である。
「とにかく、扉を壊してでも入りましょう」
「壊してって、そういう手段に対抗する設計なんじゃ?」
「耐久性は誰かが来るまでの時間稼ぎが目的なんです。絶対に壊れない扉なんてありません」
「まー、そうよね。じゃ、体力担当頑張って」
 ルーシーがウォレンの背中を叩く。ウォレンとその他の警察官達の力を合わせればこじ開けるのは容易いだろう。
「よーし、行くぞ!」
 ウォレンの合図で、一斉に扉へ向かって体当たりを敢行する。その激しい当たりの音と床や壁の軋みは凄まじく、まるで建物ごと壊しかねないような勢いだった。屈強な彼らが束になって幾度とぶつかっていっても、扉は驚くほどの頑丈さで跳ね返す。しかしその頑丈さにもやがて限界が訪れ、少しずつ歪み始める。そしてある時に一気に割れて内側へ押し込まれた。
「次だ! この調子でもう一発!」
 特別室にはもう一つ扉がある。それも同様に頑丈な作りである。しかし外側程ではないのか、今度はさほど時間もかからずに破る事が出来た。
 そして。
「クリスティン!」
 最初に叫んだのはマリオンだった。
 中へ雪崩れ込んだ彼らが見たのは、職業柄流血沙汰には慣れている警察官達でも思わず目を背けてしまう光景だった。
 特別室の中は文字通り血の海だった。床から壁から天井に至るまで、ほとんどが夥しい量の血にまみれている。その血の海を見ると、おぞましい事に明らかに人間のそれと分かる肉の破片が散らばっている。
 部屋の中央には、椅子に縛られた三人と、その前に立つ警察官の制服姿の女性。それがすれ違ったあのクリスティンかどうかはエリックには分からなかった。今の彼女は全身に返り血を浴びて顔が良く見えないのだ。
 椅子に縛られた三人は、遠目からでも明らかな拷問の痕があった。単なる欠損だけでなく、内臓すらも見えている。そして驚く事に、それでも三人は辛うじて生きていた。それだけ慎重に痛めつけていたのだと思うと、ただただ恐怖心ばかりが込み上げて来る。
「もう逃げ場は無いぞ。諦めて投降するんだ」
 あまりに凄惨な光景に一同が気圧されている中、エリックは先陣を切って毅然とした態度で立ち向かった。
「抵抗するつもりはありませんよ。大方、目的は果たしましたから。では」
 事も無げに答えたクリスティンは、手にしたサーベルを振って軽く血を払うと、まるで花を摘むかのようなさり気なさで二度繰り出し、縛られた三人の内二人を斬り捨ててしまった。
「やめろ!」
 その制止も虚しく、クリスティンは三人目の頭部にサーベルを突き刺して捨てる。そして手を上げて投降の姿勢を見せた。そんなクリスティンはすぐさま警察官達に囲まれ腕を縛られ腰縄を結ばれる。それでもなお、彼女は平然としたままだった。
「マリオン?」
 唐突にマリオンが歩み寄るや否や、右手を大きく振りかぶり、全力でクリスティンの頬を張った。エリックは慌ててマリオンを下がらせようとするが、留まろうとするマリオンの方が強かった。
「どうしてこんな事を! こんな事をするくらいなら! 先に私に相談してくれてもいいじゃない!」
 悲鳴のような声で叫び、もう一度腕を振りかぶる。しかし今度はウォレンがその腕を掴み制止した。
 マリオンが激怒するのは、それだけ大切に思っていた友人だったからだろう。彼女がタイタスを殺されたことを恨みに思っても、マリオンとなら正しく対処できたはずだ。しかしクリスティンはその機会を放棄するどころか、マリオンに一言も打ち明けなかった。友情も信頼も一方通行だったのか、そう怒るのは無理からぬ事である。
「いいのよ、もう。これが一番スッキリする方法だったんだから」
 そう言って微笑むクリスティンの表情は、返り血のせいか酷く凄惨に見えた。
 殺された彼らには非がない訳ではない。だがクリスティンの行動は法治国家において許されない事だ。その事を明確な言葉にしようと試みたが、出来なかった。血みどろの凄惨な光景に足がすくんた訳でも、綺麗事を口にする事が躊躇われた訳でもない。ただひたすら、クリスティンが哀れに思えた。主観でしかない印象ではある。それでも人が妄想で怪物となり破滅する様は、善悪を超える何か強いものが心に差し込んでくる感じがしてならなかった。