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 ルーシーはおもむろにエリックの前まで歩み寄ると、じっとエリックの顔を見た。しかしその視線はエリックに注がれているようで全く別の何かを見ていた。この距離で視点の合わない事が妙に気まずい気持ちにさせられた。
「えっと……幻聴じゃないなら、どういう?」
「ちょっと静かに」
 そう辛辣に言われ、エリックは一旦口を閉じる。
 ずっと、その可能性には蓋をしていた。自分が、超自然的なものに取り憑かれている可能性。そう、悪霊だとか悪魔だとか祟りだとか。少し前までの自分なら、そんな物は全てこの世に存在しないしする訳がないと、強く断言していた類のものだ。自分が関わったり、目撃する事は辛うじて容認できても、自分に取り憑くのは認められなかった。我が身で体験してしまっては勘違いだとか別の理由があるとか言い訳がきかず、自らそれらオカルト物の存在を認めざるを得ない事になってしまいそうだからだ。
「あー、なるほど。そういうやつか」
 やがてルーシーは何か悟ったかのように頷く。
「どういうやつなんでしょうか?」
「うーん、そうねえ。ま、悪い奴じゃないから」
「ちょっと待って下さい。悪い奴じゃないって、実際困ってるんですから」
「でも、エリックくんはそういうのの存在は認めたくないんでしょ? だったら気にしなくていいよ。放っておけばその内消えるし、悪さもしないから。いないものだって思えば、それはいないものなのよー」
 ルーシーの言っていることは、単なる現実逃避と大して変わらない。いないものだと思えないから、こちらは困っているというのに。
「じゃあ、ルーシーちゃん。エリック君は問題は無いという事かしら?」
「そうねー、大丈夫ですよ。まあ、知らずにやっちゃってる所から何かしら疲れてはいるようだけど。ホント、何をしてるんだか」
「なら、このままエリック君には有給を消化して貰いましょうか。ゆっくり休んで来てね」
 ルーシーはともかく、ラヴィニア室長もまたこの事態をかなり軽く受け止めたようだった。それだけルーシーの見識に信頼を置いているのだろうが、当事者にしてみればたまったものではない。何も問題に対して根本的な解決をしていないからだ。
「いやいやいや、これが幻聴じゃないって言うなら、休んだ所で治らないじゃないですか! ルーシーさんは、これが何だか分かるんですよね? なら根本的な解決策も知ってるんじゃないんですか?」
「お、もしかして、それが幽霊だとか悪魔だとかの類だと思ってるのね?」
「ルーシーさんに分かるっていうことは、そういう事じゃないんですか?」
「そういうのは、一般人にも分かりやすいカテゴリー分けなんだけど、まあ似たようなものか。理解されにくいってところは」
 学術的な区別については、エリックも多少なりとも学習し知識としては持っている。しかし頭にあるのは表面的な知識、あくまで暗記出来る範囲の事柄だけである。その本質は未だに理解が出来ていない。
「じゃあ、ざっくり説明するとね。エリック君に聞こえてるのは、エリック君の心の声のようなものです」
「……からかってます? それ、自分が自分で言ってるって事ですよね」
「ちょっと違うかな。エリックくんは精霊の作り方って知らないよね?」
「いや、知りませんけど。というか、そもそも精霊なんて作れるものなんですか? 自然界にいるようなものだと思っていたんですが」
「人工精霊って言ってね、作れる種類もあるの。作り方も色々あるんだけど、基本は念じることを繰り返して生成するの。で、そういう精霊は作った人の頭の中に棲み付くワケ」
 理解が追いつかない。念じる事で自分の声が聞こえるようになるなんて、ますます病気じみている。更にエリックは思った疑問をぶつける。
「じゃあこれは、僕が知らずに作った人工精霊だと?」
「そんなとこねー」
「自分で言うのも何ですが……幼い子供が自分にしか認識出来ない架空の友達を作るのと同じなのでは?」
「そうそう、それ! 実際ほぼそれよー。だからちょっと心配だから休んだ方が良いってこと。エリックくんは、そういう存在が欲しいんでしょう? 自分の判断とかを補助するような存在が。それが形になるまで思い詰めてたってことだから」
「それは……」
 否定出来なかった。自分の理解者が欲しい、そういった欲求は実際にあった。欲求の強さは時期によってブレるが、確かに疲れている時などは特に強く思っていた。
「でも、そんな簡単に作れるなら、もっとみんな自分に精霊を持っているのでは?」
「そうでしょうね。でもみんなはそれをそうと思わなかったり、別な解釈をしたりするの。自分の直感だとか、何かしらのお告げだとか。まあ悪魔の声だと決め付けて、頭の薬で消そうとする人もいるけど」
 それはまさに今の自分である。この声はストレスがもたらした幻聴で、適切な治療を受ければきっと消える。そう思っていたのだ。
「それで、どうすれば消えるんですか?」
「用が無くなれば勝手に消えるわよー。要するに、エリックくんが判断の補助が必要だとか思わなくなればいいの。だから休めば良いってこと」
「いや、別にいらないんですけどね」
「そんな事思って、案外そうでもないってことよ。人間、折れる時はあっさり折れるんだから。エリックくんみたいな頑固で固い人間なんかは特にポッキリ折れるのよー」
 そこまで強く願った覚えはないが、無意識の内に強く求めていたのだろうか。それほどまで、自分が人の支えを欲しているような自覚はない。けれど実際はそうでもないから、こうして人工精霊なるものまで生まれてしまったのだろうか。
 今一つ、精霊と幻聴の境界に納得はいっていない。だが、そういう精神の危うさを早期に見つけられたのはありがたい事である。悪くなる前に適切な対応を取ることが出来るからだ。
 取りあえず、休暇は自分を見つめ直し精神を立て直すのに良い期間である。ゆっくり自分の弱点をどうするか考えていこう。