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「悪意が無いとはどういう事でしょうか? 僕らの事を騙して誘い込んで、そのまま閉じ込めて来たんですから、悪意そのものだと思いますが」
 あの屋敷と、屋敷の前にいた子供。どちらも普通の存在ではなかった事は認めても良いだろう。しかし、あれらに悪意が無いというのは腑に落ちないものがある。
「まー、室長。この子は相変わらず頭固いですから、しょうがないですよー」
 さも呆れたと言わんばかりにルーシーがエリックの頭をぽんぽんと気安く叩く。
「いや、閉じ込められた当事者にしてみれば、悪意が無いなんてとても思えませんでしたよ。ではあれは、一体何だったんですか?」
「室長が言ったじゃない、神性が目覚めた建物だって。そういうのはね、何かしらの行動原理があって多かれ少なかれ周囲に影響を及ぼすモンよ。今回のがまさにそれ」
「要は不特定多数の監禁、生き物視点で言うなら捕食ですよね」
「あー、その表現は結構近い! でもね、当人はそうは思ってないんだなこれが」
「良く分かりませんが……」
「あの屋敷、まあ廃屋だけどさ。あれを人間に置き換えてみると、もう必要とされなくなった人って感じになるでしょ。人間だったらどう思う?」
「まあ、寂しいとか?」
「そう。だからね、人を強引に誘い込むのよ。そして住居としての役割を果たそうとするの。誰かが建物の中に居れば、それは人が住んでいるって事になるでしょ? そうやって必要とされた頃を思い出して満足するんじゃないかな」
 エリックは中で起きた事を思い返す。あの屋敷には、自分達を監禁する強い意思があった。しかしその一方で、食事や寝床などを提供してくれた。あの時は好待遇で監禁する理由が分からなかったが、もしあれが屋敷の中に住人として留まり続けて欲しいという意図なのであれば辻褄が合う。
「……それだと、確かに納得出来ますね。何のために人質に取られているのか分かりませんでしたが、住居として使って欲しいという押し売りだった訳ですね。ところで、それと先ほどの捕食がどうとは関係があるんですか?」
「まー、屋敷も意思が芽生えた以上は、何かしら取り込まないと生きていけないってこと。人間で言う食事みたいなものね」
「僕達がそうだったと?」
「そ。だから急激に疲れたでしょ? あれは生気を吸い取られていたからなの」
「先に一晩以上いたマリオンは平気でしたよ」
「それだけ体力があったって事でしょ。まあでも、一晩経っても消化するどころか、逆にお腹まで食い破られちゃってねー。まるで食中りみたい」
 ルーシーはマリオンを指差しながら笑う。流石にマリオンも眉をひそめた。
「もう、ルーシーさんったら。人を病原菌か何かみたいに言わないで下さい」
「むしろエリック君が貧弱過ぎるのかもねー」
 マリオンは警察官としての訓練も受けてきたため、人よりもずっと体力がある。しかし、自分との体力の差がああも開いていたという事にはいささかショックだ。もしかすると自分は、本当に一般人よりも体力が無くなっているのではないか、そんな危機感を覚える。体を鍛える事に関するビジネスは、こういう心理から産まれるのだろう。
「とりあえず、屋敷は完全に解体してしまいますので、今後は事件は起こらないでしょう。表には都市開発計画の一環として解体と公表します」
「土地の所有者にはどうするのですか?」
「一応は捜索中ですが、見つからない場合は政府で摂取という形になりますね」
「それでこの件は収束ですか。目立った事件が起こる前で良かったとしましょう」
 屋敷には悪意はなかった。ただ結果的にその行動が害となったに過ぎない。
 罪悪感のようなものは無くはなかった。しかし、人間社会に害を成すなら除かなければならない。害獣を駆除するのと同じことだ。
「おーし、そろそろ日も暮れっから今日は撤収だ! ちゃんと道具整理して帰れよ!」
 その時、作業員達の中からそんな威勢の良いウォレンの声が聞こえて来た。見ると、ウォレンは屋敷の屋根の上から下の作業員達に向かって何やら指示を飛ばしているようだった。
「ウォレンさんは何をしてるんですか?」
「解体工事の監督よ。解体工事って、建設とは別の資格が必要なんですって。本当、ウォレンさんが持っていて助かったわ。色々と説明しないといけない手間が省けたから」
 そう言えば、ウォレンの趣味は資格取得だった。本当に趣味的なものが大半だが、幾つか潰しの利くような実用的なものもある。今回はその趣味がたまたま功を奏したらしい。
 屋敷にとっても、まさかこんなに早く解体される事になるとは思ってもみなかっただろう。一晩経っても消化出来ず自力で脱出する人間と、解体工事を監督出来る人間が知り合いだったのだ。これほどの不幸はなかなか無かったに違いない。飲み込んだものは、食中りというより死に至る猛毒と言っても過言ではないだろう。