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「人除けの方法、ですか」
 翌日、執務室でエリックはラヴィニア室長も交えた総員で、トリストラムの対応についてのアイデアを話し合った。過去に特務監査室が対応した類似ケースには、トリストラムのような消極的で目立ちたくない人物の例が無く、それらと同じ対応は出来ないためであった。
「そうです。トリストラム氏の要望は非常にシンプルで、彼自身は単に目立ちたくないだけのようです。そこは我々と思惑も一致していますから、その路線で進めるのが最善かと思います」
「けれど、既に眠らない男として知られつつある人間を、どうやって目立たないようにするのか。その方法が見つからないという事ですね」
「仰る通りです。証人保護制度のような方法で、雲隠れさせる事は出来ないでしょうか?」
「新しい戸籍を用意する事は可能ですが、それは出来れば取りたくない方法ですね。トリストラム氏も、今の生活を捨てたくは無いでしょうし」
 あくまでトリストラムは平穏な生活を維持していきたいだけなのである。戸籍を変えるような手段は、聖都からどこかの僻地へこっそり逃げるのと大して変わらないだろう。幾ら目立たないためとは言え、本人は納得しないだろう。それに、納得するならとっくに自分で聖都を離れている。
「特務監査室の倉庫から、何か人を遠ざけるような道具を探して……いや、それじゃあ本末転倒か」
「人払いのための人員を手配するのはどうでしょうか? 護衛という名目で」
「一時的にはいいかも知れないけれど、相手がより大勢で攻勢をかけてきたら無理だろうね。そもそも人を維持するだけの予算が無いよ」
「何とか諦めて貰う方法は無いものかな。もっと興味深い研究材料を教えるとか何とか」
「製薬会社相手には良いかも知れないけれど、マスコミ関係は難しそうね。良くも悪くも真実が目的だから」
「うーん、いよいよ難しいですね。いっその事、トリストラム氏は別に眠らない訳じゃないとデマを流してみるとか。あ、でもそういうのって一応違法になるんでしたっけ」
「軽犯罪までなら何とかするわよ?」
「何とか出来ちゃうんですね……」
 そんなマリオンとラヴィニア室長のやり取りを聞いた時、ふとエリックは一つのアイデアが思い浮かんだ。
「みんなに興味を失って貰う路線、それでいきましょう。デマは企業にはすぐ見抜かれますから、実際にトリストラム氏には眠れるようになって貰うんです。それなら、どこからも一斉に興味を無くされますよ」
「眠らない男を眠らせるという事かしら? それが出来ないから彼も苦労をしてきたと思うのだけれど」
「眠る努力を諦めただけで、まだ試していない別なアプローチもあると思います。それを試してからでも良いはずですよ」
 エリックのアイデアに一同は半信半疑といった様子だった。具体的な睡眠へのプロセスが抜けているからだ。
「とりあえず、お酒と睡眠薬は試して貰いましょう。それと睡眠への導入を改善するために、何か良い食品だとか体操とかも。後は寝具も変えた方が良いですね」
「……本当にそれで効果があるかしら?」
「でも薬くらいは試す価値はありますよ。本当に眠れないのなら、睡眠薬も効かないでしょうから。最終的には薬無しでも眠れるようになってもらい、それを皆に知って貰えば後は勝手に人は離れて行くでしょう」
「何とも言えないところね。とりあえず、薬は試してみましょうか」
「はい、ありがとうございます」
 睡眠薬を使う方法には、エリックは自信があった。それはエリックが子供の頃に叔母が医者に処方された睡眠薬を少しばかり飲んでみたことがあったからだ。あの自分の意思が全く通用しない、有無を言わさぬ強烈な眠気。これがあればどんな不眠だろうと解決すると確信していた。そして、特務監査室の古い記録にもあった。一度も眠ったことのないその女性が生まれて初めて眠ったところ、それ以降はごく普通に睡眠を取るようになったそうだ。この前例から、トリストラムのケースもそのアプローチが有効だと思うのである。
「ん? もしかして、もう話まとまったか?」
 ふとその時だった。今までずっと黙っていたウォレンが急に口を開いた。手には何やら専門書らしき厚い本を持っている。それを夢中で読んでいたらしかった。
「どうしたんですか、今頃になって」
「いや、な。俺も兵士やってた頃にはそういう眠れない奴って周りには必ずいてさ。ひでーのになると、一週間もマジで眠れねえんだ。そうなると本当に薬も効かねえ。で、大体そういうのの原因って意外と精神的なもんでさ。みんな前線離れるとケロッと治ったりしてな。まあ一言で不眠っつっても色々種類あるみたいでさ。導入障害だの、中途覚醒だの。そういう根本的な治療からした方がいいんじゃねえの?」
 後半は経験則より手にした本からの受け売りなのだろうか、ウォレンにしては珍しく論理的な意見である。確かに睡眠薬そのものの効果を過信していたのかもしれない。
「となると、専門医に診せるべきでしょうか」
「皆さん、そもそもそれは普通の不眠治療ですよ。うちが扱うということは、単なる不眠症患者が相手という訳では無いことをお忘れなく」
「すみません、変な方へ考え過ぎていました」
 ラヴィニア室長にたしなめられ、エリックは反射的に謝ってしまった。
 確かに自分の先入観が強過ぎるかも知れない。もっと既存の枠組みに収まらない中立な見方をしなければ、今回のケースはどこかで判断を謝ってしまうだろう。
「まず、特務監査室としての見立てが大事です。色々試すことも必要ですが、結論をそうと決めつけて出だしから間違えてしまわないよう気をつけて下さい」
「はい、分かりました」