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 今この場で手渡しするのが配達人の仕事としては効率的だが、人目に付く場では望むような展開に発展する可能性も薄い。リアンダはしばし案内板を眺める振りをしながら二人をやり過ごした。
 二人が特務監査室の執務室があると思われる方向へ向かい始めたのを確認すると、リアンダはつかず離れずの距離を保ちながらその後を付ける。二人は雑談に夢中で、こちらの尾行にはまるで気付いてはいないようだった。流石に白昼堂々と自分らのホームで尾行されるシチュエーションなど想像もしないだろう。
 特務監査室の執務室は二階の奥まった場所にある。その噂通り二人は廊下の突き当たりまで向かっていった。そしておもむろに一室のドアを開けて中へ入る。標札には特務監査室の文字があり、これで確証を得た事になる。
 ひとまず荷物を届けるために入るとして。そこで何をするべきか、何が交渉の余地になるかを考える。リアンダが知りたいのは、まずはステラの安否である。その情報を得るには、こちらも大きなカードを切らなくてはならない。自分が大地と赤の党の構成員である事を明かし、計画の内容を暴露する。当然組織への裏切り行為であり、万が一露見すれば間違いなく報復を受けるだろう。また特務監査室がこちらをどれだけ信用するか保証はなく、仮に情報の信憑性を信じてくれたとしても身柄を保護してくれるとは限らない。彼らが欲しいであろう情報を持っているとは言え、自分の方が状況は圧倒的に不利なのだ。
 しかしリアンダはあまり時間も無い事もあり、一か八か全て打ち明ける事を選択する。大事なのはステラの安否であり、大地と赤の党にも初めから危険を承知で入ったのだ。今更この程度のリスクでおたおたはしていられない。
 二人が執務室の中へ入ったのを確認してからあまり間を空けず、リアンダは執務室へのドアノブへ手を伸ばした。
 その直後だった。
「うわっ!?」
 突然リアンダは左手を後ろ手にねじり上げられ、肩を押さえつけられる。その痛みと重心のコントロールで思わず両膝をつき、その姿勢から身動きが取れなくなった。
 一体誰だ。それに何故、単なる配送業者の自分に有無も言わさずこんな事を。
 想定外の事で混乱するリアンダに、制圧する背後の何者かが口を開いた。
「お前、どこの誰だ? ロビーからずっと付けて来たな」
 低く重い殺気をまとった高圧的な男の声。相手の反応を見るような人間の口調ではなく、一方的に口を割らせようとするタイプの人間だとリアンダは思った。
「そ、そんな、誤解です! 自分はただの配達人で、本庁舎への届け先は初めてだったから、不自然に見えただけですよ!」
「素人はな、尾行の時は同じ距離を保とうとするんだよ。こっちが歩幅を不自然に変えてても気が付かずにな」
 理屈はともかく、男は明らかに確信を持って尾行を疑っている。おそらく自分とは違ってそういった経験か訓練を受けたことがあるのだろう。下手に反論はかえって信用をなくしかねない。
「確かに中へ入ったのを確認したのに……。どうして後ろにいるんです?」
「隠し出口があるってこった。こういう時に備えてな」
 それで後ろから不意を突けたのか。どうやら彼らをあまりに甘く見ていたようである。
「っと……ウォレンさん、本当に捕まえちゃったんですね」
 執務室のドアが開き、先ほどの二人組のもう一人が現れる。反応からすると、こちらは尾行については半信半疑だったようである。
「どうする? 国家安全委員会にでも突き出すか?」
「いえ、それよりも我々に用事があるからこその尾行だったんですよね。まず話くらいは聞きましょうか」
 そう言うや、リアンダはしっかりと押さえられたまま執務室の中へ連れ込まれた。室内にいたのは最初の二人組の他、長身の女性に小柄な女性、そして上長席に座る管理者らしき年長の女性と計五人だった。いずれもこちらに対して警戒を露わにしており、長身の女性などは既に右手には短めの刃物を携えている。こちらはこちらで荒事に慣れている雰囲気である。長身の男は軍人、この女性は警察辺りの出身なのだろうか。
「それで。素性と目的から話してもらうか」
「俺の名前はリアンダ。主に東区で個人の運送屋をしています。今日はウォレンという人宛ての荷物を届けに来ただけですよ」
「その荷物は?」
「鞄の中に」
 リアンダが肩から下げている荷物鞄の中を小柄な男が改める。そして最後に残っているあの荷物を取り出した。
「確かにウォレンさん宛ですね。身に憶えは?」
「あー、それは多分本当に俺だな。よくここ宛で注文するから。んん、これはいつの注文だったかなあ」
 それで少しはこちらを信用する気になったかと期待したが、砕けたのは口調だけで警戒心は依然ひしひしと伝わって来る。
「ところでお前、この間の小僧だな? 大地と赤の党の」
「え、何ですか急に?」
「声だよ。俺は人の顔と声は忘れねーんだ。軍じゃそういう訓練を受けるからな。大方、もう一人の女の方の様子を探りに来たってとこか。単なる同僚だとかそういう仲じゃねーんだろ? わざわざこんな敵地に、尾行のイロハも知らねー素人が乗り込んで来るくらいだからな。例の血脈はどうしたよ?」
 これははったりか、かまをかけているのだろうか。
 リアンダは畳みかけるように浴びせかけられた言葉に対し、どう反応して見せるべきか分からず困惑する。男が本当に声だけで人を判別出来るのなら、完全に自分を大地と赤の党の人間だと確信しているだろう。だがもしそうでなければ、迂闊に答えては自らの墓穴を掘る事になってしまう。
 答えあぐねていると、今度は上長席にいた年長の女性が話し掛けて来た。
「あの娘、ステラと言うそうですね。あなたは彼女の様子を調べに来た。違うというのであれば、このまま帰って戴いて結構ですよ」
 帰ってもいい。その言葉に周囲がどよめく。
「え、いいんですか室長?」
「ええ、構いませんよ。我々はそもそも血脈の事は重要視していませんし、今更新たな情報も必要ではありませんから。今一番欲しいのは、グリゼルダチェアの在り方です。それさえ押さえてしまえば当面の危機は去ります。他に得られる物が無ければ、彼が何者であろうと留める理由がありません」
 室長と呼ばれた彼女の言葉に、リアンダはいささか疑問を抱いた。まだ党員だと認めていない自分に対して、わざわざ血脈は重要ではないと言い、必要なのはグリゼルダチェアの情報だと強調する。それはまるで、交渉を誘っているかのようである。けれど、やはりどこまで信用出来るかも分からない。今の特務監査室の出方や方針がまるで分からないからだ。ステラに関しても、生きているのかどうかも不明である。しかし、わざわざステラの名前を強調して出したという事は、本人から聞き出したとも捉えられるが、単に身元を調べられた可能性も否定出来ない。
 リアンダは悩んだ。大地と赤の党か、特務監査室か、二者択一である。そして後戻りも出来ないだろう。
 どちらに付くべきか。それを考えた時、リアンダの脳裏にはあの幹部の言葉が過る。ステラに対するあまりに無関心な態度、ステラを追い込んだ方針、これらが難しいこの選択への結論をリアンダに出させる。
「ステラは無事なんですか……? それだけ教えて貰えれば、自分は構いません」