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「やあ、皆さん! ごきげんよう!」
 久し振りに見たフィランダーは、相変わらずあのガラスの箱の中で元気に振る舞っていた。空元気かどうかぐらいエリックでも分かる。フィランダーは明らかに食事をしていないとは思えない元気さである。特に水分を取らないで平気だというのがおかしい。まず最初に体の水分量が一定を下回ると、すぐさま生命維持に支障を来すのだ。
「何だか、全然平気そうですねエリック先輩」
「ああやってガラス張りにしてるのも、自信の現れなんだろうね。見られて困る事はないのと、窓も扉も無い箱の中では差し入れも受け取れない」
「外へ出るにはガラスを割らないと出られないという事ですからね。本当にどうなっているんでしょうか?」
 彼は職業マジシャンである。いわゆる手品師、興行で生計を立てている。大袈裟や紛らわしい言葉は、全てが演出である。マジシャンはみんな独自の世界観を持つため、言い回しも独特になり、自分では当たり前の行動も世間からは奇行と言われる事もある。食事をせず一ヶ月も生きるなんて事は、普通は有り得ない。これはそういうマジック、何かタネがあると考える方が妥当だ。しかしそのマジックが事実として世間に広まり始めている。特務監査室としてこの事態は早期に対応しなければいけない。
「ガラスにも屈折率はあるからね。その辺りを応用した、何かしら外部とやり取りする方法があるのかも知れない。だけど、向こうはマジックのプロな訳だからなあ」
「私達が見破るのは無理でしょうか、やっぱり」
「取りあえず、接触して調べるしかないね」
 エリックとマリオンは単なる野次馬観衆を装ってフィランダーの元へ近付く。フィランダーは集まってきた観衆達にはいずれも好意的で、積極的に声をかけてくる者には一層愛想を振りまいていた。時にはガラス越しでも出来る簡単なカードマジックを披露してみせたりと、非常にファンサービスに余念がない。それだけを見れば、熱心に営業活動をする新人マジシャンだけで済むのだが。
 エリックは人の流れを見ながら隙間を待つと、そこでなるべく不自然にならないようフィランダーに話し掛けた。
「あの、あなたは本当にずっと飲まず食わずでここに?」
「お、そうだよー。まだ一週間だけどね」
「それでも普通の人間なら、死にはしなくとももっと衰弱しているはず。本当はこっそり何か食べたりしてるんじゃないの?」
「絶対にそんなことはしないよ。そのためのガラス張りだからね。それに、飲まず食わずで平気なのは理由があるのさ。それは僕が、世紀の大魔法使いだから!」
 魔法が使えれば飲まず食わずでも平気になるとでも言うのか。あまりに馬鹿馬鹿しい理屈だったが、更に探るべくエリックは努めて表情に移さないようにする。
「魔法使いになるには、食事をしない修行でもするのですか?」
「もちろん。魔法使いというのはね、この世界から力を借りて魔法を使う存在なのさ。だからこそ、私達魔法使いという者は誰よりも世界に優しくならなければいけない。そのための制限なのさ」
「優しさが食事制限?」
「そう! 例えば、豚肉なんてしょっちゅう食べるだろうけれど、そのための豚がどんな酷い扱いを受けているか知っているかい? 野菜だってそうだ。キャベツは本来もっとのびのびと広く生息する野菜なのに、人間の都合で不自然な密栽培をしている。チーズなどの乳製品は仔牛から奪った牛乳だし、パンを焼くのにどれだけの木を切り倒すのか大衆には知られていない。こういった人間の勝手な理屈で行われている理不尽で野蛮な行いから離脱して生きる事も修行の一つなのさ」
 突然の予想外の発展に、エリックは一瞬困惑した。そして彼の正体が単なるマジシャンなどではない事を確信する。いわゆる自然回帰主義の、特に極端に先鋭化した集団。そういった会派に属する活動家だ。こういった活動家は、耳障りの良い言葉を盾にとにかく過激な行動に出る。その過激なパフォーマンスも咎められた所ですぐに思想の自由に訴えるのが特徴だ。そしてこういった活動家集団を、過激派が隠れ蓑にしている事もあるのだ。
 これは国家安全委員会の仕事だろう。彼らの情報網は非常に細かく広い。自分達が言うまでもなく、既に確認はしているはずである。
 余計な手出しはしない方が良いか。そう思い踵を返し掛けたその時だった。
「……ッ!」
 フィランダーは下の方でガラスをコンコンと叩き、それに気付いて貰えるよう不自然な呼吸でエリックを止めた。一体何なのかと小首を傾げるエリック。フィランダーはガラスに極端に近付いたため、エリックもそれに合わせて近付いてみた。すると、
「お願い、助けて」
 微かだがはっきりと、フィランダーはそうエリックに伝えた。
「じゃじゃーん! さあ、私のカードマジックはどうかな?」
 すぐさまフィランダーは何事も無かったかのように、また元の明るいテンションで場を盛り上げ始める。
 聞き違いだろうか? いや、間違い無くフィランダーは助けてと言った。しかしそれはどういう意味だろうか。何から何を助けて欲しいのか。詳細を問いただしたい所だったが、経緯が経緯だけに、エリックはひとまず目立つ行動は控える事にした。