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 それは、大地と赤の党のアジトを国家安全委員会に引き継ぎ、ウォレンが執務室へ戻ってきて間もなくだった。エリックは一同と今回の事件を整理していたが、どうしても大地と赤の党がフィランダーを使って特務監査室を誘き出そうとした目的が分からなかった。これは身柄を確保した時に尋問に加えさせて貰うよう要請するしかない、そんな事を話している時だった。突然と血相を変えたラヴィニア室長が足早に執務室へ入ってきた。そして、
「非常に良くない事になりました。いつの間にか聖都に複数のグリゼルダチェアが持ち込まれ、つい先ほどそれが盗難にあったとの報せを受けました」
 そう珍しく早口でまくし立てるように話す。いつになく深刻な表情のラヴィニア室長に場の空気が一気に張り詰める。だがまず気になったのは、その聞き慣れない単語だった。
「あの、グリゼルダチェアとは何でしょうか?」
 恐る恐る訊ねてみるエリック。確かに知らない、そう続いて頷いたのはマリオンで、ウォレンやルーシーは既に知っている素振りだった。
「グリゼルダチェアというのは、その名の通り、グリゼルダという椅子職人が設計して作った椅子の総称よ。もう一世紀も前の人物で、当時珍しかった女性の椅子職人という事で話題になったんだけど。今は別の事で話題になっているわ」
「別の事?」
「グリゼルダチェアはね、例外なく全てが呪われているの。それも彼女が製作したものだけじゃなく、彼女の設計図を元に復刻したものまでね。オリジナルのグリゼルダチェアは全て消失したけれど、設計図はまだあちこちに点在しているの。良くも悪くも希少価値があるから、未だに欲しがる好事家は多くてね。大金を叩いてでも買おうとするから、密造されることも多いのよ」
「新たに製造したのも駄目ですか……。なかなか厳しいですね。それで、どういう呪いなのでしょう? 座ったら死ぬとか?」
「いいえ、グリゼルダチェアは普通に使う分には問題無いわ。むしろデザイン性や使い心地自体は椅子として評価が高いくらい。ただ、グリゼルダチェアが全て呪われていると言われているのは、それらが例外なく同じ末路を辿っているからなの」
「同じ末路? そう言えば、オリジナルは全て消失したと仰いましたが」
「グリゼルダチェアは、何故か必ず大規模な事件や事故の渦中にあるの。運悪く巻き込まれてしまうのか、自分が起こしているのか。そして椅子自身が必ず消失するの」
「それはつまり、例えば火事で跡形もなく焼け落ちるとか、火薬で吹っ飛ぶとか」
「そう思ってくれて構わないわ。そして問題なのが事態の規模なの。椅子一つが消える事故だけど、決して小さくは無いわ。輸送していた大型貨物船が海の真ん中で突如沈没したり、火事なら三ブロック分の家屋が完全に焼け落ちた例もあるほどよ」
「どういう理屈かは分かりませんが……。とにかく、グリゼルダチェアがあると必ず大規模な事件事故が起こるという事なんですね。大勢を巻き込んで死傷者を多数出すような。そしてそれが聖都に複数持ち込まれ……盗難にあった? 何か不自然ではありませんか?」
「そう。そしてまだ内々の情報だけれど、犯人は大地と赤の党と断定されました。おそらく初めから計画的に仕組まれていたのでしょうね」
 いつ爆発するか分からない爆弾ような存在、それを大地と赤の党が手に入れてしまったというのか。
 ラヴィニア室長は今にも頭を抱えんばかりに苦悩している。その苦悩は全員が理解出来た。ただでさえ危険な代物が、危険な組織の手の内に落ちたのだ。それはまさに、グリゼルダチェアの呪いという事件事故を引き起こす下準備が整っていると言っても過言ではないくらいだ。そして何より恐ろしいのは、それが一つ二つではないことだ。大地と赤の党は間違いなくこの呪いを最大限の悪意を使って広めるに決まっている。
「おい、もしかして……フィランダーの件は陽動だったんじゃねーのか? 俺達が奴に気を取られてる隙に、聖都へグリゼルダチェアを持ち込ませて奪い取るための。グリゼルダチェアなんて気にするの、俺達くらいしかいねーだろ」
「その可能性が高いでしょうね。フィランダーがわざとらしく目立つパフォーマンスをさせられていた事も辻褄が合います」
「普通に持ち込もうとしたら絶対に特務監査室に気取られるから、フィランダーを囮にして注意をそらしたのか……。そうなると、僕達が突き止めたアジトも」
「あまり大した物は得られないでしょう。もぬけの空とまでは言わなくとも、実際大地と赤の党にとっては失っても痛くもない物しか無いはずです」
「くそっ、あいつらめ! 舐めた真似しやがって!」
「既に首相の指揮の元、国家安全委員会を筆頭に警察庁や軍部が合同の対策本部が設置されました。我々も首相直轄の組織という事で相談役として参加する事になるでしょう。当面は通常の業務を中止し、この件に最優先で当たって下さい」
 グリゼルダチェアという非常に危険な椅子と、それを複数手にした過激派大地と赤の党。エリックは、この聖都でこれからかつてないほどの危険な大事件が起ころうとしているのではないか、そんな予感をせずにはいられなかった。
 官吏は人々の生活を支えるためにある。特務監査室である自分も、出来る限り精一杯の事をしなければ。そう覚悟を決めるのだった。


 完結編に続く