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「あら、あなたも私の時間稼ぎに付き合ってくれるの?」
「いや、そういうんじゃなくて。ギネビアさんがグリゼルダチェアをここへ持って来たなら、災害が起こるのはもう時間の問題だから、こんな駆け引きするのも無駄じゃないですか」
「私がとっくに触れていたとしたらどうするの?」
「その時は……もうやむを得ないでしょう」
 エリック室長補佐の判断に従う事になる。この地下室を封鎖して鎧が這い出るリスクを最小限にし、災害の後も鎧が街へ出ないようにする。おそらくそんな所だろう。ただその流れの中には、間違いなくギネビアの身柄確保や保護という手順が含まれていない。ギネビアはおとなしく投降はしないだろう。グリゼルダチェアの起こした災害に巻き込まれて死ぬ方を選ぶはずだ。それを無理やり生かす余力は特務監査室には無い。
「もしかして、私の事を死なせないように考えててくれてるの? この期に及んでも」
「いけませんか? 状況がどうあれ、あなたに世話になりっぱなしだったのは事実だし、助けてやりたいって普通は思うでしょうが。それに、罪はきちんと生きて償って欲しいですから」
「本当は出来ないって思ってる癖に。顔に出てるわよ? 建前でも立派な事を言わないと、怖くて逃げ出したくなるって。ああ、その無理してる顔が好きだわあ」
 ギネビアはふざけて言っているのか、こちらを挑発するつもりで言っているのか、リアンダにはもはや真意が分からなかった。普段とはまるで様子が違っている事だけは分かる。だがそれは、単にリアンダが知らなかった彼女の本性を目の当たりにしたせいだとも解釈が出来た。特務監査室に従えばいい。例え無理に彼女を救った所で、それに対しての見返りどころか自分の命そのものが危うくなるだけである。誰も得をしないのだ。
「それでどうなんですか。グリゼルダチェアはここまでどうやって運んできたんです」
「簡単よ。君があの晩グリゼルダチェアを置いたのは、ここに繋がる部屋の中だったのは知ってるでしょう? その時にね、実はあらかじめ床の扉は開けておいたの。そこに板と丈夫な麻布を敷いておいてね。暗くて気づかなかったでしょ? 後は板だけ外して、布越しに持ってくれば平気なのよ」
「そんな! 直接触らないだけで良かったって事ですか!? だったらどうして俺に運ばせたんです!」
「ほら、誰かが言ってたでしょ。覚悟を見るためだって。新入りは何かと試されるものよ。革命ごっこが大好きなこの組織はね。あー、でも君が直接触っても平気だって事は本当よ。それはそれで嘘はついてないわ」
 まさかギネビアまであの幹部の奴と同じような事を言うのか。
 聞きたくなかったその言葉に、これはあくまでギネビアが挑発目的で言っているだけだと、自分をなだめすかして必死で否定する。けれどセディアランド人の性なのだろう、頭のどこかでは常に冷徹な考えが回っている。それは、もはやギネビアは明確に敵と認識して行動するという事だ。理屈と感情がリアンダの中で激しく衝突する。
「という事は、まだグリゼルダチェアは触っていないという事ですね。そのためにわざわざ小細工を弄していたんですから」
 突然と会話に割って入り、そう断言するエリック室長補佐。今の会話の一部始終を聞いていたのだろう。
「そんなの、誰だってちょっと考えたら分かるわよ」
「おかげで、見えない残り時間に急かされる事はなくなりました。随分と状況は変わりましたね?」
 そうか、グリゼルダチェアはまだ起動していないんだ。
 エリック室長補佐の言葉でリアンダは、ギネビアの工作の意味に気付く。ならば、何故こんな工作をする必要があっあのだろうか。この隔離倉庫を確実に焼き払い、人を殺す鎧とやらの中身を街中へ送り込むためなのか。いや、それならとっくにグリゼルダチェアを起動させている。わざわざ妨害して来る人間を待つ必要がない。
 それは、つまり。
 何かがリアンダの中で噛み合い、脳裏を過ったその推論を口にする。
「もしかしてギネビアさんは、特務監査室が集まって来るのを待っていたんですか? こうやってグリゼルダチェアに確実に巻き込んで殺すために」
 一瞬、ギネビアの表情が固まる。それだけで答えは十分だった。
「未だにこうやってダラダラ引き延ばしているのも、まだ上に残ってる人達がいるから、時間をかける事で不安にして降りて来るのを待っているんですね。違いますか?」
 ギネビアはおそらく、グリゼルダチェアの起こす災害を特務監査室だけに集中させたいのだ。被害がどれだけ広がろうが関係はなく、どれだけ確実に命を奪えるかが重要なのだ。聖都に大きな被害をもたらす事をジェレマイアへの復讐だと考える幹部達に対して、ギネビアは本当に純粋に特務監査室だけを強く恨んでいる。
「そこまでしないと、気が済まないんですね……」
「そうね、気が済まないわ。正義感を振りかざすのは勝手だけど、私の幸せを壊した事は許せない」
 そう、ギネビアはそれほどに特務監査室への恨みが強いのだ。当時の体制派を裏切りジェレマイアへ寝返った特務監査室に。
「仮に我々が死んだ所で、特務監査室は全滅にはなりませんよ。それに、当時在籍していた人間はこの場には一人もいません。恨みを晴らした事になるのですか?」
「今も執務室でふんぞり返ってるラヴィニアとかいう裏切り者、居るでしょう? あなた達がみんな死ねば、あいつの手足をもぎ取った事になるもの。どうせ一人じゃ何も出来ないような女、部下を死なせた汚名と後悔で苦しむでしょうね。これで私とおあいこ、痛み分けよ。恨みは十分晴らせるわ」
 エリック室長補佐は言葉に詰まる。恨みは感情論である。それを論じる事に慣れていないせいもあるが、恨みを晴らすという主観的な価値観ではギネビアの言動には一理あると思ってしまったのだろう。
 気に入らない男を黙らせた事に気を良くしたのか、ギネビアはリアンダへ話し掛ける。
「リアンダ君、あなたは私側の人間でしょう? 大地と赤の党じゃない、特務監査室でもない、私だけの味方。だったらする事は決まっているはずよ?」
「それは今は……何とも」
「特務監査室が何なのか、忘れちゃった?」
「いいえ。正直に言って、俺は親父なんて嫌いだったし、牢屋にぶち込まれても当然の人間だって思ってましたから。別に特務監査室を恨んじゃいないんです」
「でも、彼らはステラちゃんの人生を滅茶苦茶にしたわよ?」
 そこでリアンダは、ステラが吐いていた特務監査室への恨み言を思い出す。あいつらさえ裏切ってジェレマイアにつかなければ。ステラは自分のそれが逆恨みである事を自覚している。けれど、それでも抑えきれないほどの憎悪に蝕まれてしまい、結果ステラをあんな行動にまで駆り立ててしまった。
 果たして、ステラを狂わせた原因は誰にあったのか。
 不意にリアンダの瞬きが止まる。