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「ですから、我々はそう言った組織ではありません」
 その日、応接スペースにはラヴィニア室長と来客が一対一で話をしていた。ラヴィニア室長は顔が広く、方々から頼られる。飛び込みで案件が来る事も珍しく無い。だから今回の来客もその類だろうとエリックを初めとする特務監査室の面々は考えていた。しかし、突然として応接スペースから漏れ出る声が不穏な空気を放ち始める。来客である初老の男は、ラヴィニア室長に対して情に訴えたり、威圧するような言動を放ったり、何かをしきりに要求している。それに対するラヴィニア室長は一貫して拒否の構えだが、毅然とした態度も徐々にただの強硬から拒絶するような辛辣な態度へ変わっている。何か意見が決定的に対立している。初老の男の身元はさておき、これはただならぬ何かが起きている。そう一同は感づき、素知らぬ振りをしながらも意識は応接スペースの状況に集中していた。
「とにかく、そういう事でしたら首相に直談判させて戴きますから! それを良く考えるように!」
 やがて、初老の男は声を張りながら吐き捨て、乱暴にドアを開け閉めして出て行った。それでようやく執務室の張り詰めた空気が溶けていくのが分かった。ラヴィニア室長は大きな溜め息をつきながら緊張でこわばった肩をほぐす。
「おいおい、何だよ今の爺さんは。ただ事じゃねーよな?」
「今のは、首相の母方の叔父に当たる方よ。代議士では無いけれど、地元での影響力は大きくて与党も一目置いているの」
 首相の親族ではないか。その事にエリックは驚きを露わにする。
「うちは首相直轄の部署じゃないですか。大丈夫なんですか? 首相の身内と揉めたりなんかして」
「大丈夫よ。首相はあれで割とドライな方だから。数年に一度の選挙が影響受けるよりも、聖都がただちに受けかねない影響の方を取るわ。そもそも、身内だろうと利己的な汚職を許さない事で首相になった人だし、我々はこれまで通りにしていれば良いのよ」
「では……一体何で揉めていたんです?」
「そうね、指図されて従う義理は無いけれど、特務監査室として調査と対応は必要になる案件だから。みんなにも説明しましょうか」
 そしてラヴィニア室長は、新しく淹れたコーヒーをゆっくり飲みつつ、状況の説明を始めた。
「今まで、万能薬だとか不老長寿の妙薬だとか、そういった案件の調査をした事があると思うんだけれど。実は今回もその類なの」
「飲むと不死身になるとか? またそういう類ですか」
「今回は、あらゆる怪我や病が治るという噂ね。南区の端の貧困区域で、エリクシルなんて名前で使われているそうよ。名前からして、誰かの作った噂話らしい感じがするのだけれど。何でも今年になってから急に広まり始めた噂で、実際にかかりつけた患者はみんな症状が楽になったなんて話もあるそうよ」
 不老長寿、不死身、万能薬、世の中にはそんな触れ込みの怪しげな薬は腐るほどあるが、今までその類で見たことのある本物はまだ一度しかない。しかもそれは、噂になるほど大勢に配れる数は無い稀少品だった。だからこそ大々的な商売としてやれるはずはなく、どうせ今回も偽物で金儲けのためにやっているのだろう。貧困地区で後のない人間を相手にすれば、手間無く売りさばく事も出来るはずだ。
「まあ、いつものようにという感じでしょうけど。その事で口論になったのですか?」
「どうもね、これまでのようなインチキよりは信憑性のある話らしいの。それはきちんと調査すれば良いだけの話なんだけれど、薬が確保出来たらこちらに流して欲しいそうで。見返りも約束するからと」
「それはそもそも公務員法に抵触するじゃないですか。そんな要求を堂々と?」
「彼、何か重い病らしいの。そのせいで後が無いのでしょうね。もっとも、そういった事情でも組織の活動方針を変える事はしないと、何度も説明したのだけれど」
 仮にそんな万能薬が存在していたとして、緊急避難という名目で使うのは仕方がないかも知れないが。前々から患っている病気ならば、心苦しいが寿命だったと割り切って貰うしかない。例外を作らないラヴィニア室長の判断も正しいものである。
「とにかく、まずは実態の調査ですね。もしも本物だった場合は対応しなければなりませんから。皆さん、いつも通りよろしくお願いしますね」
「では早速向かいます。聞き込みから始めていきましょうか」
 怪しげな薬の調査など、これまで何度行ってきたか分からない。万能薬など耳にタコが出来るほど聞いた触れ込みだが、本物を売っていたケースは一度も無かった。今回もそれらと同じ結末になる可能性が高いだろう。
 だが、こういった人の弱みに付け込んだ案件の場合、一つだけ本当に心苦しい事がある。万能薬を求める人は、いずれも後の無い人間である。信じ込んでいる人もいるが、中には半信半疑で買い求める人がいる。もしも本物なら。そんな一筋の希望に賭けているのだ。そして特務監査室の仕事とは、彼らの一筋の希望すら絶ってしまう事だ。例え偽物だったとしても、薬の恩恵に与っていると信じ込んでいる人達が、ある日突然それを取り上げられたなら一体どのように思うのか。
 悪いのは、弱みに付け込む者である。だが実際に悪と見なされるのは、嘘を暴く側の方なのだ。